醤油 概要

醤油

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/15 16:31 UTC 版)

概要

大豆小麦トウモロコシ砂糖グルコースを原料とし、麹菌乳酸菌出芽酵母による複雑な発酵過程を経て生成される。その過程でアルコールバニリン等の香気成分による香り、大豆由来のアミノ酸によるうまみ、同じく大豆由来のメチオノールによる消臭作用と、乳酸酢酸などの酸味、小麦由来のによる甘みを生じる。なお、赤褐色の色調は、主にメイラード反応によるものである。

鉄分コウジカビの生育に悪影響を与えるので鉄分の少ない水を使用する[1]。鉄分が少ない方が色が薄く仕上がる[2]

日本料理調理の根幹を担う調味料であり、そのままかけて使う方法の他に、煮物の味付けや汁物やタレのベースにもなる。天ぷら江戸前寿司蕎麦などにも利用される、日本の食文化の基本となっている調味料である。一般家庭および飲食店でも醤油差しに入れられて食卓に出される。料理にかけたり少量を小皿に注ぎ・浸す、「つけ・かけ」用途に用いられる。製菓材料としては、煎餅など塩味の菓子のみならず、甘い菓子にも用いられる。主要な産地は千葉県・兵庫県で、全国的には濃口醤油が一般的である。その他の地域でも関西の薄口醤油や九州の甘口醤油など地域の食文化に合わせた醤油が生産されている。醤油の多様性は幅広く、狭い地域限定のマイナーなものまで含めれば様々な種類の醤油が作られている。単なる伝統製法に留まらず、醤油を巡る技術革新は継続しており、21世紀に入ってからは、透明醤油という料理の色を変えない醤油も販売されている[3][4]

名称

日本における初出には諸説あるが、15世紀ごろから用例が現れる。文明6年(1474年)成立の古辞書『文明本節用集』(ぶんめいぼんせつようしゅう)に、「漿醤」に「シヤウユ」と読み仮名が振られている。「醤油」の表記は上記「漿醤」から約100年後の『多聞院日記永禄11年(1568年)10月25日の条に登場する[5]。しかし『鹿苑日録』天文5年(1536年)6月27日条には「漿油」と表記されており、「シヤウユ」の漢字表記はこちらの方が古い可能性が高い。また、初期には「醤油」の「油」を漢音読みして「シヤウユウ」と発音されることもあった[6]

当て字を用いて正油と書く事がある[7]

調味料を料理に用いる順番を表す語呂合わせの「さしすせそ」では、「せ」にあたり、「せうゆ」と表記されるが、歴史的仮名遣では「しやうゆ」と書くのが正しい。ただし「せうゆ」という仮名遣も、いわゆる許容仮名遣として広く行われていた。

したじという別名もあり、これは吸い物の下地の意から[8]取られている。むらさきという別名の語源は諸説あるが、高価な調味料だった醤油が、高貴なものの象徴である紫色に近かったことから[8]とも、江戸時代筑波山麓で多産され、筑波山の雅称峰(しほう)であったことから[9][10][11][12]とも言われる。

歴史

起源

日本の醤油のルーツは諸説ある。文献上記録されている最古のルーツは中国の「」とされる[13]

中国大陸の醤

古代中国大陸の(ひしお・ジャン)をルーツとする説[14] で、「」は広義に「食品の塩漬け」のことを指す[7][注釈 1]についての最初の文献は、周王朝初期の古書『周礼』とされており、獣・鳥・魚などの肉を原料とした塩辛の類の肉醤(ししびしお)、魚醤(うおびしお)だった[13]

穀醤(こくびしお)がはじめてあらわれるのは、湖南省から出土した紀元前2世紀(前漢時代)とされる[13]。そして紀元1世紀(後漢時代)『論衡』に豆醤の記述が、さらに6世紀中頃(南北朝時代)に執筆された農書斉民要術』に、蒸した豆と、食塩を発酵させてを仕込む方法が記載されている[13]

