1980年のテレビ (日本)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/21 11:07 UTC 版)
番組関係のできごと
1月
- 1日
- この日未明、ライオン(旧ライオン歯磨・ライオン油脂)の一社提供による同社の発足記念特番として、TBS制作により全民放テレビ各局で『ライオンスペシャル・'80年未来をこの手に!』が放送された。但しびわ湖放送(独立局)は同局の大株主である滋賀県の方針によりネットされなかった。びわ湖放送でのネット中止については「びわ湖放送#備考」を参照
- TBS系で、芸能人隠し芸番組『超豪華!番組対抗かくし芸大会』をこの年から開始。日本テレビ系の『番組対抗かくし芸大会』と同系列の番組ではあるが、隠し芸と隠し芸の合間に、TBS系で放送されているクイズ番組(『クイズ100人に聞きました』→『クイズ天国と地獄』→『ザ・チャンス!』)に出場者が挑戦するのが異なる。司会は愛川欽也(1984年のみ関口宏)。
- この日未明、ライオン(旧ライオン歯磨・ライオン油脂)の一社提供による同社の発足記念特番として、TBS制作により全民放テレビ各局で『ライオンスペシャル・'80年未来をこの手に!』が放送された。但しびわ湖放送(独立局)は同局の大株主である滋賀県の方針によりネットされなかった。
- 6日 - NHK大河ドラマ第18作『獅子の時代』(主演:菅原文太)放送開始。菅原にとってこれがテレビドラマ初主演となった( - 12月21日、全51回)。
- 13日 - テレビ朝日系のクイズ番組『象印クイズ ヒントでピント』の白組キャプテンを半年間務めたイラストレーターの山藤章二が降板。翌週20日から作曲家の小林亜星に交代[1]。
2月
3月
- 3日 - TBS系、前週までの『ベルトクイズQ&Q』の流れを一部継承した新クイズ番組『スーパーダイスQ』(司会・土居まさる)放送開始( - 1984年3月30日)。
- 20日 - 関西テレビ・フジテレビ系で桂三枝(現・六代目桂文枝)と女性著名人の1対1によるトーク番組『三枝の爆笑美女対談』が放送開始( - 1987年3月29日)。
- 22日 - テレビ朝日系土曜19時30分枠の児童向けドラマ『あばれはっちゃくシリーズ』の第2作『男!あばれはっちゃく』(主演:栗又厚)放送開始( - 1982年3月27日)。
- 29日 - 日本テレビの土曜昼の演芸番組『やじうま寄席』が終了、9年の歴史に幕。
- 30日
- 31日
4月
- 1日
- 1965年10月開始以来14年半にわたって9:00 - 10:30枠だったフジテレビ系『小川宏ショー』が、この日より8:30 - 9:55に変更(30分繰上げ、5分縮小)、これにより日本テレビ系『ルックルックこんにちは』、TBS系『モーニングジャンボ奥さま8時半です』、テレビ朝日系『モーニングショー』と共に、東京12チャンネル(現・テレビ東京)を除く在京局全ての朝のワイドショーが8:30開始となった。また4日後の5日には関西テレビ制作のワイドショー『ハイ!土曜日です』も、30分繰上げて8:30開始に変更された[注 2]。
- 関西テレビ・フジテレビ系で千葉真一主演で『服部半蔵 影の軍団』(東映制作)がスタート。本作は千葉主演でシリーズ化され、1985年の『影の軍団 幕末編』迄、計5作が放映された。
- 2日 - TBS系水曜19時台前半枠で、円谷プロダクション製作によるウルトラシリーズでは5年ぶりとなる特撮ドラマ『ウルトラマン80』が放送開始( - 1981年3月25日、全50回)。
- 3日 - 日本テレビ系で初の2時間ドラマ枠『木曜ゴールデンドラマ』(読売テレビ制作)新設( - 1991年。後に『ドラマシティ』と改称)[注 3]。
- 5日 - NHK総合『スタジオ102』がこの日で放送終了、15年の歴史に幕[4]。
- 6日
- 7日 - NHK、新年度編成を開始。
- 12日 - 日本テレビ系でお笑いオーディション番組『お笑いスター誕生!!』(司会:山田康雄、中尾ミエ)が放送開始。同番組からB&B、とんねるず、イッセー尾形、小柳トム(現:ブラザートム)らを輩出( - 1986年9月27日)。
- 24日 - TBS系で橋田壽賀子の脚本によるテレビドラマ『心』(主演:宇津井健)[7]がこの日から放送開始( - 1981年1月29日)。
- 26日 - NHK教育で、NHK交響楽団(N響)のクラシック音楽番組『N響アワー』放送開始( - 2012年3月)。
5月
- 5日 - テレビ朝日系で、モスクワオリンピックを2か月後に控え、同五輪関連の大型特別番組『オリンパソン'80』を放送(8:30 - 翌6日1:30)[8]。
6月
- 1日 - 関西テレビ・フジテレビ系の『花王名人劇場』において、画家の山下清をモデルにしたコメディドラマ『裸の大将放浪記』(主演:芦屋雁之助)の第1作を放送[9]。
- 12日 - 大平正芳内閣総理大臣がこの日未明に死去。NHKや民放各局のニュース・ワイドショーは終日、大平の訃報や追悼特別企画を中心とした内容になった。
- 23日 - この日の前日(22日)に行われた衆参同時選挙(第36回衆議院議員総選挙と第12回参議院議員通常選挙)の翌日開票関係の番組にて、日本初の音声多重の2音声多重放送(副音声に同じ言語(日本語放送の場合なら同じ日本語)での補足的な内容を流す放送。別名「解説放送(かいせつほうそう)」とも言う)が行われる。キー局では日本テレビ、フジテレビ、テレビ朝日、東京12チャンネルが実施した。[10]
- 23日 - フジテレビ系の歌謡番組『夜のヒットスタジオ』、箱根・芦ノ湖湖畔の「箱根園庭園」から生放送。ところが濃霧がかかってしまう。
7月
- 19日〜8月3日 - モスクワオリンピックが開催、テレビ朝日系で大会独占放送。
- 22日 - フジテレビ系で恒例特番『オールスター紅白水泳大会』を『火曜ワイドスペシャル』枠で放送。この回は放送枠を19:30 - 21:24(通常は20:00 - 21:24)に拡大して放送、史上唯一の「2時間枠」、そして「『火曜ワイドスペシャル』版では初の19時台開始」となった。なお総合司会は井上順と桜田淳子が担当、お馴染みのおりも政夫はアグネス・ラムと共に「進行役」を務めた。
8月
- 17日 - この日昼前、静岡市の国鉄(現:JR)静岡駅前の地下街でガス爆発事故が発生。NHKや民放各局は予定を変更して事故関連の報道特別番組を編成した。
- 30日〜31日 - 日本テレビ系でこの年3回目の『24時間テレビ 「愛は地球を救う」3』を放送。この年から徳光和夫(日本テレビアナウンサー、当時)が総合司会となり[注 4]、以後2010年(第33回)まで31年に亘り総合司会を務めた[注 5]。
9月
- 28日
- 日本テレビ系の子供番組『おはよう!こどもショー』が、15年弱の歴史に幕。なお番組は前年(1979年)3月より『ズームイン!!朝!』設置のため、土・日のみの放送となっていた。
- フジテレビ系日曜19時台前半枠で、いしいひさいち原作のホームギャグアニメ『おじゃまんが山田くん』が放送開始( - 1982年10月10日)。
- テレビ朝日系のクイズ番組『象印クイズ ヒントでピント』はこの日、紅組キャプテンの佐良直美(女優)が降板。
- 29日 - 日本テレビ系のクイズ番組『ほんものは誰だ?!』が放送終了、6年半の歴史に幕。後継番組は引き続きロート製薬一社提供による、前番組のコンセプトを継承した『推理クイズ・私がほんもの!』( - 1981年3月)。
10月
- 1日 - フジテレビ系平日正午枠で、帯バラエティ番組『笑ってる場合ですよ!』が放送開始。新宿・スタジオアルタからの公開生放送( - 1982年10月1日。後の『笑っていいとも!』へ継承)。
- 4日 - TBS系土曜22時枠で報道番組『JNN報道特集』放送開始(1982年4月より日曜18時枠へ移動、2008年3月まで27年半にわたって続く。後に土曜17時30分枠で『報道特集NEXT』を経て現在の『報道特集』と改め継続中)。
- 5日 - テレビ朝日系のクイズ番組『象印クイズ ヒントでピント』がリニューアル。セットが一新し男性軍・女性軍の名称が「スペード軍」「ハート軍」となる。また新レギュラーにハート軍に久里千春(2枠)が登板。これに合わせて中島梓がキャプテンに昇格[12]。
- 6日
- 14日
- フジテレビ系『火曜ワイドスペシャル』で『第18回オールスター紅白大運動会』を放送(総合司会:土居まさる。開催場所:品川プリンスホテル内に当時存在した「ゴールドホール」)。
- テレビ朝日系で『柳生あばれ旅』(主演:千葉真一)がスタート。同局系で千葉主演の時代劇は初めてであり、1982年には続編『柳生十兵衛あばれ旅』が放送された。
- 22日 - 日本テレビ系『ズームイン!!朝!』で、巨人・長嶋茂雄監督(当時)の解任を巡る騒動について、司会の徳光和夫[注 7]が、番組開始から30分近くに亘りこの件を批判した[注 8]。
11月
- 11月3日〜13日 - 朝日放送(現・朝日放送テレビ)がアメリカ・イギリス・西ドイツの放送局と組んで制作した宇宙科学ドキュメンタリー『コスモス』が22時台にテレビ朝日系で放送する[13][14]。
- 14日 - 朝日放送・テレビ朝日系で松竹芸能制作のアクションドラマ『ザ・ハングマン』放送開始。1987年まで7作にわたって続くシリーズとなった。
12月
- 3日 - 日本テレビ系で鐘紡(現:クラシエホールディングス)の一社協賛によるスペシャルドラマ企画「カネボウヒューマンスペシャル」(読売新聞社・日本テレビ主催)第1回作品『小児病棟』(主演:桃井かおり)放送。以後「カネボウヒューマンスペシャル」は2000年まで年1回ペースで継続、計20作品が制作・放送された。
