指定文化財
文化財保護法,文化財保護条例などにより規定された文化財です,有形文化財,無形文化財,民族文化財,史跡,名勝,天然記念物,伝統的建物群のうち,とくに重要なもので保存の必要のあるものを,指定し保護と活用が図られているものを指します。指定文化財は,現状の変更の規制をうけ,その修理や管理についても,法・条例の規定により実施されることとなっています。
文化財
(指定文化財 から転送)
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文化財(ぶんかざい)とは、人間の文化によって残された有形・無形のもののうち、価値(文化的価値)を広く認められたものの総称。
注釈
出典
- ^ a b 国宝・十分・皇室ゆかりの名品/日本の美 未来へ「紡ぐ」文化庁・宮内庁・読売新聞 特別展や保存、修理『読売新聞』夕刊2018年11月29日1面
- ^ 文化庁. “文化財愛護シンボルマーク”. 文化庁サイト. 2022年9月7日閲覧。
- ^ a b c d 【ニュースの門】消えた文化財 取り戻せ『読売新聞』朝刊2022年6月12日(解説面)
- ^ 文化庁:所在不明になっている国指定文化財(美術工芸品)2022年6月18日閲覧
- ^ 横浜市文化財保護条例(抄)
指定文化財
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/29 10:11 UTC 版)
宇田川榕菴関係資料 - 収蔵している宇田川榕菴関係資料18件82点が、2015年6月に、津山市指定重要文化財(歴史資料)の指定を受けた。「和蘭王国軍曹図譜」、「和蘭カルタ」など、榕菴の自筆・旧蔵の資料とされる。 久原躬弦関係資料 - 収蔵している久原躬弦関係資料10点が、2016年、「明治期日本の化学の先駆者・化学会初代会長 久原躬弦関係資料」として化学遺産第35号に認定された。
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指定文化財
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「練馬区指定・登録文化財一覧」の記事における「指定文化財」の解説
練馬区文化財保護条例第8条に基づき、指定したもの。#登録文化財の一部が、登録を維持したまま、指定を受ける。
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指定文化財
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「大雄寺 (宮城県南三陸町)」の記事における「指定文化財」の解説
鐘楼を含む山門は、1751年(宝暦元年)に入谷の山内甚之丞によって寄進されたもので、町内に現存する建物としてはもっとも古いもののひとつで町から有形文化財に指定されている。当寺には他にも、地獄絵や間引き絵馬、キリシタン禁制の制札など、藩政時代の貴重な資料が数多く残されている。 本堂
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指定文化財
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以下の建造物4棟と土地が国の重要文化財に指定されている。 旧目黒家住宅(新潟県北魚沼郡守門村)4棟主屋(附 棟札2枚) 中蔵 新蔵 新座敷(橡亭)(附 棟札1枚) 宅地・原野 10,717.18平方メートル (以下、附指定)石動社 家作用材買入帳1冊 家相図1枚 1974年(昭和49年)2月5日 主屋、中蔵、新蔵の3棟が重要文化財に指定。他に、家作用材買入帳1冊と家相図1枚が住宅の附(つけたり)として指定、棟札2枚が主屋の附として指定される。 1978年(昭和53年)5月31日 宅地4,513.8平方メートルが追加指定される。 1993年(平成5年)4月20日 橡亭(ちょてい)と称される新座敷1棟が追加指定されるとともに、既指定の宅地の周囲の宅地・原野6,203.38平方メートルが追加指定され、土地指定の面積は計10,717.18平方メートルとなる。他に屋敷内に建つ目黒家の鎮守の石動社1棟が住宅の附として指定、棟札1枚が新座敷の附として指定される。
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指定文化財
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国立文化財機構所有、九州国立博物館保管の国宝・重要文化財は以下のとおり(参照:収蔵品ギャラリー(館公式サイト))。
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指定文化財
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 03:45 UTC 版)
伴大納言絵詞 詳細は「伴大納言絵巻」および「応天門の変」を参照 国宝。紙本著色、巻子装、3巻。平安時代(12世紀後半)。「源氏物語絵巻」「信貴山縁起」「鳥獣人物戯画」などとともに日本の絵巻物の代表作に数えられる。国宝指定名称は「紙本著色伴大納言絵詞」(ばんだいなごんえことば / とものだいなごんえことば)だが、「伴大納言絵巻」とも称される。貞観8年(866年)に発生した歴史上の事件である応天門の変を題材にした説話絵巻である。本絵巻は上・中・下の3巻からなり、上巻の詞書を欠くが、中・下巻の詞書は『宇治拾遺物語』所収の「伴大納言応天門を焼く事」と内容を等しくし、上巻の内容も『宇治拾遺』から推測できる。『宇治拾遺』の成立は本絵巻より後の13世紀であるところから、『宇治拾遺』と本絵巻の詞書とには共通の祖本の存在が想定される。応天門の変については『日本三代実録』にも記載されるが、『宇治拾遺』や本絵巻詞書のストーリーとは細部に相違点がある。本絵巻では上巻の応天門炎上の場面、中巻の子供の喧嘩(これが事件の真相発覚のきっかけとなった)の場面、下巻の伴大納言邸の場面などが著名である。上巻の応天門炎上の場面は、連続する長大な画面を構成可能な絵巻物の特性を生かし、夜空に巻き起こる炎、それを眺め、あるいはふりかかる火の子を避けようとする貴族や庶民の群衆表現、検非違使の甲冑の表現などが圧巻である。制作事情については正確なことは不明だが、後白河法皇の求めにより、絵を宮廷絵師常盤光長が描き、詞を藤原教長が書いたとするのが通説である。本絵巻は中世には若狭国松永庄の新八幡宮にあり、後に若狭小浜藩主酒井家の有となった。 手鑑「見ぬ世の友」 国宝。古筆手鑑(こひつてかがみ)の代表例の一。日本書道史における「古筆」とは、和歌集の写本など、おもに平安・鎌倉時代を中心とした和様の筆跡を指す。本来、巻子本や冊子本として制作された写本を、後世鑑賞のために一葉ずつ、あるいは数行ずつに切り離したものを古筆切(こひつぎれ)と称し、古筆切を多数集めてアルバム状の折帖に貼り込んだものを古筆手鑑という。手鑑はもともと古筆家(代々古筆の鑑定を家業とする家)の鑑定用手控えとして作成されたものだが、後に鑑賞用にも作られるようになった。「見ぬ世の友」と題された本品は京都国立博物館蔵の「藻塩草」、MOA美術館蔵の「翰墨城」などと並ぶ手鑑の優品である。名称は『徒然草』13段の「ひとり灯のもとに文をひろげて、見ぬ世の人を友とするぞ、こよなうなぐさむわざなる」による。収録する古筆切は計229葉で、奈良時代の「大聖武」(「賢愚経」巻二断簡)を筆頭に、「通切」(とおしぎれ、古今和歌集巻第十七断簡、平安時代)、「鎌倉切」(桂本万葉集巻第四断簡、平安時代)などを含む。若狭酒井家伝来。 江戸名所風俗図 重要文化財(2015年度指定)。紙本金地著色、八曲屏風一双、別名「江戸名所図屏風」。明暦の大火以前の江戸を描いた珍しい屏風絵のうちの1点。代表的な江戸図である「江戸図屏風」(国立歴史民俗博物館蔵)に比べ、江戸の繁栄をより庶民的・卑俗的に描き出している。右隻第二扇目上部の不忍池にペリカンが描かれており、これは日本でペリカンが描かれた最古の作例だと考えられる。注文主については、図中に描かれた唯一の大名屋敷が越前松平家の屋敷とおぼしき事からその関係人物からとする説 と、画中での中心的な主題は左隻第一・二扇目に描かられた向井将監邸であることから向井正俊の願望を描いたとする説 がある。絵師は画風から岩佐又兵衛から影響を受けた町絵師で、「阿国歌舞伎草紙」(大和文華館蔵)、「江戸名所遊楽図屏風」(細見美術館蔵)、「厳島遊楽図屏風」(個人蔵)、「村松物語絵巻」(チェスター・ビーティー・ライブラリーと海の見える杜美術館に分蔵)などの類品が指摘されている。
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指定文化財
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 14:19 UTC 版)
「小岩井農場施設 21棟」として、以下の建造物が国の重要文化財に指定されている(2017年2月23日指定) (下丸地区)本部事務所、本部第一号倉庫、本部第二号倉庫、乗馬厩、倶楽部 (上丸地区)第一号牛舎、第二号牛舎、第三号牛舎、第四号牛舎、種牡牛舎、育牛部倉庫、第一号サイロ、第二号サイロ、秤量場、冷蔵庫 (中丸地区)四階建倉庫、玉蜀黍小屋(4棟)、耕耘部倉庫 小岩井農場には、明治時代から昭和初期にかけて建設された牧畜関連の建築物がまとまって残っている。牛舎やサイロのほかに、事務所、倉庫、宿泊や職員の集会用の施設である「倶楽部」、煉瓦の躯体に土をかぶせた天然の冷蔵庫など、農場に関わる各種の建物が残っている。牛舎には大空間を確保するためにトラス架構が取り入れるなど、建築史のうえでも注目され、これらの建築群は日本の近代建築史、近代農業史を知るうえで価値が高い。これらの建物を使用しつつ保存するということが所有者である小岩井農牧の方針であり、文化庁もこうした所有者側の意向に理解を示している。牛舎では現在も牛が飼われており、現役の農場施設として使用しつつ保存するということで、文化財保存の新たな方向性を示すものでもある。 上丸地区の農場施設群 第一号牛舎 第二号牛舎 第三号牛舎 第一号サイロ(右)、第二号サイロ(左)
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指定文化財
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/01 08:36 UTC 版)
「東光寺 (京都市右京区)」の記事における「指定文化財」の解説
鰐口が市指定文化財である。
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指定文化財
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/21 03:32 UTC 版)
以下の11棟と土地が国の重要文化財に指定されている。 表座敷及び台所(主屋) 居室部 表門 文庫 雑蔵 奥土蔵 米蔵 飯米蔵 三戸前口土蔵 井戸小屋 外便所 土地 14,252.24m2(堀、土塁、板塀、裏門、庭塀を含む) 主屋、居室部、表門、文庫、雑蔵、奥土蔵は1954年(昭和29年)3月20日付で国の重要文化財に指定され、他の5棟と土地は1978年(昭和53年)5月31日付および1991年(平成3年)5月31日付で追加指定された。主屋は1826年(文政9年)、居室部は1821年(文政4年)、表門は1799年(寛政11年)の建立であり、他の付属建物は江戸時代末期から明治時代の建立である。
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指定文化財
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/05 02:52 UTC 版)
「大谷寺 (宇都宮市)」の記事における「指定文化財」の解説
大谷磨崖仏 大谷寺の本尊である石造千手観音菩薩立像など、大谷石の壁面に掘られた石心塑像群。国の特別史跡及び重要文化財。詳細は大谷磨崖仏を参照。 銅鐘 1685年(元禄8年)、大谷寺中興の祖との一人と云われる第4世応賢の依頼により鋳物師の戸室定国が鋳造したもの。小形、端正、古様の様式であることが特徴。1988年(昭和63年)4月3日に県より有形文化財(工芸品)に指定されている。 銅製灯篭 1716年(享保元年)、河内郡新里村の住民の寄進により戸室元蕃が鋳造したもの。巧みな意匠と安定感が特徴で、1988年(昭和63年)3月22日に市より有形文化財に指定されている。 銅製鰐口 1667年(寛文7年)に鋳造された青銅製の鰐口。作者は不詳である。金属性鰐口としては市内最古と見られている。耳が蕨手状になっていることが特徴で、1996年(平成7年)3月22日に市より有形文化財に指定されている。
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指定文化財
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/11 12:43 UTC 版)
鐘・・・安中市指定重要文化財。1973年12月25日指定。安中藩2代目藩主である井伊直好の妻である長生院(ちょうせいいん)の菩提を弔うために、寛文3年(1663年)に鋳造。嘉永3年(1850年)に鋳直す。
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指定文化財
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 13:57 UTC 版)
足助八幡宮本殿(2012年(平成24年)2月) 旧鈴木家住宅主屋外観(2014年(平成26年)3月) 足助中馬館(旧稲橋銀行足助支店社屋)(2019年(令和元年)6月) 『扁額鉄砲的打図板額』 一面 僧風外作品群 『暴風猛虎の図』 一幅 僧風外作品群 『琴棋書画図』 一幅 僧風外作品群 『一筆龍図』 一幅 建造物 足助八幡宮本殿 国の重要文化財。1907年(明治40年)5月27日指定。足助八幡宮は白鳳年間の創建と伝わるが、現在に残る本殿は1466年(文正元年)に再建されたものである。山間部にあっては珍しい三間社流造・檜皮葺・妻飾の端麗な意匠は室町時代の特色をよく表していると共に、往時の八幡信仰の隆盛ぶりをうかがわせるものでもある 旧鈴木家住宅 国の重要文化財。2013年(平成25年)8月7日指定。主屋は大火の直後の安永5年(1776年)の竣工であり、今日の足助市街地で最も古い建築物とされる。2014年度(平成26年度)から2022年度(令和4年度)までの予定で改修工事を行っている。 旧稲橋銀行足助支店社屋 付 金庫室及び同前室 愛知県指定有形文化財。1984年(昭和59年)2月27日指定。1912年(大正元年)に築造されている。後に足助町農業協同組合の金融部が入ったが、現在では歴史・民俗資料館「足助中馬館」として一般公開されている。 絵画 扁額鉄砲的打図板額 愛知県指定有形文化財。1957年(昭和32年)9月6日指定。足助八幡宮所有。1612年(慶長17年)に岩神村(現岩神町)の沢田四郎右衛門尉が奉納した扁額で、八幡宮の境内にて鉄砲で日の丸の扇を射抜こうとする老翁の姿が大和絵の技法で描かれている。 足助八幡宮絵馬 豊田市指定有形文化財。1981年(昭和56年)3月23日指定。足助八幡宮所有。江戸時代。 僧風外作品群 豊田市指定有形文化財。1981年(昭和56年)3月23日指定。香積寺所有。江戸時代後期に香積寺25世住職であった風外本高禅士の手による絵画・書など25点。 彫刻 木造薬師如来坐像 豊田市指定有形文化財。1978年(昭和53年)3月25日指定。十王寺所有。像高86センチメートル。鎌倉時代末期の作とされ、元は足助八幡宮神宮寺の本尊であったが、明治時代初頭の神仏分離によって十王寺に移されたという。 木造阿弥陀如来立像 豊田市指定有形文化財。1978年(昭和53年)3月25日指定。十王寺所有で同寺の本尊。像高92.5センチメートル。「またたき如来」との俗称を持ち、平安時代の僧・源信の作と伝わるが、実際には室町時代のものとされる。 木造十王像 豊田市指定有形文化財。1978年(昭和53年)3月25日指定。十王寺所有。十王寺の前身十王堂の本尊であり、現在の十王寺では本堂の左側側面に祀られている。14躯と鏡・秤の2点が指定文化財となっており、閻魔像の胎内には墨書による1638年(寛永15年)の銘がある。 木造天部立像 豊田市指定有形文化財。1993年(平成5年)3月22日指定。観音寺所有。本来の像名は不明だが四天王のうち2躯と推定され、平安時代後期の作とされる。 工芸 鰐口 豊田市指定有形文化財。1981年(昭和56年)3月23日指定。香積寺所有。1559年(永禄2年)に奉納されたもので、「三川州賀茂郡足助庄飯盛山香積寺鎮守御宝前」との銘文がある。 書跡・典籍・文書 足助八幡宮縁起 豊田市指定有形文化財。1982年(昭和57年)3月18日指定。足助八幡宮所有。南北朝時代に成立したとされる、八幡宮の縁起と霊験譚が記された典籍で、続群書類従にも収録されている。天智天皇在位中(7世紀後半)から1337年(延元2年・建武4年)までの記事を載せており、前半では八幡宮の沿革、高貴な人々の行跡などが語られ、後半では地方の郷・村名や領主名などが具体的に語られているが、現在では特に後半の資料的価値が高いとされている。 考古資料 大屋敷遺跡出土品 豊田市指定有形文化財。1981年(昭和56年)3月23日指定。豊田市足助資料館所有。縄文時代中期-晩期。 今朝平遺跡出土品 豊田市指定有形文化財。1981年(昭和56年)3月23日指定。豊田市足助資料館所有。縄文時代中期-晩期。 植田遺跡出土品 豊田市指定有形文化財。1997年(平成9年)9月3日指定。豊田市足助資料館所有。大正期に田畑の耕作中に発見された青磁の皿類で、15-16世紀頃に福建省付近で焼かれたものと思われる。 北貝戸遺跡出土品 豊田市指定有形文化財。2000年(平成12年)3月7日指定。豊田市足助資料館所有。縄文時代早期。 葛沢の蓮弁文壺(れんべんもんこ) 豊田市指定有形文化財。2000年(平成12年)3月7日指定。豊田市足助資料館所有。平安時代末期に渥美窯で制作された黒色の蓮弁文壺で、昭和30年頃まで葛沢町の民家が所有していたという。 無形文化財 矢の製作技法 豊田市指定。2002年(平成14年)2月5日指定。保持者は貴重な技術を保持する全国でも数少ない矢師の一人であったが、2012年(平成24年)2月4日に死去。 有形民俗文化財 足助八幡宮の新町の山車 足助八幡宮の西町の山車 足助八幡宮の田町の山車 足助八幡宮の本町の山車 豊田市指定。1997年(平成9年)9月3日指定。 莨屋(たばこや)岡本家住宅 豊田市指定。2009年(平成21年)6月9日指定。主屋、塩座、土蔵、離れ座敷の4棟が指定されている。個人住宅。江戸時代後期に建てられたもので、明治時代中葉には足助に13軒あった塩問屋の代表格であり、塩ふみはここでも行われていた。街道に面して切妻造妻入2階建の主屋と平入2階建の塩座が並んでおり、敷地の奥手では土蔵や離れ座敷が足助川岸の石垣の上に建っている。「たばこや」という屋号が示すように、塩のみならず雑貨なども扱い、金物屋を営んだ時期もあった。現在は休眠中であるという。 史跡 今朝平遺跡 愛知県指定祭祀遺跡。1980年(昭和55年)3月28日指定。豊田市管理。縄文時代後期-弥生時代初頭。足助川右岸に今朝平川が合流する付近の河岸段丘上に位置している。1978年(昭和53年)から翌年にかけて敷地造成工事に伴い発掘調査が行われた結果、山よりの標高140メートルの地点から2基の環状配石遺構、2基の甕棺墓、石器工作場の遺構、多数の縄文土器片などが検出された。環状配石遺構のうち第1号は半径3.8メートル、円周の南端では径1メートルほどの大型の石が据えられ、その他の円周沿いでは細長い岩礫が配されており、円周の内部では20-30センチメートルほど掘りくぼめられ、その中心部に板状の石で箱型のような囲いが作られた中に土器の破砕物が埋設されていた。第1号から3メートルほど東に楕円形でやや小型の環状配石遺構第2号がある。環状配石遺構の周辺では、多数の縄文式土器片のほか、土偶破片、動物形土製品、臼形耳飾、石剣・石刀、石棒、玉類、磨製石斧、打製石斧、石皿、石鏃、石錘(せきすい)、鳥獣類の骨片などが検出されており、この環状配石は何らかの祭祀目的を帯びていたことが推察される。現在の遺構は、永久保存をはかるために土で埋め戻されており、1メートルほどの地下に眠っている。 飯盛城址 愛知県指定。1961年(昭和36年)3月30日指定。豊田市・香積寺管理。鎌倉時代-戦国時代。飯盛山にあり、山全体を要塞化した山城で、足助郷を支配した足助氏2代目惣領足助重秀が黍生城からここに居を移し、以後8代目惣領重政の頃まで足助氏の支配拠点となる。 真弓山城:城跡公園。 天然記念物 足助八幡宮のイチョウ 豊田市指定。1995年(平成7年)3月20日指定。足助八幡宮管理。樹高20.8メートル、幹周4.5メートル。地上1.5メートルのところで幹が2本に分かれており、北側の太い幹は16.5メートルまで伸びているが、南側の細い幹は13メートルのところで先が無くなっている。 足助八幡宮のスギ 豊田市指定。1995年(平成7年)3月20日指定。足助八幡宮管理。樹高45.5メートル、幹周6.8メートル、樹齢500年以上。根元部分が太く安定感があり、厚み5センチメートルの樹皮が荒々しいたたずまいを醸し出している。
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指定文化財
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 05:21 UTC 版)
独立行政法人国立公文書館所有の重要文化財は以下のとおりである。 法曹類林 3巻 本朝続文粋 13巻 - 『本朝文粋』に倣って、後一条天皇から崇徳天皇までの約120年間に作られた優れた漢詩文232編を蒐集・分類した、平安時代の漢文学の隆盛を今に伝える漢詩文集の一つ。本書は現存最古の写本で、金沢文庫の創始者・北条実時が1272年(文永9年)に書写させた。『本朝続文粋』は明治時代まで写本のみで伝来したため、誤記・異同が多く、古い時代のものが完本として伝えられるのは珍しい。 宋版廬山記 5冊 元版全相平話 5冊 - 元時代の至治年間(1321年-23年)に刊行。中国の歴史上の出来事をフィクションを交えながら面白く講談した大衆向けの歴史物語。「武王伐紂書」3巻、「楽毅図斉七国春秋後集」3巻、「秦併六国平話」3巻、「前漢書続集」3巻、「三国志」3巻の5種類を収録。本書は現存する唯一の版本で、中国文学史や書誌学の貴重な資料として世界的に知られる。題名の「全相」とは全てのページに挿絵があること、「平話」とは歴史を専門に語る講談のこと。紅葉山文庫旧蔵。 宋版周易新講義 3冊 宋版子略・史略 3冊 宋版東坡集 12冊 宋版淮海集 10冊 管見抄 9冊 宋版鉅宋広韻 5冊 宋版予章先生集 7冊 宋版頴浜先生大全文集 15冊 宋版平斎文集 12冊 宋版梅亭先生四六標準 19冊 国絵図並びに郷帳 127鋪85冊 紅葉山文庫伝来元禄国絵図8鋪、天保国絵図119鋪、天保郷帳85冊 附:元禄国絵図写8鋪、天保国絵図縮図写12鋪、天保郷帳写19冊、桐箱(天保九年勘定所墨書)4合 正保城絵図 63鋪 紅葉山文庫伝来 朽木家文書(1,066通) 38巻13冊9通 諸宗末寺帳 34冊9通 附:入目録(内一通貞享元年)2通 間宮林蔵北蝦夷等見分関係記録 14帖7鋪北蝦夷島地図并凡例(文化七年七月)1帖7鋪、北夷分界余話(文化八年三月)10帖、東韃地方紀行(文化八年三月)3帖 吾妻鏡(北条本) 51冊 北槎聞略 12冊2巻1帖9鋪 - 18世紀末ロシア大黒屋光太夫 貞享暦(巻四補写本) 7冊 渋川春海筆 庶物類纂 465冊、庶物類纂図翼 28冊 - 加賀藩主前田綱紀が稲生若水に編纂させた博物書 阿蘭陀本草和解 2冊 - 野呂元丈抄訳 自寛保元年三月至寛延三年三月書写奥書 大乗院寺社雑事記 尋尊記1巻122冊、政覚記38冊、経尋記23冊 - 興福寺大乗院門跡の日記 経覚私要鈔 82冊 - 興福寺大乗院門跡の日記 三箇院家抄 4冊 - 興福寺大乗院門跡関係の記録 尋憲記 12冊 公文録(図表共)並びに索引 4146冊1301点 - 太政官が各省と収受した明治元年-18年の公文書を、省庁別・年次別に編集したもの 江戸幕府書物方関係資料 留帳16冊、日記209冊、御触留6冊、重訂御書籍目録31冊、御文庫始末記1冊、御書物方年譜覚書1冊
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指定文化財
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/10 02:38 UTC 版)
村内には国宝1点、宝物4点、重要民俗文化財12点、慶尚北道有形文化財2点、慶尚北道記念物1点、慶尚北道民俗文化財1点、慶尚北道文化財資料1点、慶尚北道郷土文化財2点の計24点の指定文化財があり、また村自体が韓国の重要民俗文化財第189号に指定されている。 区分名称時代指定日備考国宝 第283号 通鑑続編 李朝 1995.03.10 月城孫氏 宝物 第411号 無忝堂 李朝 1964.11.14 驪江李氏 宝物 第412号 香壇 李朝 1964.11.14 驪江李氏 宝物 第442号 観稼亭 李朝 1966.04.11 月城孫氏 宝物 第1216号 孫昭肖像 李朝 1995.03.10 月城孫氏 重要民俗文化財 第23号 書百堂 李朝 1970.12.29 月城孫氏 重要民俗文化財 第73号 楽善堂 不明 1979.01.26 月城孫氏 重要民俗文化財 第74号 沙湖堂古宅 李朝 1979.01.26 驪江李氏 重要民俗文化財 第75号 賞春軒古宅 李朝 1979.01.26 驪江李氏 重要民俗文化財 第76号 謹庵古宅 李朝 1979.01.26 驪江李氏 重要民俗文化財 第77号 杜谷古宅 李朝 1979.01.26 驪江李氏 重要民俗文化財 