日本では「の類い」(果物・野菜・海草などを材料とした草醤、魚による魚醤、穀物による穀醤の3種)が縄文時代から弥生時代にあったとされているが、文献には残されておらず[13][15]、本格的に醤が作られるようになったのは、中国大陸からの「唐醤」(からびしお)や、朝鮮半島からの「高麗醤」(こまびしお)の製法が伝えられた、大和朝廷時代頃だった[13][16][17]

文献上で日本の「」の歴史をたどると、701年(大宝元年)の『大宝律令』には、醤を扱う「主醤」という官職名が見える。また923年(延長元年)公布の『延喜式』には大豆3石から醤1石5斗が得られることが記されており、この時代、京都には醤を製造・販売する者がいたことが分かっている。また『和名類聚抄』では、「醢」の項目にて「肉比志保」「之々比之保」(ししひしほ)についてふれており、「醤」の項目では豆を使って作る「豆醢」についても解説している。

多聞院日記」の1576年の記事では固形分と液汁分が未分離な唐味噌から液を搾り出し唐味噌汁としていたとあり、これが現代で言う醤油に相当すると考えられている[18]

たまり

文献上に「たまり」が初出したのは1603年(慶長8年)に刊行された『日葡辞書』で、同書には「Tamari. Miso(味噌)から取る、非常においしい液体で、食物の調理に用いられるもの」との記述がある。また「醤油」の別名とされている「スタテ(簀立)」の記述が同書に存在し、1548年(天文17年)成立の古辞書『運歩色葉集』にも「簀立 スタテ 味噌汁立簀取之也」と記されている。

発祥・起源については諸説あり、定かとはなっていない。

鎌倉時代の僧によって偶然できた説
メーカーのヤマサ醤油によれば、たまりの元となるものを作ったのは、鎌倉時代、紀州由良(現在の和歌山県日高郡)の興国寺の僧であった心地覚心(法燈円明国師、1207年 - 1298年)であり、覚心が南宋で覚えた径山寺味噌(金山寺味噌)の製法を紀州湯浅の村民に教えている時に、仕込みを間違えて偶然出来上がったものが、今の「たまり醤油」に似た醤油の原型だとしている[19]
金山寺味噌を由来とする説
伝承によれば13世紀頃、南宋鎮江(現中国江蘇省鎮江市)の金山寺で作られていた、刻んだ野菜味噌につけ込む金山寺味噌の製法を、紀州(和歌山県)の由良興国寺の開祖・法燈円明国師(ほっとうえんみょうこくし)が日本に伝え、湯浅周辺で金山寺味噌作りが広まった。この味噌の溜(たまり)を調味料としたものが、現代につながるたまり醤油の原型とされる[20]。ただし、この伝承を裏付ける史料は見つかっていない。
斉民要術発祥説
たまり醤油の歴史は中国大陸においては後漢代にまで遡る。特に500年代に記された『斉民要術』には現代の日本の味噌に似た豆醤の製造法と、その上澄み液から作る黒くて美味い液体「清醤」の製造法が詳細に記述されており、その製造法や用途から清醤が現代のたまり醤油の原型であると理解されている。たまり醤油が中国で普及していった過程において、その製造法が日本にも伝来したとする説である。

たまり醤油から本格醤油へ

文献に登場しはじめた時代のたまり醤油は、原料となる豆を水に浸してその後蒸煮し、味噌玉原料に麹が自然着生(自然種付)してできる食用味噌の製造過程で出る上澄み液(たまり)を汲み上げて液体調味料としたもの。発酵はアルコール発酵を伴わない。また納豆菌など他の菌の影響を受けやすく、澄んだ液体を採取することは難しかった。この製法によるたまり醤油は16世紀を描いた国内の文献に多く現れ、17世紀に江戸幕府が開かれると、人口の増加に伴い上方のたまり醤油が、清酒や油などとともに次々と江戸へ輸送されていく[21]

木桶で職人がつくる、現代につながる本格醤油は、酒蔵の装備を利用し酒造りとともに発展したため、麹は蒸した原料にコウジカビを職人が付着させ、原料の表面に麹菌を増殖させる散麹(ばらこうじ)手法をとる。麹は採取し、保存しておいて次の麹の種にする友種(ともだね)という採取法も取られている。発酵はアルコール発酵を伴う。コウジカビを用いたこのタイプは、17世紀末に竜野醤油の草分けの円尾家の帳簿に製法とともに「すみ醤油」という名前で現れている。18世紀になると、大量生産の時代に入っていく[21][22]

17世紀の日本国外輸出

安土桃山時代から江戸時代になると、泉州産の物が名産として、全国に流通するようになる[23]。この堺産醤油の日本国外への輸出は1647年(正保4年)に出島オランダ東インド会社によって開始された[24]。この当時は樽詰めされた物が一般的だった。最初は東アジアへ、18世紀には欧州へ輸出された。伝承によればルイ14世の宮廷料理でも使われたという[25]。当時の記録によると腐敗防止のために、一旦沸騰させて陶器に詰めて歴青で密封したという。用いられたのは「コンプラ瓶」と呼ばれた波佐見焼であり、多数が現存する。なお、「コンプラ瓶」が使用され始めたのは、1790年(寛政2年)からである[26]ロシアの文豪トルストイは書斎の一輪挿しにしていた[25]

日本産醤油の存在はヨーロッパに流入する以前から、ケンペルの『珍奇な楽しみ』やダンピアの『続世界一周旅行』などの旅行記によって知識として紹介されていた[27]ツンベルクは「日本の物は中国の物より遥かに上質である」と記している[24]。醤油が流入しはじめた18世紀中葉以降にはディドロの『百科全書』などの辞書や事典に醤油の項目が登場するが、当時の多くの書籍で醤油はローストビーフの肉汁から作られると解説されており、その誤解は20世紀に至るまで残り続けた[27]

濃口醤油・淡口醤油の登場

うすくち醤油(左)、こいくち醤油(右)

「濃口醤油」と「淡口醤油」の違いは、色や香りの違いである[28]

江戸時代初期までは、日本での主流は色の濃いたまり醤油であり、主な産地は上記の湯浅に代表される近畿讃岐引田小豆島)であった。しかし、たまり醤油は生産量が需要に追いつかなかった。

1640年代頃、寛永年間、巨大な人口を抱えて一大消費地となっていた 江戸近辺において、上方(関西の大阪近辺)から輸送される薄口の下り醤油は高級品として扱われていたため、関東で作る安価な「関東地廻り醤油」(現在の濃口醤油)が考案された。江戸は、材料となる行徳の塩、関東平野の穀物生産地、それを運ぶための水運など立地に恵まれており、特に下総国の野田銚子が生産地として大きく発展し、今日に至る。

「うすくち醤油」は、1666年(寛文6年)に揖保郡龍野(現在の兵庫県たつの市)で円尾孫兵衛が醤油もろみに米を糖化させたものを混ぜることにより色の薄い醤油を創り出したのが最初と言われている。元々は龍野でのみ消費されていたが、18世紀半ばに京都への出荷が本格化した。

1781年(天明元年)には、玖珂郡柳井津(現在の山口県柳井市)の高田伝兵衛によって「甘露醤油」(「再仕込み醤油」「さしみ醤油」)が開発されている。

明治以降、第二次世界大戦前までの醤油

幕末の1864年(元治元年)、物価高に悩んだ幕府が市場に値下げ令を発した際、商品の品質保持を理由に野田銚子の7銘柄は「最上醤油」の名称で従来価格で販売する許可を得た[要出典]

明治時代初期には醤油産業自体、手工業的要素が強かったが、1882年(明治15年)以降、科学的な手法の研究が進み、醸造技術や企業形態の近代化が徐々に進んでいった[29]

生活必需品である事に目をつけた明治政府は「醤油税」を創設し、大正時代末期まで続いた。

明治時代の市販品は、まだまだ贅沢な調味料であり、一般家庭では依然として味噌由来のたまりなどが使われていた。富山県の農村(上市町)の例では、庶民は正月や祭礼時に1合 - 2合買う程度であり、村の店では醸造元から仕入れた3升の醤油を何か月もかけねば売れなかった。使用量の増加は大正時代に入ってから、一般家庭が一升買いをするようになったのは、昭和時代初期になってからだという[30]

第一次世界大戦による好況の影響で、1918年(大正7年)頃には設備の近代化に拍車をかけ、企業の合同も行われたことなどから、近代的な大量生産体制に移行していった[29]。最盛期である大正初期には、約12000の工場が存在した。

混合醤油(アミノ酸液混合醤油)・代用醤油(アミノ酸醤油)

醸造醤油に、タンパク質原料を濃塩酸加水分解ののち中和・濾過精製して作ったアミノ酸液を混合した「アミノ酸液混合醤油」は1930年頃、関西で始まった[31]

醤油には大豆、伝統的には丸大豆が使用されていたが、太平洋戦争を契機に原料の有効利用の観点から、大豆油を採取した残りの脱脂大豆が原料に使われるようになった。大豆の油脂成分は本質的に醤油製造に不可欠なものはではなく、(もろみ)の圧搾後副生物として油分が分離されるが[注釈 2]食用にはならないからである[33][34]

第二次世界大戦前後には、深刻化した食糧難に伴い、主原料の大豆が確保出来ずに製造自体が危機的状況に陥り、質の向上より量の確保が先決であったため、本醸造製法の醤油は僅かな量しか作られず、アミノ酸液で醤油を増量したアミノ酸液混合醤油や、アミノ酸液に甘味料やカラメル色素など化学調味料を加え、香り付け程度に醤油または醤油粕の絞り汁を混合しただけの「アミノ酸醤油」も市場に出回るようになった[29][31][34]。しかしアミノ酸醤油は醤油の香りはほとんどせず、むしろ酸によるアミノ酸加水分解時に副生する含硫アミノ酸由来の特有な鼻をつく異臭があった[35]

1940年(昭和15年)に醤油は味噌とともに統制物資の対象となり、1942年(昭和17年)2月1日からは配給規制を受けた[36][注釈 3]。配給にあたり全国の醤油製造会社で製造された醤油は、1941年に設立された全国醤油統制会社、日本アミノ酸統制会社が一元的に買い上げた後、地方統制会社を通じて配給された[37]

この時期、まだ丸大豆に比べ脱脂加工大豆では色が淡い醤油は作れずにいた[38]。龍野では戦時下の統制で配給が途切れ、出荷量を年々減らし、1944年(昭和19年)には淡口醤油の製造が止まった[39]

醸造醤油のピンチ、混合醸造醤油の発明と全国普及

終戦後、1948年、GHQは脱脂加工大豆の原料配分を「醤油醸造業界 2、アミノ酸業界 8」とすると決めた。その根拠は、アミノ酸液の歩留まりが80 %なのに比べ、当時の醤油は60 %しか原料の利用率がなく、また製造に約1年かかることだった[35][31][39][注釈 4]。ここに至り、日本の醤油の伝統的な醸造技術は一時的にせよ断絶する危機になった[35][31]

この危機を救ったのが、野田醤油(今のキッコーマン)の技術者、舘野正淳、梅田勇雄らが発明した「新式2号醤油製造法」である[35][31][39]。これは加水分解法によるアミノ酸液製造より低濃度の6 %程度の希塩酸で脱脂大豆を低温処理[注釈 5]し、タンパク質をポリペプチド状態にてその大半を塩水に可溶化した状態で醪を仕込む方法で、仕込み期間1.5か月から2か月、アミノ酸液並みの高歩留まりにしつつも、本醸造醤油に近い品質の醤油を醸造する製造法であった。また、野田醤油はこの特許を独占することなく無償公開し、全国の醤油メーカーに教え歩いた[35][31]

GHQの当時の担当者アップルトン女史はこの発明を聞き[注釈 6]、 消費者嗜好についての市場調査が行われ[注釈 7]、「正田・大内会談」[注釈 8]による協定を認め、一回内定していた脱脂加工大豆の配給を「醤油醸造業界 7、アミノ酸業界 3」に変えた。ここに醸造醤油の歴史的危機は回避されることとなった[40][41]

「新式2号醤油製造法」は、全国2,500の業者が技術取得をした。この技術はアミノ酸液製造と違い、従来の醤油醸造工場の設備にわずかな手直しをすることで容易に採用できたことから、一挙に全国に普及した[40][41]。この功績により、1951年(昭和26年)、野田醤油の舘野らは日本発明協会から恩賜発明賞に推され、受賞した[40][41]

本醸造復活と甘口醤油・旨口醤油の登場

1950年(昭和25年)配給公団の廃止と価格統制の撤廃がなされた[注釈 9][42]。しかし、原料の効率が悪くなかなか本醸造造りに戻せないでいた。また龍野では淡口醤油の製造を再開した[39]

1955年(昭和30年)野田醤油からNK(野田キッコーマン)式タンパク質処理法が発表された[43][44]。この技術は大豆の蒸煮方法の改良で、それまで蒸煮後すぐに取り出さず翌日まで釜の中に留め置いていたのを、回転式蒸煮釜で必要最低限の蒸煮に留め、直ちに真空冷却する大豆原料の処理法で、この技術により大豆原料の利用率を60 %から80 %近くまで飛躍的向上を遂げ、かつ醤油内の旨味成分のグルタミン酸を50 %以上も増大させる画期的なものであった。さらに環境負荷となる大豆の煮汁も無くなり、公害防止の観点からも高く評価されるものであった[45]。そしてこの技術も野田醤油が醤油業界の発展のため公開するのである[45][44][注釈 10]。このNK式タンパク質処理法は、味噌業界にも翌年1956年に公開された[45][44]。この発明に対して、1963年(昭和38年)、野田醤油の舘野らは全国発明表彰で「内閣総理大臣賞」、翌年には社長茂木、顧問仲谷が「発明実施賞」を受賞している[45][44]。その後大豆の蒸煮処理はさらに高温高圧・短時間の条件が模索され、現代の大手醤油メーカーでは大豆は160 - 170 ℃(ゲージ圧 5 - 7 kg/cm3)・数十秒で連続蒸煮され、原料歩留まり率は限界近い90 %に達している[46]

1970年(昭和45年)頃から大手醤油メーカーは本醸造だけに切り替えているが、コスト的な問題もあり全国的に中小メーカーは本醸造に切り替えることができず、今でも混合醸造方式、混合方式が残っている[47]

戦前まで塩角を取るため程度の砂糖やみりんの添加はあったが甘くなるほどではなかった[48][49][50]。また人工甘味料の添加は法令で禁止されていた[51]。戦中・戦後の食糧難を経て、醤油作りに新しい技術、製法が積極的に導入され、醤油醪を搾ったままの生揚げ醤油にアミノ酸液や甘味料等を添加したり、本醸造醤油に加味して甘味やうま味のレベルを自由に変えられるようになり生まれたのが甘口醤油、旨口醤油である[48][52]。価格競争の中での生き残りをかけて、また全国ブランドの醤油の味に対抗する必要性から生まれた[48][53]

20世紀後半以降

1963年(昭和38年)の日本農林規格(JAS)制定後、1968年(昭和43年)に1リットルパックが登場。1973年(昭和48年)以降、企業による日本国外の生産も盛んになった。

1978年(昭和53年)にJAS規格が改訂され、「新式醸造」に「諸味にアミノ酸等を添加し醸造したもの」[注釈 11]だけでなく「生揚げ[注釈 12]にアミノ酸等を添加し最小1か月発酵、熟成したもの」も含むようになった。2003年(平成16年)のJAS規格の改訂の際に、「諸味にアミノ酸等を添加し醸造したもの」は混合醸造方式、「生揚げにアミノ酸等を添加し最小1か月発酵、熟成したもの」は混合方式に分類しなおされた。

1985年(昭和60年)の時点で、濃口醤油は8割近くが本醸造であり、淡口、白、再仕込み醤油は6割が本醸造であった[54]。またすでにこの頃にはうすくちしょうゆ、さいしこみしょうゆは北海道を除く全地域で製造されている[55]

