西広忠雄とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 西広忠雄の意味・解説 

西広忠雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/26 03:19 UTC 版)

西広 忠雄(にしひろ ただお、1900年明治33年)3月28日[1][2] - 1958年昭和33年)9月23日[3])は、日本の内務警察官僚。官選宮崎県知事。旧姓・中村。

経歴

広島県出身。中村百太郎の二男として生まれ、西広興一郎の養子となる[1]第三高等学校を卒業[4]1924年11月、高等試験行政科試験に合格。1925年京都帝国大学法学部法律学科を卒業。内務省に入省し山形県属となる[1][4][5]

以後、山形県事務官兵庫県事務官、内務事務官、岐阜県書記官警察部長、長野県書記官警察部長、静岡県書記官・警察部長、内務省書記官・計画局防空課長、同防空局企画課長、警視庁部長・警務部長、東京府内政部長などを歴任[1][5]

1943年7月1日、宮崎県知事に就任。戦時下の対応に尽力[5]1944年8月1日、朝鮮総督府警務局長に転じ[6]終戦を迎えた[4]。その後、公職追放となった[4]

親族

脚注

  1. ^ a b c d e 『人事興信録』第14版 下、ニ42頁。
  2. ^ 永井誠吉著、サンケイ新聞編『長野県警百年の歴史』サンケイ新聞、1976年、200頁。
  3. ^ 「西広忠雄氏(全国市議長会事務局長、元宮崎県知事)」『毎日新聞』、1958年9月24日。
  4. ^ a b c d 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』248頁。
  5. ^ a b c 『日本の歴代知事』第3巻 下、323頁。
  6. ^ 『官報』第5265号、昭和19年8月2日。

参考文献

  • 歴代知事編纂会編『日本の歴代知事』第3巻 下、歴代知事編纂会、1982年。
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
  • 人事興信所編『人事興信録』第14版 下、1943年。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「西広忠雄」の関連用語

西広忠雄のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



西広忠雄のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの西広忠雄 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS