Altair_BASICとは? わかりやすく解説

Altair BASIC

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/03 15:10 UTC 版)

Altair BASIC
作者 Micro-Soft
開発元 ビル・ゲイツポール・アレンモンティ・ダビドフ[1][2]
初版 2.0(4K版、8K版)1975年7月1日 (47年前) (1975-07-01)[3][4][5][6]
最新版
5.0 / 1978年7月14日 (44年前) (1978-07-14)
プラットフォーム Altair 8800
種別 Microsoft BASIC
テンプレートを表示
Altair BASICのアセンブリ言語コードのタイトルページの一部。次のようなことが書かれている。 *コピーライトはビル・ゲイツとポール・アレンにある。 *もとはハーバード大のPDP-10上で(1975年の)2月9日から4月27日にかけて書かれた。 *ポール・アレンはランタイムではない部分を書いた。 *ビル・ゲイツはランタイムの部分を書いた。 *モンテ・ダヴィドゥフは数学パッケージを書いた。 なおその下にはTO DO(やるべきことのリスト)も書かれている。 (米国ニューメキシコ州アルバカーキにある歴史・科学博物館en:New Mexico Museum of Natural History and Scienceの展示品)

Altair BASIC(アルテア・ベーシック)は、1975年ビル・ゲイツポール・アレンモンティ・ダビドフの3人が、設立したばかりの法人マイクロソフト(当時はMicro-Softと表記)名義で開発した、MITS社のAltair 8800やそれ以降のS-100バスコンピュータ上で動作するプログラミング言語BASICインタプリタである。MITS社とマイクロソフト社の間にかわされた契約に基づいて配布された。当Altair BASICはマイクロソフト社の最初の製品であり、後のMicrosoft BASIC製品群の起源となったものである。

起源と開発

ビル・ゲイツは、彼とポール・アレンが『ポピュラーエレクトロニクス』1975年1月号に掲載されたAltair 8800の記事を読んだとき、コンピュータの価格が間もなく下がり、ソフトウェアの販売が収益性の高いビジネスになるだろうと理解したと後に回想している[7]。ゲイツは、Altair 8800にBASICインタプリタを提供することで、この製品が趣味家にとってより魅力的なものになると考えていた。彼らはMITSの創設者エド・ロバーツに連絡を取り、(まだ作業に取り掛かってすらいないにもかかわらず)彼らがBASICインタプリタを開発していると伝え、デモを見たいかどうか尋ねた。これは、存在しない製品を発表して相手の興味を測る観測気球であった。ロバーツは、数週間後の1975年3月にデモのために彼らと会うことに同意した。

ゲイツとアレンは、インタプリタを開発してテストするためのAltairコンピュータを持っていなかった。しかし、アレンは以前トラフォデータ英語版の名称で仕事をしていたときにIntel 8008エミュレータを作成し、PDP-10上で動作させていた。アレンはAltairのプログラマガイドに基づいてこのエミュレータを改良し、ハーバード大学のPDP-10上でインタプリタの開発とテストを行った。大学の資産で商用のソフトウェアが開発されていることを知った大学当局は不満を抱いたが、このような使い方を禁止する規定は大学にはなかった[8]。結局、大学当局から商業行為は学外で行うよう勧告され、ゲイツとアレンはボストンのタイムシェアリングサービスからコンピュータの使用時間を購入してBASICプログラムのデバッグを行った。当初のバージョンは整数演算のみだったが、ハーバード大学の同級生のモンティ・ダビドフ浮動小数点演算も使うべきだとし、自分ならメモリ制限内に収まるようなシステムを書けると主張したので、ゲイツとアレンはダビドフを雇ってそのルーチンを作ってもらった。

独自の入出力システムとラインエディタを持った完成したインタプリタは、わずか4キロバイトのメモリに収まり、さらに、解釈後のプログラムを格納するための十分なメモリ空間が確保されていた。デモの準備として、完成したインタプリタをAltairに読み込ませるために紙テープに保存し、アレンはMITS社のあるアルバカーキへ飛んだ。