第78号 守拙堂 李朝 1979.01.26 驪江李氏 重要民俗文化財 第79号 二香亭 李朝 1979.01.26 驪江李氏 重要民俗文化財 第80号 水雲亭 李朝 1979.01.26 月城孫氏 重要民俗文化財 第81号 心水亭 李朝 1979.01.26 驪江李氏 重要民俗文化財 第82号 安楽亭 李朝 1979.01.26 月城孫氏 重要民俗文化財 第83号 講学堂 李朝 1979.01.26 驪江李氏 慶尚北道有形文化財 第13号 敵愾功臣論賞録券 李朝 1972.12.29 月城孫氏 慶尚北道有形文化財 第14号 孫昭先生分財記 李朝 1972.12.29 月城孫氏 慶尚北道記念物 第8号 良洞のイブキ(樹木) 李朝 1974.12.10 月城孫氏 慶尚北道民俗文化財 第34号 対聖軒 李朝 1982.02.24 驪江李氏 慶尚北道文化財資料 第261号 孫宗老旌忠碑閣 李朝 1992.07.18 月城孫氏 また、世界遺産の対象範囲としては、村の周辺数kmの場所に位置する玉山書院(史跡第154号)、独楽堂(宝物第413号)、東江書院(慶尚北道記念物第114号)なども含まれている。中でも玉山書院には多数の指定文化財が保管されている。
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指定文化財
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 06:28 UTC 版)
「観音寺 (気仙沼市)」の記事における「指定文化財」の解説
厨子の他、以下が宮城県、気仙沼市から文化財に指定されている。 木造阿弥陀如来坐像(彫刻) - 1956年(昭和31年)3月12日 意馬心猿の図(絵画) - 1979年(昭和54年)1月23日 金銅装笈(工芸品) - 2009年(平成21年)4月28日
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指定文化財
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 08:46 UTC 版)
以下の建造物4棟及び土地が「自由学園明日館」の名称で重要文化財に指定されている。 中央棟 西教室棟 東教室棟 講堂 土地 4棟のうち、ライトが設計したのは中央棟と西教室棟(ともに1922年竣工)で、残りの東教室棟(1925年竣工)と講堂(1927年竣工)は遠藤新の設計である。中央棟・西教室棟・東教室棟の3棟は、前庭を囲むように「コ」の字形に配置され、講堂は上記3棟の建つ敷地から道路を挟んで反対側、西教室棟の南に東面して建つ。各建物は木造モルタル塗り仕上げで屋根を鉄板葺きとする。中央棟の中央部と講堂の北寄りを2階建てとするほかは平屋建である。中央棟の中央部分は1階の手前をホール、奥を厨房とし、2階は手前をギャラリー、奥を食堂とする。この中央部分は東・北・西の三方に突出部を設け、1階の突出部は便所(東・西)と食品庫(北)、2階の突出部は3か所とも小食堂とする(以上の室名は修理工事以前のもの)。これら突出部は遠藤新によって増築された。各建物の外観は軒高を抑え、水平線を強調する。こうしたスタイルはライトの設計した住宅建築に共通するもので、プレーリー・ハウス(草原住宅)と呼ばれている。自由学園明日館はライトの日本における代表作の一つであるとともに、プレーリー・ハウスの典型的な例として注目される。
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指定文化財
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 19:44 UTC 版)
木造漆箔薬師如来座像(もくぞうしっぱくやくしにょらいざぞう) 市指定文化財、11世紀後半から12世紀初頭ごろの製作と推定される。善光寺の旧仏と考えられる。像高89.5cm、膝張75.5cmの桧材寄木造りの身金色像で身部以外には後補の泥絵具が施されている。 木造彩色四天王像(もくぞうさいしきしてんのうぞう) 市指定文化財、平安時代後期に作られたものと思われる四天王像のうち2体。これらは本尊とともに善光寺の遺像と考えられる。どちらも一木彫成し、これを前後二分して内刳を施し、彩色を加えたもの。両像はそれぞれ持国天(像高102cm)、増長天(像高101cm)と考えられる。
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指定文化財
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/20 02:50 UTC 版)
作品名称は国宝・重要文化財指定名称に基づく。〔 〕内は美術館側で使用している名称。
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指定文化財(市指定)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/02 02:42 UTC 版)