- 25日
- 26日 - フジテレビ系の視聴者参加型クイズ番組『クイズグランプリ』が放送終了、10年の歴史に幕。
- 28日 - TBS系の視聴者参加歌謡番組の草分け『家族そろって歌合戦』が終了、14年8カ月の歴史に幕。
- 31日
- フジテレビ系で、大晦日の風景を映しながら、年内に起きた事件や世相に関する演芸を披露する生放送演芸バラエティ番組『笑って笑って大みそか』をこの年から開始( - 1988年)。
- TBS系で『第22回輝く!日本レコード大賞』放送。大賞は八代亜紀の「雨の慕情」。
- 『第31回NHK紅白歌合戦』放送。この年の司会は紅組を黒柳徹子、白組を山川静夫(NHKアナウンサー、当時)、総合司会を中江陽三(同)がそれぞれ務めた。平均視聴率71.1%(関東地区、ビデオリサーチ調べ)。
注釈
- ^ a b スタジオアルタが開業し『日本全国ひる休み』第1回放送があった3月31日は、34年後の2014年に『笑っていいとも!』の最終回を放送し、さらに2年後の2016年の同日をもってスタジオ業務を終え[2]、現在は多目的劇場「アルタシアター」となっている。
- ^ なお、これに伴い、平日8:30と土曜8:00のアニメ再放送枠『あつまれ!チビッコ劇場』(関東ローカル)は平日放送を廃止、そしてその『チビッコ劇場』と共に土曜8:30のドキュメンタリー番組『世界の先生たち』は双方とも30分繰り上がったため、子供番組『ママとあそぼう!ピンポンパン』(月 - 土7:30)は前週の3月29日の放送をもって土曜放送を廃止、以後1982年3月31日に終了するまで、『ピンポンパン』は平日限定放送となる。
- ^ 日本テレビ制作では1981年開始の『火曜サスペンス劇場』が初。
- ^ この年は萩本欽一とコンビで担当[11]。
- ^ 2011年(第34回)はチャリティマラソンランナーを務め、同年からは総合司会を後輩アナウンサーの羽鳥慎一(この年3月に退社、現在は徳光と同様フリーアナウンサー)に交代(以降は羽鳥の他、やはり後輩である桝太一や水卜麻美らも担当している)。2012年(第35回)以降もチャリティサポーターとして番組に参加しており(2012年はマラソンのスターターも務めた)、現在もなお『24時間テレビ』に関わっている。
- ^ 『NTV紅白歌のベストテン』の特番。
- ^ 徳光は長嶋の出身大学である立教大学の後輩であり、巨人ファンでもある。
- ^ この件については後年『行列のできる法律相談所』で紹介されたほか、徳光がマラソンランナーを務めた2011年の『24時間テレビ「愛は地球を救う」34』でも紹介された。
- ^ 全日帯においてはNHK総合が首位であった。また、翌1981年春の調査で、1980年の年度視聴率においても、TBSは3冠王を達成したが、あくまでも在京民放局の中での首位であった(全日首位はNHK総合で、TBSはゴールデンタイムとプライムタイムの2冠であった)。
- ^ 事前にサービス放送を両局共に、同年6月21日から開始している。
- ^ 関西ローカル時代から通算して5周年。
- ^ 日本初のステレオ放送によるレギュラーテレビドラマ。
- ^ 跡地は現在、有楽町マリオンとなっている。
- ^ 当初は関西ローカルで、一部地域にも番販ネットされた。約3年後の1983年3月6日からテレビ朝日系列の全国ネット番組に昇格した。
- ^ a b c d e 火曜ワイドスペシャル
- ^ a b 土曜スペシャル
- ^ a b c 木曜スペシャル
- ^ 前回は1979年12月29日「土曜スペシャル」で『爆笑!激笑!!今年の笑いおさめだ79重大ニュース』として放送。→1979年12月も参照
- ^ 1976年 - 1978年放送の『わんぱくチビッコ大集合!』から始まった、フジテレビ大晦日ゴールデンタイムでの子供向け番組最終作。
- ^ 日本テレビ系全国ネット番組「日曜スペシャル」枠での放送
出典
- ^ 「亜星登場ムード一変!逆転・逆転また逆転!」 読売新聞、朝日新聞、毎日新聞、産経新聞、日本経済新聞、報知新聞(1980年1月20日付のテレビ欄)より。
- ^ “いいとも“聖地”スタジオアルタ、3月いっぱいで休止 新宿アルタは継続”. スポーツ報知. (2016年3月3日) 2016年3月4日閲覧。
- ^ a b 朝日新聞 1980年3月31日 朝刊 P.24 テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
- ^ 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'80』日本放送出版協会、1980年、93頁。