アルバカーキ空港への最終アプローチ中、アレンは紙テープをメモリに読み出すためのブートストラッププログラムを書き忘れていることに気付いた。アレンはそれを8080の機械語で書き、飛行機が着陸する前にプログラムを完成させた。プログラムをAltairにロードし、システムのメモリサイズを尋ねるプロンプトが表示されたのを見て初めて、彼らは自分たちのインタプリタがAltairハードウェア上で正しく動作することを知った。その後、誰が最短のブートストラッププログラムを書けるかを賭けて、ゲイツが勝利した[9][10]

バージョンと配布

Altair 8K BASICが記録された紙テープ

ロバーツはインタプリタの配布に同意した。また、ゲイツとアレンをMITS社で雇ってメンテナンスと改良を行った。8K BASIC、Extended BASIC、Extended ROM BASIC、Disk BASICなどのアップグレード版が追加されると、オリジナルのバージョンは4K BASICと呼ばれるようになった。

最小のバージョンである4K BASICは4キロバイトのRAMを持つマシンで動作し、プログラムコードエリアには約790バイトの空きしかなかった。このような小さなメモリ空間に収めるために、4Kバージョンには文字列操作やいくつかの一般的な数学関数が入っていなかった。8K BASICバージョンでは、文字列変数とその操作関数、乱数のためのRNDなどの数学関数、ブール演算子、PEEKPOKEなどが追加された。8Kバージョンは、ホビーパソコン時代のBASICのほとんどのバージョンの基礎となっている。Extended BASICではPRINT USINGや基本的なディスクコマンドが追加され、Disk BASICではさらにディスクコマンドが拡張され、raw I/O機能が可能になった[11][12]

1975年10月、4K BASICは150ドル、8K BASICは200ドル、Extended BASICは350ドルで販売された。8KのAltairメモリとAltair IOボードを購入すると、それぞれ60ドル、75ドル、150ドルに値引きされた。配布形式は紙テープまたはカセットテープだった[13]

彼らの予想通り、Altairはホームブリュー・コンピュータ・クラブなどのホビイストの間で非常に人気となった。また、MITSが選択したBASICインタプリタであるAltair BASICも人気となった。しかし、ホビイリストたちは、誰かが入手したAltair BASICを仲間でコピーして使っており、それが悪いことであるとは思っていなかった。ホームブリュー・コンピュータ・クラブのダン・ソコルは、何らかの手段で入手した販売前のテープから25個のコピーを作り、それをクラブの会合で配布して、受け取った人に更にコピーを作るように促していた。ゲイツは、1976年にホームブリュー・コンピュータ・クラブの会報に『ホビイストたちへの公開状』という文章を寄稿し、この中で、ソフトウェアをコピーする行為は窃盗だとして非難し、人々がお金を払わないソフトウェアの開発の継続はできないと宣言した。多くのホビイストはこの書簡に防御的な反応を示した。

ゲイツ、アレンによるマイクロソフトとMITSとの間の契約条件では、一定額のロイヤルティーを支払った後で、MITSはインタプリタの権利を受け取ることになっていた。しかし、マイクロソフトはMC6800など他のシステム向けにもインタプリタを開発していた。そのため、彼らがMITSからの離脱を決めた際に、ロイヤルティーの全額が支払われたかどうか、他のバージョンにも契約が適用されるかどうかを巡って争いになった。マイクロソフトとMITSは仲裁人に紛争の仲裁を依頼した。仲裁人は、MITSは「最善の努力」でソフトウェアを販売していなかったとして、マイクロソフトに有利な裁決を下した[14]

