古典落語とは? わかりやすく解説

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こてん‐らくご【古典落語】

読み方:こてんらくご

主に江戸時代作られ現代まで伝えられている落語。「時そば」「寿限無」「目黒のさんま」など。⇔新作落語


古典(こてん)落語(らくご)

名称
古典落語
<こてんらくご>

区分
重要無形文化財

保持
中川 清
<なかがわ きよし>
芸名 桂 米朝
<かつら べいちょう>
兵庫県

解説
古典落語は江戸時代から江戸上方庶民親しまれてきた笑い伝統芸能である。はじめは短い小話中心であったが、寄席芸能として定着するにつれてだんだんと長くなり、幕末から明治にかけてほぼ今のようなになったといわれている。あっさりとした味わい江戸落語、派手で賑やかな上方落語と、土地柄反映してそれぞれに特徴があるが、笑いの中で独自の世界作り上げる芸には、高度な芸術的表現力要する


古典落語

名称: 古典落語
ふりがな こてんらくご
芸能工芸区分 芸能
種別 演芸
認定区分 各個認定
指定年月日 1995.05.31(平成7.05.31)
解除年月日
指定要件
備考
解説文:  古典落語は、中世御伽衆おとぎしゆう】や仏教の説教【せつきよう】などの系譜位置づけられる話芸【わげい】であるが、その実質的歴史は、京の露【つゆ】の五郎兵衛ごろべえ】、大阪初代米沢彦八よねざわひこはち】、江戸鹿野武左衛門しかのぶざえもん】ら十七世紀末三都活躍した職業的噺家はなしか】達に始まり十八世紀の上方・江戸双方での寄席【よせ】創設経て東西影響しつつも独自の発展遂げ幕末から明治にかけてほぼ現在のような形に大成したといわれる
 鹿野武左衛門に始まる江戸落語は、十八世紀後半烏亭焉馬うていえんば】の会咄を経て初代三笑亭可楽さんしようていからく】により寄席芸能として確立したその後天保の改革により大きな打撃を受けるが、幕末には再び復興し明治期三遊亭円朝さんゆうていえんちよう】・三代目家小【やなぎやこ】さんらにより大成された。江戸っ子気質反映して派手な演出排し手拭い扇子のみでさまざまな表現を行う「素噺すばなし】」の淡泊な味わい特徴とする。
 一方上方落語は、十七世紀末京北野天満宮等での露【つゆ】の五郎兵衛ごろべえ】、大阪生玉いくたま】社の初代米沢彦八よねざわひこはち】の辻咄つじばなし】に始まり十八世紀初代桂文治【ぶんじ】により寄席芸能として確立し幕末から明治にかけて初代笑福亭吾竹【しようふくていごちく】・二代目桂文枝【ぶんし】・月亭文都つきていぶんと】ら多く名人により大成をみた。江戸落語比べ全体として派手で賑やかな演目多く下座【げざ】の囃子【はやし】を噺【はなし】の中に取り込む「ハメモノ」の演出や、見台けんだい】を賑やかに叩いて演じる「入【い】れ込【こ】み噺【ばなし】」など、大阪弁味わいとともに独自の特徴有する
 このように東西それぞれに特徴有する古典落語は、磨かれ話術一人噺家さまざまな人物描きわけ独自の笑い世界構築するもので、高度な芸術的表現力要するものであり、またわが国代表的芸能一つとして芸能史上大きな価値有するのである
芸能のほかの用語一覧
歌舞伎:  歌舞伎脇役  歌舞伎音楽囃子  歌舞伎音楽長唄
演芸:  古典落語  講談
組踊:  組踊立方  組踊音楽歌三線

古典落語

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/26 13:29 UTC 版)

古典落語(こてんらくご)とは、落語の演目のうち、一般に江戸時代から明治時代大正時代にかけて作られたものを指すことが多い[1]。それよりも新しい時代に作られた演目は、「新作落語」と呼んで区別される。なお、「創作落語」は上方大阪京都)の落語家たちによる造語である。

概要

歴史

古典落語は江戸時代以降、主として江戸と上方の都市に住む庶民に親しまれてきた笑いの伝統芸能であり、笑いのなかで独自の世界を作り上げる話芸には高度の芸術的表現力が必要である[2]

落語は、江戸時代、軽めの講談、辻咄(辻芸)として京都の露の五郎兵衛らによって始められたといわれる。当初は短い小話中心であったが、寄席芸能として三都に定着するにつれ次第に長くなり、幕末から明治にかけてほぼ今のようなスタイルになったといわれている[2]。土地柄を反映して、あっさりとした味わいの江戸落語、派手で賑やかな上方落語とそれぞれに際だった特徴を有する[2]。このような古典落語は、明治になって三遊亭圓朝によって大成され、都市化、筆記化とともに大衆文化として花開いた。この時代の頃までに骨格の出来上がった演目が、通常は古典落語と呼ばれている。

要するに「古典落語」とは、「現代からみて古典的なネタ(演目)」のことであり、落語演目のうち「新作落語(あるいは創作落語)でないもの」を称する。これについて、第二次世界大戦後、新作落語を多く手がけた5代目古今亭今輔はしばしば「古典落語も、できたときは新作でした」と述べている[3]。これに対し、古典落語の多くは落語が生まれる以前の中国日本説話伝承などから生まれたものであることに着目し、「古典落語の多くは、生まれた時から古典だった」とする見解もある[4]

上述のとおり、基本的には江戸時代から明治・大正期につくられた作品を通常は「古典」と称するが、昭和初期の作品でも漫画のらくろ』の作者田河水泡の手による『猫と金魚』や今村信雄試し酒』などは既に古典と呼びうるほどに多くの演者によって演じられてきた演目であり、古典と新作(創作)を厳密に分けることは難しい[1]

古典落語は長い間、庶民にとって身近な娯楽であり、大戦後は、ラジオ寄席、TV放映などを通して人気を維持したが、大衆レベルでの古典文化の喪失、名人と呼ばれた師匠が相次いで物故したこと、後継者のレベル低下、娯楽の多様化などから、人気の衰えた一時期を迎えた。

そうしたなかにあって、1995年平成7年)、5代目柳家小さん(本名:小林盛夫)が落語家として初の重要無形文化財保持者(いわゆる「人間国宝」)に認定され、翌年には上方の3代目桂米朝(本名:中川清)が[注 1]、2014年(平成26年)には10代目柳家小三治(本名:郡山剛藏)がそれぞれ人間国宝に認定された。また、2005年の『タイガー&ドラゴン』や2007年の『ちりとてちん』という古典落語を題材とした連続ドラマ(NHK連続テレビ小説ちりとてちん』)の放送が、若い世代が落語を知る機会となり、新しいファンも増えてきている。

古典落語の継承と分類

古典の演目の場合、噺そのものについて著作権が問題になることはほとんどない[1]。しかしながら、プロの落語家にあっては、高座にかけるためには稽古をつけてくれた人からの許可が必要であり、独りで勝手に聞き覚えたものを高座にかけてはならないという不文律があり、そのような形で古典落語が継承されてきた[1]

弟子へ引き継がれず途絶えてしまった演目もあり、4代目桂文我は古書や高座の速記録、浮世絵に書き込まれた当時の小話などからの復元をライフワークとしており、師匠の2代目桂枝雀が転居時に捨てようとした資料をもらい受けたり、その師匠である3代目桂米朝に題名しかわからない演目を思い出して語ってもらったりして、『桂文我 上方落語全集』として刊行を進めている[6]

古典落語の演目は、その内容から、落とし噺と人情噺とに大別される。さらに落ちによって分類する方法もある。また、上方と江戸で別々に発展したため、以下のように東西によって落語の題名が違ったり、片方にしかない演目があったりする。

主な演目

以下は代表的なものを挙げる。

上方落語 江戸落語 落ち
明烏 (同) 逆さ落ち、ぶっつけ落ち
阿弥陀池 新聞記事 にわか落ち
いいえ とたん落ち
居酒屋 逆さ落ち、ぶっつけ落ち
井戸の茶碗
居残り佐平次おこわ 逆さ落ち、見立て落ち
厩火事 (同) とたん落ち
延陽伯 たらちね にわか落ち
御神酒徳利占い八百屋 ぶっつけ落ち
火焔太鼓 にわか落ち
お釜さま にわか落ち
書割盗人 だくだく、つもり泥 間抜け落ち
掛け取り 掛取万歳 とたん落ち
笠碁 (同) 間抜け落ち
片棒 (同) とたん落ち
蝦蟇の油 (同) 間抜け落ち
替り目 (同) とたん落ち、ぶっつけ落ち
京の茶漬け とたん落ち
高津の富 宿屋の富、千両富 間抜け落ち
くっしゃみ講釈 くしゃみ講釈 にわか落ち
蔵丁稚 四段目
鴻池の犬 間抜け落ち
黄金餅
骨つり 野ざらし 間抜け落ち
さくらんぼ 頭山 見立て落ち
宿屋嬶 見立て落ち
皿屋敷お菊の皿 (同) 間抜け落ち
山号寺号恵方参り にわか落ち
三十石
質屋蔵
品川心中仕返し にわか落ち
死神 しぐさ落ち
芝浜 とたん落ち
寿限無 (同) 間抜け落ち
女給の文(ラブレター) にわか落ち
世帯念仏 小言念仏 拍子落ち、間抜け落ち
粗忽長屋 間抜け落ち
大工調べ にわか落ち
千早振る百人一首、無学者 ぶっつけ落ち
出来心花色木綿 間抜け落ち
てれすこ 間抜け落ち
天下一浮かれの屑より 紙屑屋
天狗裁き (同) まわり落ち
天神山 墓見
時うどん 時そば 間抜け落ち
貧乏花見 長屋の花見
猫の茶碗 猫の皿 とたん落ち
八五郎出世妾馬 間抜け落ち
初天神 拍子落ち、逆さ落ち
文七元結
饅頭こわい (同) とたん落ち
目黒のさんま ぶっつけ落ち
四谷怪談
らくだ (同) にわか落ち
泳ぎの医者 (同) とたん落ち

脚注

注釈

  1. ^ これは、「磨かれた話術で一人の噺家がさまざまな人物を描きわけ独自の笑いの世界を構築する」古典落語の第一人者が「高度な芸術的表現力」を有し、「わが国の代表的芸能の一つとして、芸能史上大きな価値を有する」ことを評価しての認定であった[5]

出典

  1. ^ a b c d 渡邉 2008, p. 74.
  2. ^ a b c 「古典落語」, 文化財選集.
  3. ^ 演目紹介 - 落語はじめの一歩”. 落語芸術協会. 公益社団法人 落語芸術協会. 2023年6月25日閲覧。
  4. ^ 広尾晃 (2012年9月24日). “「古典落語」と「新作落語」「落語入門」5|噺板”. 59'S 日々是口実. 2013年1月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年1月5日閲覧。[信頼性要検証]
  5. ^ 「古典落語」, 文化財データベース.
  6. ^ 桂文我 (2023年2月9日). "見つけて語る幻の古典落語◇古書など10万点博捜し「消えたネタ」発掘、米朝師匠の記憶力も頼りに". 日経新聞 (朝刊 ed.). 日本経済新聞社. p. 文化面. 2023年6月25日閲覧

参考文献

関連項目


古典落語

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 06:17 UTC 版)

ふんどし」の記事における「古典落語」の解説

古典落語では、褌を締めていた時代なので褌に関連した話題には事欠かないが、『錦の袈裟』『蛙茶番』などが挙げられる

※この「古典落語」の解説は、「ふんどし」の解説の一部です。
「古典落語」を含む「ふんどし」の記事については、「ふんどし」の概要を参照ください。

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