食事の欧米化と減塩志向に伴い、1980年代以降日本人1人当たりの消費量は減少傾向にある[56]。一方、日本において醤油を原材料とした調味料、めんつゆたれの需要・消費量が伸びていることから、出荷量の割合において1980年代に業務・加工用が家庭用を上回っており、世帯当たり支出金額では1990年代にめんつゆ・たれの購買額が醤油の購買額を上回っている[56]2000年代では、家事の負担軽減化を求める傾向や食に対して簡便性の高さを求める傾向からめんつゆやたれの普及が進み[56]、料理の味付けにおいて醤油よりもめんつゆやたれを中心に使用する家庭が増加している[57][58]

輸出量は、日本人海外渡航者数の増加や日本国外における健康食としての日本食の流行などにより増加していった。こうした状況を受け、キッコーマンは1957年(昭和32年)にアメリカ合衆国に進出、製造工場を建設するなど、国際的な調味料として愛好されている。ただし海外の醤油消費は料理段階で合わせ調味料として使われる「照り焼き」が圧倒的であり、日本のように卓上調味料として使われることは稀である(そもそも海外では卓上調味料が一般的でない)。

野田銚子の二大産地を抱える千葉県はメーカーも多く、生産量は日本全体の約3分の1を占める。兵庫県がそれに次ぎ、上位2県で過半数を占めるが、中小のメーカーは日本各地に存在する[59]


注釈

  1. ^ 紀元前8世紀頃の『周礼』で、「醤」という漢字が初めて使われた。
  2. ^ 醪は一回しか搾るのではなく、搾り粕に食塩水を混ぜて醤油を抽出し再び搾ること(番醤油)は、圧搾技術の未熟だった昔においてはしばしば行われていた[32]
  3. ^ 当初は大都市および近郊都市に限り配給が行われることとなっており、具体的な対象地域は東京市、神奈川県の7市、愛知県の6市、大阪府の7市1町、京都市兵庫県の8市21町村であった。割当量は年齢を問わず関東地方では1人3.5合/月、関西地域では4.5合/月となっていた。
  4. ^ 醤油業界側は醸造醤油が日本人の食生活においていかに重要な地位を占めているかを強調したが、GHQは当時の窮迫した食糧事情から、どちらが援助物資を有効に活用できるかを判断したのであった。
  5. ^ 85 - 90 ℃で、45 - 50時間の処理[35]
  6. ^ 醤油業界のミセス・アップルトンへの評価は従来大変厳しいものであったが、後の調査で彼女は醸造醤油の良き理解者であり、当初の配分比率も上司の強い指示に抗しきれず提案したものであったようである。再度の上申は、彼女の日本の伝統的な醸造醤油への深い理解と思い入れによるものであったと考えられる。また「私がおいしいと思うのですもの、アメリカはもちろんヨーロッパの主婦だって、使ってみればしょうゆの素晴らしさがわかると思うの」と、自らも醤油でステーキソースを作り客にふるまうほどの愛用者であった。
  7. ^ 消費者の8割が新製造法の醤油を支持した。
  8. ^ 醤油醸造協会の正田文右衛門(正田醤油)とアミノ酸業界の大内鋼太郎(味の素)。
  9. ^ なお、価格については1950年以降もしばらくの間、最上品の四社(ヤマサ醤油キッコーマンヒゲタ醤油丸金醤油)の製品は、一律旧公定価格の1割7分高(一斗樽中身640円)とする自粛価格の設定が行われた。
  10. ^ 野田醤油は新式2号、NK式タンパク質処理法だけでなく、新式1号という技術も無償公開している。これら技術に共通することは小規模の醤油蔵でも容易に適用できることである。伝統の醤油醸造が生き残れるように、出来る限り伝統を守れるよう各種特許を公開し続けたのである。
  11. ^ 野田醤油が発明した新式2号醤油製造法がこれ。
  12. ^ 諸味を搾ったままの生揚げ醤油(きあげしょうゆ)のこと(後述)。
  13. ^ 当時公文書には小書き仮名を用いなかったため。その後、一般的表記である「しうゆ」に変更された。
  14. ^ 生揚げ醤油を単に濾過しただけの生醤油も、一部では市販されている。

出典

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