BASICインタプリタは、1980年代初頭にMS-DOSに移行するまで、マイクロソフトのビジネスの中核を担っていた。

関連項目

脚注

  1. ^ Raiders of the Lost Altair BASIC Source Code, Andrew Orlowski, 13 May 2001, The Register
  2. ^ Altair 8800 BASIC Reference_Manual 1975, Page 3 of PDF, ...and the joint authors of the ALTAIR BASIC interpreter, Bill Gates, Paul Allen and Monte Davidoff, will be glad to assist you.
  3. ^ Microsoft Fast Facts: 1975, Posted May 9, 2000, Bill Gates and Paul Allen complete BASIC and license it to their first customer, MITS of Albuquerque, N.M., the manufacturer of the Altair 8800 personal computer. This is the first computer language program written for a personal computer., Gates and Allen’s BASIC officially ships as version 2.0 in both 4K and 8K editions.
  4. ^ microsoft's timeline from 1975 - 1990 Archived 2008-05-14 at the Wayback Machine., July 1, Bill Gates' and Paul Allen's BASIC officially ships as version 2.0 in both 4K and 8K editions.
  5. ^ Computer_Notes 1975 01 05, Page 14, ALTAIR BASIC, CLAIM: Not just anybody's BASIC, FACT: Not just anybody's BASIC, BY: KEITH BRITTON ,ROBERT MULLEN, Altair BASIC version 2.0 had a serious problem in that a jump out of a FOR.... NEXT loop left garbage on the stack. . Do this too often and the stack would grow relentlessly down from high memory until it ate the program. This has been fixed in version 3.0, according to Paul Allen
  6. ^ Computer_Notes 1975 01 05, Page 15, Advert: Altair BASIC]
  7. ^ Freiberger, Paul; Swaine, Michael (2000). Fire in the Valley: The Making of the Personal Computer. New York, NY: McGraw-Hill. p. 53. ISBN 0-07-135892-7. https://archive.org/details/fireinvalleymaki00frei_0/page/53  "While walking through Harvard Square one day, Allen spotted the Popular Electronics cover that features the Altair. ... Allen ran to tell Bill that he thought their big break had finally come. Bill agreed."
  8. ^ Wallace, James; Jim Erickson (1992). Hard Drive: Bill Gates and the Making of the Microsoft Empire. John Wiley & Sons. pp. 81–83. ISBN 0-471-56886-4. https://archive.org/details/harddrivebillgat00wall_0/page/81 
  9. ^ We have a BASIC”. New Mexico Museum of Natural History and Science. 2012年3月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年4月18日閲覧。
  10. ^ Wallace, James; Jim Erickson (1992). Hard Drive: Bill Gates and the Making of the Microsoft Empire. John Wiley & Sons. p. 78. ISBN 0-471-56886-4. https://archive.org/details/harddrivebillgat00wall_0/page/78 
  11. ^ 4 Altair Language Systems”. Altair BASIC. 2020年5月12日閲覧。
  12. ^ Altair BASIC. MITS. (25 August 1975). http://www.virtualaltair.com/virtualaltair.com/PDF/AltairBasic_1275.pdf 
  13. ^ Altair Basic for the 6800, In January 1978 I purchased Altair 680 Basic from Computer Kits in Berkeley CA. I paid full price, $200, I didn't want Bill Gates to go broke. If you bought an Altair 680B kit with 16 K of RAM for $685 you would get BASIC for free., Michael Holley's SWTPC Collection Home Page
  14. ^ Allen, Paul (2011). Idea Man: A Memoir by the Cofounder of Microsoft. New York: Penguin Group. p. 107. ISBN 978-1-59184-537-9. "MITS/Pertec 'materially breached its best efforts obligation...'" 

関連文献

外部リンク


Altair BASIC

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 17:13 UTC 版)

Micro Instrumentation and Telemetry Systems」の記事における「Altair BASIC」の解説

詳細は「Altair BASIC」を参照 1974年12月ビル・ゲイツハーバード大学学生で、ポール・アレンボストンハネウェル社に勤務していた。彼らは『ポピュラーエレクトロニクス1975年1月号に掲載されAltair 8800見て、これがBASICインタプリタ動作させるのに十分なパワー持っていることに気づいた。彼らはAltairBASIC提供する最初企業なりたい考えていた。彼らが以前にトラフォデータ(英語版)の名前で作成していたIntel 8008ベースソフトウェア開発ツールにより、彼らが先陣を切ることが可能となった。これは、彼らの友人ポール・ギルバートコンピュータ構築している間に、アレンがタイムシェアリングコンピュータPDP-10上で8008シミュレートするプログラム書いたもので、ハード完成する前にソフトウェア書いてデバッグすることができた。 ハーバード大学には学生自由に使用できるPDP-10があった。彼らはそれを使ってAltair用のBASIC開発したアレン8008用のソフトウェア開発ツール8080用に修正している間、ゲイツ黄色リーガルパッド8080アセンブリ言語手書き書き始めたまた、ゲイツ同級生モンティ・ダビドフ浮動小数点演算ルーチンを書くように依頼した2月上旬までには、プログラムコーディング手書きからPDP-10上で行われるようになり、1975年3月まで試作版が完成したそれ以前ゲイツアレンMITS社ロバーツ接触し3月アレン試作版を持ってアルバカーキ飛んだアレンMITS社到着してから、ソフトウェアが動くようになるまでに1日かかったロバーツは、遅延ソフトウェアの問題よるものであったとしているが、アレンは、これはコンピュータメモリ問題のためだったとしている。 『コンピュータ・ノーツ』1975年4月号には、「Altair BASIC - Up and Running」という記事掲載されていた。このソフトウェア1975年6月23日出荷開始される予定だった。ソフトウェア価格500ドルだったが、8キロバイトメモリシリアルI/Oカード搭載したAltair合わせて購入する75ドル値引きされた。 1975年7月22日MITS社ゲイツアレンとAltair BASICの契約結んだ。彼らは署名時に3000ドル受け取りBASICコピー1部売れるごとに4K版30ドル8K版は35ドル拡張版60ドルロイヤルティー支払われた。契約の上限は18ドルだった。MITS社は、このプログラム10年間の世界的な独占ライセンス受けた。彼らはまた、他の企業プログラムをサブライセンスする独占的な権利持ちライセンス促進しプログラム商業化するために「最善努力」をすることに合意したMITS社は、アルバカーキ学区所有するPDP-10使用時間を、BASIC開発のために提供したアレンハネウェル社での仕事辞め年間3ドル給料MITS社副社長兼ソフトウェア・ディレクターに就任したゲイツはまだハーバード大学学生で、MITS社請負作業者に過ぎなかった。1975年10月社内報には、彼の肩書きは「ソフトウェアスペシャリスト」と記載されている。 MITS社からメモリとI/Oボード追加購入した顧客へは、Altair BASICは75ドル販売された。MITS社メモリボード信頼性の高いものであれば顧客はそれに応じていたかもしれない。しかし、顧客MITS社からはコンピュータのみ購入しメモリプロセッサ・テクノロジー社などのサードパーティから購入した。彼らは、BASICのために500ドル支払うことはせず、海賊版使用していた。Altair BASICのユーザのうち、正規品購入していたのは約10%けだったゲイツは、これによりロイヤルティーが入らなくなることから、これはホビイストによる窃盗であると感じていた。1976年2月ゲイツは「マイクロソフトのジェネラル・パートナー」として『ホビイストへの公開状』という文章書きホームブリュー・コンピュータ・クラブ会報など様々なコンピュータ関係出版物送ったこの中でゲイツは、ソフトウェアコピーする行為窃盗だとして非難し人々お金払わないソフトウェアの開発継続できない宣言したMITS社1975年11月に、MC6800使用した新しコンピュータAltair 680発表した。このマシン1976年1月出荷されることになっていたが、ハードウェアの設計上の問題5月まで出荷遅れたアレンは、6800に対応するように8080シミュレータ書き直したゲイツアレン高校時代の友人であるリック・ウェイランドは、Altair BASICの8080アセンブリ言語を6800アセンブリ言語移植した海賊版によるロイヤルティ損失問題解消のため、6800版BASICMITS社対し31,200ドル一括払いの非独占的なライセンス与えた。ウェイランドとマーク・マクドナルド(英語版)は、6800から派生した新しマイクロプロセッサMOS 6502感銘受けた。彼らは、6800の開発システム6502対応するように改造し6502版のBASIC作り出した。このバージョンは後にコモドールアップル販売された。 『コンピュータ・ノーツ』1976年1月号には、8080 BASIC広告掲載された。その最後段落には次のように書かれている。「ソースリストバイナリ配布する権利のためのライセンスOEM購入者にも利用可能です。より詳細情報についてアルバカーキにあるMITS社工場ポール・アレン氏に手紙電話お問い合わせください。」マイクロソフトは、BASIC複数企業顧客を見つけ、収益MITS社均等に分割された。1976年12月MITS社買収したパーテック社は、それ以上OEM取引許可することを拒否した。これは、MITS社ソフトウェアライセンス取得するための「最善努力」をするというマイクロソフトとの契約反するものだったMITS社マイクロソフトは、紛争解決するために、拘束力のある仲裁使用した1977年9月仲裁人マイクロソフト有利な判決下したMITS社自社マシン上でBASIC使用し続けることはできるが、独占的なライセンス失ったマイクロソフトでは、誰にでもソフトウェアライセンス取得しロイヤルティ全て取得することができるようになったマイクロソフトは、もはやアルバカーキ留まる必要がなくなったため、より魅力的な大都市への移転希望したサンフランシスコ・ベイエリア検討されたが、アレンゲイツ故郷シアトルに戻ることにした。マイクロソフト1979年1月シアトル郊外ワシントン州ベルビュー移転した

※この「Altair BASIC」の解説は、「Micro Instrumentation and Telemetry Systems」の解説の一部です。
「Altair BASIC」を含む「Micro Instrumentation and Telemetry Systems」の記事については、「Micro Instrumentation and Telemetry Systems」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「Altair_BASIC」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ

「Altair BASIC」の例文・使い方・用例・文例

Weblio日本語例文用例辞書はプログラムで機械的に例文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「Altair_BASIC」の関連用語

Altair_BASICのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



Altair_BASICのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのAltair BASIC (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、WikipediaのMicro Instrumentation and Telemetry Systems (改訂履歴)、ホビイストたちへの公開状 (改訂履歴)、エド・ロバーツ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。
Tanaka Corpusのコンテンツは、特に明示されている場合を除いて、次のライセンスに従います:
 Creative Commons Attribution (CC-BY) 2.0 France.
この対訳データはCreative Commons Attribution 3.0 Unportedでライセンスされています。
浜島書店 Catch a Wave
Copyright © 1995-2025 Hamajima Shoten, Publishers. All rights reserved.
株式会社ベネッセコーポレーション株式会社ベネッセコーポレーション
Copyright © Benesse Holdings, Inc. All rights reserved.
研究社研究社
Copyright (c) 1995-2025 Kenkyusha Co., Ltd. All rights reserved.
日本語WordNet日本語WordNet
日本語ワードネット1.1版 (C) 情報通信研究機構, 2009-2010 License All rights reserved.
WordNet 3.0 Copyright 2006 by Princeton University. All rights reserved. License
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
「斎藤和英大辞典」斎藤秀三郎著、日外アソシエーツ辞書編集部編
EDRDGEDRDG
This page uses the JMdict dictionary files. These files are the property of the Electronic Dictionary Research and Development Group, and are used in conformance with the Group's licence.

©2025 GRAS Group, Inc.RSS