プロセッサ・テクノロジー社
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「Sol-20」の記事における「プロセッサ・テクノロジー社」の解説
1975年1月、『ポピュラーエレクトロニクス』誌の表紙にAltair 8800が掲載され、急成長を続けるシリコンバレーのエンジニアたちの間に強い関心を呼び起こした。その後すぐの1975年3月5日、ゴードン・フレンチ(英語版)とフレッド・ムーア(英語版)は、後にホームブリュー・コンピュータ・クラブとなる初の会合を開催した。フェルゼンスタインはホームブリュー・コンピュータ・クラブの会合にマーシュを連れて行き、マーシュはAltairのアドオンカードを供給することとなった。マーシュは同年4月に、友人のゲイリー・イングラムとともにプロセッサ・テクノロジーを設立した。 同社の最初の製品は、Altair用の4 kB DRAMメモリカードだった。同様のカードはAltairの開発元のMITS社からも入手できたが、そのほとんどはまともに動作しなかった。マーシュは、導入予定の製品の回路設計やマニュアルの執筆などの仕事の契約をフェルゼンスタインに持ちかけた。フェルゼンスタインはまだ端末の開発に取り組んでおり、7月にマーシュは彼に端末のビデオ出力部分の開発費を支払うことを申し出た。これは、基本的にはシリアルポートではなく、Altairのメインメモリからデータを供給するバージョンの端末だった。 これにより、最初のグラフィックスカードであるVDM-1(英語版)が誕生した。VDM-1は64桁16行の表示が可能で、大文字と小文字を含む完全なASCII文字セットと、矢印や基本的な数学記号のような多数の記号文字が表示可能だった。Altairに、出力用のVDM-1と入力用キーボードを接続するP3+Sカードを装備することで、操作のために端末を接続する必要がなくなり、Hazeltineのような端末製品よりも安価に購入できる。
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