「泥棒」と「寄生虫」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/25 16:28 UTC 版)
「ホビイストたちへの公開状」の記事における「「泥棒」と「寄生虫」」の解説
ホームブリュー・コンピュータ・クラブの1975年6月の会報には、編集者のフレッド・ムーア(英語版)が書いた次の記事が掲載された。 6月5日・6日、パロアルトのリッキーズ・ハイアット・ハウスにMITSモバイル号がやって来た。会場には150人以上のアマチュアや実験家が詰めかけ、この新しい電子玩具のことを知りたがっていた。 このセミナーにMITS社社員が持って来ていたAltair BASICのプレリリース版が記録された紙テープが、セミナー終了時には消えていた。実は、セミナーに参加したスティーブ・ダンピエがこの紙テープを手に入れていた。彼は、高速テープパンチ装置を使用できるダン・ソコルに紙テープを渡した。次のホームブリュー・コンピュータ・クラブの会合には、それをコピーした紙テープ50部が段ボール箱に入れられて持ち込まれ、参加者に配布された。 MITS社は、MITS 4K DRAMボードを2つとシリアルインターフェイスボード、Altair BASICを搭載したAltairを995ドルで販売した。しかし、264ドルのMITS RAMボードは、一部の部品や設計上の問題があったため、信頼性に欠けていた。ホームブリュー・コンピュータ・クラブのメンバーのボブ・マーシュは、Altair 8800とプラグイン互換性のある4K SRAMを設計し、255ドルで販売した。彼の会社・プロセッサ・テクノロジー社は、最も成功したAltair互換ボードサプライヤーの1つとなった。多くのAltair 8800の所有者は、MITS社の高額なバンドルパッケージは買わずに本体だけ購入し、メモリボードはサードパーティのサプライヤーから購入し、Altair BASICは他の人から「借りた」コピーを使用していた。 エド・ロバーツは、『コンピュータ・ノーツ』1975年10月号で、4K DRAMボードの問題を認めた。メモリボードの価格は264ドルから195ドルに値下げされ、既存の購入者には50ドルを払い戻した。8K Altair BASICの単体の価格は200ドルに値下げされた。ロバーツは、MITS社がBASICを無償で提供してほしいという顧客の要望を断った。ロバーツは、MITS社が「18万ドルのロイヤルティをマイクロソフトと契約している」と書いた。また、「MITS BASICの盗まれたコピーを使っている人は、自分は泥棒だと名乗るべきだ」とも書いている。サードパーティのハードウェアサプライヤーに対しては、「最近、寄生虫企業が続々と登場している」とコメントした。 プロセッサ・テクノロジー社のSRAMボードは、MITS社のDRAMボードよりも多くの電流を流し、2~3枚ボードを刺すとAltair 8800の電源に負担をかけることになった。ハワード・フルマーはアップグレードした電源装置の販売を開始し、自らの会社を"Parasitic Engineering"(寄生的なエンジニアリング)と名付けた。フルマーは後に、Altair互換ボードの業界標準であるS-100バスの規格策定に貢献した。 翌1976年、IMSAI 8080やプロセッサ・テクノロジー社のSol 20など、多くのAltair互換機が登場した。
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