古宇田晶
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/25 06:44 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動古宇田 晶(こうだ あきら、1882年(明治15年)4月[1] - 1939年(昭和14年)11月13日[2])は、日本の内務・警察官僚。政友会系官選宮崎県知事。
経歴
東京府出身。古宇田義鼎の四男として生まれた[1]。第三高等学校を卒業。1908年、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。農商務省に入省し山林局に配属。1909年11月、文官高等試験行政科試験に合格した[1][3]。
その後、内務省に転じ宮城県事務官となる。以後、新潟県理事官、兵庫県理事官、岩手県警察部長、宮崎県警察部長、静岡県警察部長、愛知県警察部長、北海道庁土木部長などを歴任[1]。
1927年5月、田中義一内閣により宮崎県知事に任じられた。普通選挙による初の県議選において、選挙違反に問われ大迫元繁宮崎市長と共に逮捕された。そのため、1928年1月10日に依願免本官となり退官した[1][3][4]。
選挙違反事件
古宇田は知事在職中1927年9月、普通選挙最初の県会議員選挙において、政友会本部から渡された1万3000円の金を使って、反対党候補の弾圧などを行った。この選挙で児湯郡、西臼杵郡において、立候補者を断念させたり、また、政友会に入党させるために資金を使い、現職知事の選挙違反事件として、起訴された。宮崎市長大迫元繁も巻き込んだ事件であった[5]。
親族
父親の古宇田義鼎は茨城県出身の判事[6]。長兄に古宇田実、次兄に実業家の古宇田巌(東京帝大法科卒業後朝鮮商業銀行重役などを経て佐賀炭鉱代表、甲子不動産専務など)[6][7]。妻のスエは海軍中将玉利親賢(1853-1916)の四女[6][8]。
脚注
参考文献
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