半井清 半井清の概要

半井清

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/16 23:37 UTC 版)

半井清

半井 清(なからい きよし、1888年3月31日 - 1982年9月3日)は、日本内務官僚政治家。官選府県知事北海道庁長官、横浜市長

経歴

岡山県出身。衆議院議員福井三郎の長男として生まれるが半井家を継いだ。第一高等学校を経て、1913年7月、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。同年12月、大阪府属となり内務部地方課に配属。その後、大阪府理事官、大阪府視学官石川県理事官などを歴任。

1919年10月、朝鮮総督府に転じ学務局宗教課長に就任。さら兼総督官房文書課長、学務局学務課長などを歴任した。

1923年5月、内務省社会局第二部第二課長に転じた。以後、滋賀県警察部長、福島県書記官・内務部長、栃木県書記官・内務部長、大阪府書記官・内務部長などを歴任。

1931年1月、佐賀県知事に就任。同年12月、宮崎県知事に発令されたが赴任を拒否し辞職。1932年6月、栃木県知事に就任し、宮城県知事を経て、1935年6月、内務省社会局長官となる。1936年3月、神奈川県知事に発令され、北海道庁長官、大阪府知事を歴任し、1941年1月に退官した。

1941年2月、横浜市長に就任し1946年11月まで在任したが公職追放となる。1951年8月に公職追放が解除され、1952年11月から横浜商工会議所会頭を務める。1959年4月、前横浜市長・平沼亮三の死去に伴う市長選で当選し、二度目の横浜市長に一期在任した。

1982年9月3日死去。墓所は東京都港区にある表参道駅至近の青山善光寺

栄典

勲章等
外国勲章佩用允許

著作

  • 『時局ト北海道ノ使命』[北海道], 1939
  • 『決戦下町内会長の使命』(町内会隣組運営資料) 横浜市, 1943.5 全国書誌番号:44043566
  • 『浮き草の思い出』半井清, 1972.7
  • 『三つの顔を持つ人間像』半井清, 1973.11
  • 『わが人生』神奈川新聞社, 1979.9

参考文献

脚注

  1. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
  2. ^ 谷正之外二十五名」 アジア歴史資料センター Ref.A10113476800 
ビジネス
先代
原良三郎
横浜商工会議所会頭
第13代:1952年 - 1959年
次代
田中省吾




固有名詞の分類

日本の内務官僚 山本壮一郎  小野田元熈  半井清  渡辺勝三郎  小宮賢一
大阪府知事 井上孝哉  松井春生  半井清  高崎親章  醍醐忠順
神奈川県知事 清野長太郎  有吉忠一  半井清  松沢成文  飯沼一省
北海道庁長官 杉田定一  留岡幸男  半井清  河島醇  土岐嘉平
宮城県知事 山本壮一郎  小野田元熈  半井清  高崎親章  三浦義男
佐賀県知事 早川三郎  古川康  半井清  池田直  藤岡長和
栃木県知事 折田平内  船田譲  半井清  福田昭夫  大塚惟精
宮崎県知事 松形祐堯  有吉忠一  半井清  黒木博  千田貞暁
横浜市長 飛鳥田一雄  有吉忠一  半井清  渡辺勝三郎  細郷道一

英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「半井清」の関連用語

半井清のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



半井清のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの半井清 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS