与謝蕪村 与謝蕪村の概要

与謝蕪村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/11 17:12 UTC 版)

与謝 蕪村
与謝蕪村(呉春作)
誕生 1716年
日本摂津国東成郡毛馬村
(現:大阪府大阪市都島区毛馬町
死没 1784年1月17日
日本山城国
(現:京都府京都市下京区
職業 俳人画家
代表作 鳶鴉図
ウィキポータル 文学
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鳶鴉図(重要文化財) 紙本着色 北村美術館[1]

経歴

摂津国東成郡毛馬村(けまむら)(現:大阪府大阪市都島区毛馬町)に生まれた[2]。京都府与謝野町(旧丹後国)の谷口家には、げんという女性が大坂に奉公に出て主人との間にできた子供が蕪村とする伝承と、げんの墓が残る。同町にある施薬寺には、幼少の蕪村を一時預かり、後年、丹後に戻った蕪村が礼として屏風絵を贈ったと口伝されている[3]

20歳の頃、江戸に下り、早野巴人(はやの はじん〔夜半亭宋阿(やはんてい そうあ)〕)に師事して俳諧を学ぶ。日本橋石町「時の鐘」辺の師の寓居に住まいした。このときは宰鳥と号していた。俳諧の祖・松永貞徳から始まり、俳句を作ることへの強い憧れを見る。しかし江戸の俳壇は低俗化していた。

象潟地震で隆起する以前の、象潟の様子が描かれた屏風。芭蕉は「象潟や雨に西施がねぶの花」という句を詠んだ。

寛保2年(1742年)27歳の時、師が没したあと下総国結城(現:茨城県結城市)の砂岡雁宕(いさおか がんとう)のもとに寄寓し、敬い慕う松尾芭蕉の行脚生活に憧れてその足跡を辿り、僧の姿に身を変えて東北地方を周遊した。絵を宿代の代わりに置いて旅をする。それは、40歳を超えて花開く蕪村の修行時代だった。その際の手記で寛保4年(1744年)に雁宕の娘婿で下野国宇都宮(栃木県宇都宮市)の佐藤露鳩(さとう ろきゅう)宅に居寓した際に編集した『歳旦帳(宇都宮歳旦帳)』で初めて蕪村を号した。

その後、丹後に滞在した。天橋立に近い宮津にある見性寺の住職・触誉芳雲(俳号:竹渓)に招かれたもので、同地の俳人(真照寺住職の鷺十、無縁寺住職の両巴ら)と交流。『はしだてや』という草稿を残した。宮津市と、母の郷里で幼少期を過ごしたと目される与謝野町には蕪村が描いた絵が複数残る(徐福を画題とした施薬寺所蔵『方士求不老父子薬図屏風』、江西寺所蔵『風竹図屏風』)。一方で、与謝野町の里人にせがまれて描いた絵の出来に後悔して、施薬寺に集めて燃やしてしまったとの伝承もある[3]

42歳の頃に京都に居を構え、与謝を名乗るようになる。母親が丹後与謝の出身だから名乗ったという説もあるが定かではない。45歳頃に結婚して一人娘くのを儲けた。51歳には妻子を京都に残して讃岐に赴き、多くの作品を手掛ける[4]。再び京都に戻った後、島原(嶋原角屋で句を教えるなど、以後、京都で生涯を過ごした。明和7年(1770年)には夜半亭二世に推戴されている。

現在の京都市下京区仏光寺通烏丸西入ルの居宅で、天明3年12月25日(1784年1月17日)未明、68歳の生涯を閉じた。死因は従来、重症下痢症と診られていたが、最近の調査で心筋梗塞であったとされている[5]辞世の句は「しら梅に明(あく)る夜ばかりとなりにけり」。墓所は京都市左京区一乗寺の金福寺(こんぷくじ)。

作家論

蕪村筆 俳画 自画賛(岩くらの狂女恋せよほととぎす)
蕪村筆『柳陰漁夫図』

松尾芭蕉小林一茶と並び称される江戸俳諧の巨匠の一人であり、江戸俳諧中興の祖といわれる。また、俳画の大成者でもある。写実的で絵画的な発句を得意とした。独創性を失った当時の俳諧を憂い「蕉風回帰」を唱え、絵画用語である「離俗論」を句に適用した天明調の俳諧を確立させた中心的な人物である。

絵は独学であったと推測されている[3]

後世からの評価

俳人としての蕪村の評価が確立するのは、明治期の正岡子規『俳人蕪村』、子規・内藤鳴雪たちの『蕪村句集講義』、昭和前期の萩原朔太郎『郷愁の詩人・与謝蕪村』[6]まで待たなければならなかった。

旧暦12月25日は「蕪村忌」。関連の俳句を多く詠んだ。

  • 蕪村忌に呉春が画きし蕪かな 正岡子規
  • 蕪村忌の心游ぶや京丹後 青木月斗

2015年10月14日、天理大学附属天理図書館が『夜半亭蕪村句集』の発見を発表した。1903句のうち未知の俳句212句を収録[7]

与謝野町は「蕪村顕彰全国俳句大会」を2012年から開いている[3]

俳諧の主な編著

  • 蕪村七部集
    (其雪影、明烏、一夜四歌仙、続明烏、桃李、五車反古、花鳥篇、続一夜四歌仙)
  • 明烏
  • 夜半楽
  • 新花摘(俳文集)など。

  1. ^ 紙本墨画淡彩鳶鴉図”. 文化遺産オンライン. 2022年8月5日閲覧。
  2. ^ 門人宛の書状による。同地に大阪市が生誕地の碑を建てている。与謝蕪村と都島大阪市都島区(2019年11月2日閲覧)より。
  3. ^ a b c d 「与謝野蕪村/遅咲きの文人 丹後の寄り道」『日本経済新聞』朝刊2019年10月6日9-11面(NIKKEI The STYLE)。
  4. ^ 『別冊太陽 与謝蕪村 画俳ふたつの道の達人』平凡社、p.170、2012年。
  5. ^ 山形大学名誉教授、杉浦守邦(公衆衛生学)の鑑定による。
  6. ^ 文庫新版は、『俳人蕪村』は岩波文庫・講談社文芸文庫、『与謝蕪村 郷愁の詩人』は岩波文庫
  7. ^ 読売新聞』2015年10月15日 36面掲載。
  8. ^ 主な著作に、『蕪村』(岩波新書、2000年)、『蕪村余響 そののちいまだ年くれず』(岩波書店、2011年)、『蕪村 日本人のこころの言葉』(創元社、2014年)
  9. ^ なお「蕪村全集」は大正期に潁原退蔵(尾形の岳父にあたる)が編み、有朋堂書店(全1巻、初版1925年)で出版。
  10. ^ ワイド版岩波文庫も刊。旧版は潁原退蔵編・校注。復刻版・一穂社
  11. ^ 朱衛紅、「佐藤春夫「春風馬堤図譜」の模倣とオリジナリティ」『国際日本文学研究集会会議録』 2004年 27号 p.169-184, 国文学研究資料館


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