B級1組
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田中寅彦「A級昇級の確率64分の63」(第57期) 第57期(1998年度)のB級1組は、第9回戦終了(残り2局)の時点で田中寅彦(8勝1敗、リーグ表4位)がトップ。2番手の郷田真隆(7勝2敗、リーグ表11位)と3番手の南芳一(6勝3敗、リーグ表2位)が追いかける展開となっていた。すでに互いの直接対決が終わっていたので、残り2局で田中が2連敗し、かつ、郷田と南が2連勝するという「確率64分の1」の事態にならない限り、田中は昇級枠2名の中に入りA級復帰するという状況であった。次の第10回戦で田中は負け、郷田と南は勝ち、「64分の1」が「8分の1」になった。最終の第11回戦でも田中は負け、郷田は勝った。しかし、南が福崎文吾に負けたため、田中のA級復帰が決まった。当時、田中はNHKのテレビ放送で「福崎君に感謝しないと」と語った。 24時間対局(第63期) 2004年6月25日の第63期B級1組、中川大輔対行方尚史では、持将棋指し直しと千日手指し直しが発生したために、翌朝9時過ぎまでかかった。結果は行方の勝ち。中川はジャケットやワイシャツを脱ぎ、Tシャツ姿で対局した。翌日も対局があるため、対局場を追い出された2人は、控え室でプラ駒、3寸盤で感想戦を行った。 持ち時間の90%を1手に使う(第64期) 2005年9月2日のB級1組、青野照市対堀口一史座で、堀口が56手目7六歩突きの1手に5時間24分(持ち時間6時間のちょうど90%)の大長考をする。昼食休憩を挟んでいるので事実上はもっと長い。▽7六歩▲同銀▽4九角が狙い筋の局面であった。結果は堀口の勝ち。後日、囲碁・将棋ジャーナルに出演した際、「気力が充実していたから考えられた」との旨を語った。ちなみに局面は、いわゆる「指定局面」と称されている角換わり腰掛け銀の先後同形(38手目)から先手番の青野が仕掛けた以降の応酬であった。将棋フォーカスで紹介された際は井上慶太九段に「プロなら第一感の手」と言われた。 井上慶太「A級復帰の確率64分の63を逃してから、復帰を果たすまで」(第67期) 第57期(1998年度)でA級から降級した井上慶太は早くも翌第58期(1999年度)にA級復帰のチャンスを掴む。残り2局の時点で7勝2敗とし、自身が連敗し、追いかける青野照市、先崎学の両者が連勝するという「確率64分の1」が起きない限りは昇級という状況になる。しかし、残り2局を連敗すると青野、先崎が連勝し7勝4敗の3位で昇級を逃した。次に迎えた復帰のチャンスは第61期(2002年度)。再び残り2局の時点で7勝2敗とし、連勝で復帰を決められる状況になる(1勝1敗の場合は「確率4分の3」、連敗の場合は「確率8分の1」時でA級復帰)。しかし、残り2局を連敗し、連勝した鈴木大介に抜かれ3位で昇級を逃した(もう1人の昇級者は久保利明)。3度目の復帰のチャンスは第67期(2008年度)。この期は大混戦となり、11回戦終了時点で7勝4敗の成績ながら(勝数順で)暫定1位となる。最終13回戦は抜け番(対局なし)のため、自力昇級は無かったものの12回戦は久保利明に勝てば昇級確率は「16分の15」、負けたら「512分の3」になるという大一番となった。結局、この対局を制した結果、同じく12回戦で先に杉本昌隆が敗れていたため、11期ぶりのA級復帰を決めた A級昇級者2名がタイトル保持者(第68期) 第68期(2009年度)では、B級1組で渡辺明竜王がA級初昇級し、久保利明棋王・王将(昇級決定時点では棋王の一冠)がA級に復帰した。A級昇級者が2名ともタイトル保持者であるのは史上初である。深浦康市王位も昇級争いに加わっていたが、終盤で渡辺との直接対決で敗れた。一方、当時タイトル12期の佐藤康光九段がA級から陥落した。また、この年度はA級以外においても、B級2組で中村修九段(王将2期)がB級1組に復帰し、内藤國雄九段(棋聖・王位各2期)および森雞二九段(棋聖・王位各2期)がC級1組に降級するなど、タイトル経験のあるベテラン棋士の昇降級が集中するという特異な年度となった。 大地震の最中に「A級昇級者決定戦」(第69期) 第69期(2010年度)B級1組は、佐藤康光が最終局を待たずしてA級復帰を決め、残る1つの枠を最終局(2011年3月11日)にて屋敷伸之と松尾歩の直接対決(7勝4敗同士)で争うこととなった。どちらが勝ってもA級初昇級である。その対局の途中で東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)が発生。対局場の東京・将棋会館から一同が外に避難し、18時に対局が再開された。なおも余震が続く中での対局であったが、屋敷が勝利。初タイトルから20年経ってからのA級昇級となった。 A級からの降級者がゼロ(第76期) 第75期のA級順位戦は先述の三浦弘行の特例措置が施されたことによって降級枠が1名だけとなった。そして最終戦の結果、3勝6敗勢の中で一番順位の低かった森内俊之が名人位含めて22期連続維持していたA級から陥落した。その後、森内はフリークラスを宣言したことによって第76期のB級1組にはA級からの降級者が1人もいない状態になり定員13名に対し11名と2人分欠員となった。通常この人数以下の場合、誰も降級することはないが第76期A級順位戦の降級枠が3名となる関係でB級1組の降級枠が1名となった。降級枠が1名というケースは過去にも何度かはあったが、A級からの降級者が1人もいない事態は順位戦史上初めての出来事となった。そして名人2期の経験を持つ丸山忠久が2勝8敗の最下位で降級となり、名人経験者がB級2組に降級するのは第62期の加藤一二三以来14期ぶりとなった。 勝率6割で昇級(第76期) 阿久津主税は、第76期B級1組で6勝4敗(勝率 .600)ながら、2位の成績となり、A級復帰を決めた。勝率6割での昇級は、順位戦各組で史上最低新記録(予選リーグと決勝リーグの2段階に分かれた第3期を除く)。ちなみに第76期名人位挑戦も同じ6勝4敗であり、勝率6割での挑戦もA級順位戦史上最低タイ記録(第44期以来)である。 永世名人初B級2組への降級(第78期) 第78期B級1組では永世名人資格者である谷川浩司がB級2組への降級が決定した。過去の永世名人資格者はB級2組への降級前に引退やフリークラスに転出しているため、永世名人資格者のB級2組への降級は史上初であった。 B級1組順位戦の歴代全勝達成者 2021年3月に終了した第79期B級1組順位戦終了時点で、達成者は丸山忠久(第56期)と渡辺明(第77期)の2名で、A級順位戦の全勝達成者より少ない 。
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B級1組
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櫻井岳人(さくらい がくと) 声 - 小野大輔 30歳。七段。華のある風貌と優美な振る舞いで、棋界での集客力はナンバー1とされる。将棋は本格居飛車の正統派。 棋匠戦の挑戦者決定戦で島田と対戦するが敗れ、自らのタイトル戦に注目を集めさせたかった柳原を落胆させた。 登山が趣味で、先輩・後輩の別なく気に入った棋士を山に誘い、本人の意図しないうちに自身の信奉者を増やしているが、天然で悪意は無い。島田との対局は、登山の魅力を熱情的に訴える櫻井と、幼少期から山で農作業をしていたために全くその誘いに乗らない島田、というイメージで描かれた。
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