- ^ 「竹下景子ガンバル 新メンバー3人登場!」 読売新聞、朝日新聞、毎日新聞、産経新聞、日本経済新聞、報知新聞(1980年4月6日付のテレビ欄)より。
- ^ 「クイズヒントでピント」おしゃれまとめの人気アイデア|Pinterest|é¦æ ä¸æ | クイズ
- ^ 橋田脚本の「渡る世間は鬼ばかり」のプロトタイプ的作品である。
- ^ a b 日本民間放送連盟(編)「放送日誌(55年5月)」『月刊民放』第10巻第8号、日本民間放送連盟、1980年8月1日、50頁、NDLJP:3470936/26。
- ^ 伊予田康弘[ほか]著『テレビ史ハンドブック』自由国民社、1998年、112頁。ISBN 978-4426747015。
- ^ 朝日新聞 1980年6月23日 朝刊24ページ テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
- ^ アーカイブ 2007年10月24日 - ウェイバックマシン
- ^ 「新メンバーを加え、今夜ツービート登場!」 読売新聞、朝日新聞、毎日新聞、産経新聞、日本経済新聞、報知新聞(1980年10月5日付のテレビ欄)より。
- ^ 朝日放送社史編修室/編集『朝日放送の50年 1 本史』2000年、235-236頁。
- ^ 伊予田康弘[ほか]著『テレビ史ハンドブック』自由国民社、1998年、110頁。ISBN 978-4426747015。
- ^ a b “『ギャグゲリラ』のテレビ番組があった?”. 赤塚不二夫保存会/フジオNo.1 - gooブログ (2017年11月5日). 2021年12月2日閲覧。
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- ^ 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'81』日本放送出版協会、1981年、29頁。
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- ^ 西日本放送の歴史 沿革(西日本放送)(2023年11月20日閲覧)
- ^ 開局二十周年記念事業委員会社史編纂専門部会 編『長野放送二十年の歩み』長野放送、1989年、119頁。
- ^ 信濃毎日新聞 1980年6月30日 夕刊 P.8 テレビ欄 「SBC・NBSの音声多重放送 あすから本格開始 記念番組を編成しPR」(信濃毎日新聞データベースで閲覧)
- ^ 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'81』日本放送出版協会、1981年、11,214頁。
- ^ 開始日前日に、本免許を取得して開始。「石川テレビの50年 停波事故を乗り越えて」(2019年4月25日、石川テレビ放送発行)84ページ。
- ^ 新潟放送『新潟放送40年のあゆみ』新潟放送、1992年10月15日、434頁。
- ^ 新潟日報 1980年11月29日朝刊 P.24 テレビ欄 及び P.5 BSN新潟放送広告「BSNテレビで、きょう開始 音声多重放送」(新潟日報マイクロフィルム版で閲覧)
- ^ a b c 1980年10月11日(土) - プレイバック!TVガイド ~あのころのテレビはこうだった!~ - テレコ!
- ^ a b 朝日新聞 1980年4月8日 朝刊 P.24 テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
- ^ 故大平首相葬儀 - NHKクロニクル
- ^ a b 朝日新聞 1980年1月1日 朝刊P.27 元旦テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
- ^ 朝日新聞 1980年4月6日 朝刊P.24 テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
- ^ 朝日新聞 1980年5月3日 朝刊P.24 テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
- ^ 朝日新聞 1980年5月4日 朝刊P.24 テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
- ^ 朝日新聞 1980年6月22日 朝刊P.24 テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
- ^ 朝日新聞 1980年8月8日 朝刊 P.24 テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
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