縹糸威布袋菖蒲蒔絵仏胴(はなだいとおどしほていしょうぶまきえほとけどう) 胴の表面は黒漆が塗られており、狩野探幽が書いたとされる前面に布袋、背面に菖蒲の絵が金蒔絵で施された甲冑である。脇坂安治所用であり、豊臣秀吉から拝領したという伝承を持つものである。現在は、たつの市立龍野歴史文化資料館に保存されている。 伊予札縹糸下散紅威胴丸具足(いよざねはなだいとげさんくれないおどしどうまるぐそく) 脇坂安治所用と伝わっており、鎧全体の各部に菊や唐獅子、脇坂家家紋である輪違い紋が金蒔絵で施された甲冑である。現在は、たつの市立龍野歴史文化資料館に保存されている。
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指定文化財(市指定)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/06 09:23 UTC 版)
宇麻志神社の神馬図絵馬(平成12年3月29日指定) 絵馬には「奉掛御広前 享保十四歳己酉九月吉日」と記されており、1729年(享保14年)に拝殿へ奉納されたものである。相生市で保存されている絵馬の中では、保存状態がよく最も古い絵馬とされている。
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指定文化財
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 22:48 UTC 版)
所蔵品のうち、以下のものが国の重要文化財に指定されている。 天球儀・地球儀 渋川春海作(附:旧台座板2枚) 地球儀は1695年製、天球儀は1697年製。 万年自鳴鐘(万年時計) 田中久重作 東芝へとつながる田中製造所の創設者である田中久重によって製作された機械式の置時計。嘉永4年(1851年)作。所有者は東芝。1931年、東京科学博物館(国立科学博物館の前身)に寄託された。地球館2階で展示。詳細は万年自鳴鐘を参照のこと。 天体望遠鏡(8インチ屈析赤道儀)英国製 1880年(明治13年)、明治政府によりイギリスから輸入された天体観測用望遠鏡。トロートン&シムズ社製。日本に輸入された最初の本格的かつ最大の望遠鏡。1967年まで国立天文台で使用された。日本館1階南翼で展示。 ミルン水平振子地震計(附:地震記録41巻) 日本に現存する最古の地震計。1899年に東京帝国大学構内に設置されたもの。イギリス出身の鉱山技師で地震学者のミルンによる考案。ミルンは1876年に工部省工学寮の教師として招かれ来日、日本の地震や火山活動に関心を強め、地震の観測と研究のために地震計を考案した。この型の地震計は世界各地に配置され、初の世界規模の地震観測網となった。日本館1階南翼に展示。 蘇言機(錫箔蓄音機)英国製(附:木箱) 日本に初めて伝えられた蓄音機。イギリス人のA.ユーイング(James Alfred Ewing)がエジンバラのJ.Milne & Son Makersに製作させ、日本に持参した。1878年11月16日、東京大学理学部の一ツ橋の実験室(現在の学士会館の位置にあった)において、日本で最初に音を記録、再生した。複製品を地球館2階に展示。 また、日本館が「旧東京科学博物館本館」として2008年6月に重要文化財に指定されている。詳細は下記を参照のこと。
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指定文化財
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 23:01 UTC 版)
「朝日寺 (瀬戸内市)」の記事における「指定文化財」の解説
薬師如来坐像(瀬戸内市指定重要文化財) 如法経法会(瀬戸内市民俗無形文化財) いわゆる投げ銭供養のこと。紙に包んだ賽銭を投げて故人を供養する、全国的にも珍しい行事。江戸時代に始まったといわれ、毎年夏に行なわれている。
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指定文化財
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 08:53 UTC 版)
宝蔵寺沼ムジナモ自生地(1966年5月4日・国の天然記念物) 勘兵衛マツ(1926年2月19日・県指定天然記念物) 川俣関所跡(1961年9月1日・県指定旧跡) 川俣締切跡(1963年8月27日・県指定旧跡) 永明寺古墳(1976年10月1日・県選定重要遺跡。1961年11月6日・市指定史跡) 羽生城跡(1971年12月5日・市指定史跡) 葛西用水取入口跡(1973年10月1日・市指定史跡) 堀越家五輪塔(1989年7月11日・市指定史跡) 伝堀越館跡(2001年9月26日・市指定史跡) 桑崎砂丘(2017年3月24日県指定天然記念物)
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指定文化財
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/02 21:40 UTC 版)
御津町内の指定文化財は、以下のとおり(「指定者」「所有者」欄の表記は、豊川市との合併前のもの)。 指定者種別名称所在所有者指定年月日国 重要文化財(絵画) 絹本著色王宮曼荼羅図 広石 大恩寺 1918年4月8日 重要文化財(彫刻) 木造千手観音立像 赤根 法住寺 1931年12月14日 愛知県 有形文化財(建造物) 大恩寺山門 広石 大恩寺 1954年2月5日 有形文化財(絵画) 蓮の図 広石 大恩寺 1958年6月21日 阿弥陀廿五菩薩来迎図 広石 大恩寺 1958年6月21日 有形文化財(彫刻) 木造阿弥陀如来坐像 広石 大恩寺 1958年3月29日 有形文化財(考古資料) 広石の銅鐸 広石 個人 1974年7月3日 有形民俗文化財 引馬神社の算額 御馬 引馬神社 1999年11月26日 御津町 有形文化財(建造物) 佐脇神社摂社五社宮(御所宮)本殿 下佐脇 佐脇神社 1982年9月29日 有形文化財(絵画) 下佐脇村梅藪村の蛤取場諍論の論所絵図 下佐脇 佐脇神社 1996年3月1日 敬円寺の方便法身尊形図 御馬 敬円寺 1996年3月1日 有形文化財(工芸品) 仲仙寺の梵鐘 金野 仲仙寺 1994年3月10日 御津神社の梵鐘 広石 御津神社 1994年3月10日 御津神社の鰐口 広石 御津神社 1996年3月1日 佐脇神社の鰐口 上佐脇 佐脇神社 1997年2月28日 引馬神社の鰐口 御馬 引馬神社 1997年2月28日 御津神社の鰐口 広石 御津神社 1997年2月28日 御津神社の鰐口 広石 御津神社 1997年2月28日 有形文化財(書跡) 御津神社の大般若経 広石 御津神社 1994年3月10日 大恩寺文書 広石 大恩寺 1995年1月24日 法住寺文書 赤根 法住寺 1995年1月24日 渡辺富秋文書 広石 御津町 1995年1月24日 切支丹訴人制札 上佐脇 佐脇神社 1997年2月28日 有形文化財(考古資料) 渥美刻文壺 広石 御津町 1992年1月23日 有形民俗文化財 引馬神社八幡社の笹踊りの衣裳 御馬 引馬神社 1970年3月19日 引馬神社八幡社の祭礼笹踊り七福神踊り 御馬 引馬神社 1970年3月19日 萩原神社祭礼の獅子舞神楽 赤根 萩原神社 1970年3月19日 長松寺のどんき 下佐脇 長松寺 1997年2月28日 史跡 河原田遺跡 上佐脇 個人 1969年2月3日 長床遺跡 付出土土器 御馬 御津町 1969年2月3日 穴観音古墳 豊沢 大岩寺 1969年2月3日 船山古墳 広石 御津神社 1969年2月3日 万葉遺跡山下橋付近 泙野 御津町 1969年2月3日 茂松城跡 広石 個人 1969年2月3日 御馬城跡 御馬 御津町 1969年2月3日 佐脇城跡 下佐脇 朝日工業 1969年2月3日 竹本城跡 広石 個人 1969年2月3日 西方古塁 西方 個人 1969年2月3日 横穴古墳群 金野 個人 1970年3月19日 弥勒寺跡 豊沢 個人 1970年3月19日 持統上皇御所宮行在所跡 下佐脇 個人 1970年3月19日 万葉遺跡引馬野 御馬 引馬神社 1970年3月19日 御馬湊 付御城米積立場跡 御馬 御津町 1970年3月19日 丹野城跡 金野 個人 1974年3月18日 佐脇刀祢太夫の墓 下佐脇 下佐脇区 1980年9月1日 天然記念物 観音寺の大楠 上佐脇 観音寺 1969年2月3日 熊野神社の藤 金野 熊野神社 1969年2月3日 広幡神社のヤマモモ 西方 広幡神社 1992年1月23日 灰野のナシ 金野 個人 1992年1月23日 灰野のヤブニッケイ 金野 個人 1992年1月23日 松沢寺のヤマザクラ 金野 松沢寺 1992年1月23日 御津神社のクスノキ 広石 御津神社 1992年1月23日 大日如来堂のアベマキ 広石 越川組他 1992年1月23日 御津山のヒメハルゼミの棲息地 広石 御津町 1996年3月1日
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指定文化財
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/23 14:34 UTC 版)
2010年(平成22年)4月1日現在、当町には国指定1件、県指定5件、町指定29件の計35件の文化財が存在する。 国指定文化財 鉄造薬師如来坐像(重要文化財。鎌倉時代に造立) 栃木県指定文化財 紙本着色 蝉丸図 木造出山釈迦像 紙本金泥文殊菩薩像 軍装軍役掟書 薙刀 銘 作陽幕下士細川正義 西方町指定文化財 さいかちの木 愛宕神社 八百比丘尼尊像 宇都宮領境界標 聖観音立像 真上のけやき しだれ桜 田崎草雲墓地 洞雲寺の大銀杏 木造薬師如来坐像 甕棺及び同蓋 二城院開山不動明王 千手観世音立像 皆川廣勝 官途状写 金剛童子 徳川秀忠黒印状 藤田信吉知行宛行状 西方綱吉官途状(渡辺四郎兵衛宛て) 西方綱吉官途状(中新井主水丞宛て) 平出雪耕 紙本水墨画「鷹図」 田崎草雲 紙本墨画淡彩「農家団欒図」 田崎草雲 紙本墨画淡彩「鉄馗の図」 藤田能登守信吉 五輪塔 大沢田太々神楽 福正寺向拝彫刻 福田棠陰 絹本着色「花鳥図」 福田棠陰 絹本着色「秋影山水図」 宇都宮国綱書状 孝山(小山秀綱)書状
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「指定文化財」の例文・使い方・用例・文例
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