起源と開発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/26 01:13 UTC 版)
「Altair BASIC」の記事における「起源と開発」の解説
ビル・ゲイツは、彼とポール・アレンが『ポピュラーエレクトロニクス』1975年1月号に掲載されたAltair 8800の記事を読んだとき、コンピュータの価格が間もなく下がり、ソフトウェアの販売が収益性の高いビジネスになるだろうと理解したと後に回想している。ゲイツは、Altair 8800にBASICインタプリタを提供することで、この製品が趣味家にとってより魅力的なものになると考えていた。彼らはMITSの創設者エド・ロバーツに連絡を取り、(まだ作業に取り掛かってすらいないにも関わらず)彼らがBASICインタプリタを開発していると伝え、デモを見たいかどうか尋ねた。これは、存在しない製品を発表して相手の興味を測る観測気球であった。ロバーツは、数週間後の1975年3月にデモのために彼らと会うことに同意した。 ゲイツとアレンは、インタプリタを開発してテストするためのAltairコンピュータを持っていなかった。しかし、アレンは以前トラフォデータ(英語版)の名称で仕事をしていたときにIntel 8008エミュレータを作成し、PDP-10上で動作させていた。アレンはAltairのプログラマガイドに基づいてこのエミュレータを改良し、ハーバード大学のPDP-10上でインタプリタの開発とテストを行った。大学の資産で商用のソフトウェアが開発されていることを知った大学当局は不満を抱いたが、このような使い方を禁止する規定は大学にはなかった。結局、大学当局から商業行為は学外で行うよう勧告され、ゲイツとアレンはボストンのタイムシェアリングサービスからコンピュータの使用時間を購入してBASICプログラムのデバッグを行った。当初のバージョンは整数演算のみだったが、ハーバード大学の同級生のモンティ・ダビドフが浮動小数点演算も使うべきだとし、自分ならメモリ制限内に収まるようなシステムを書けると主張したので、ゲイツとアレンはダビドフを雇ってそのルーチンを作ってもらった。 独自の入出力システムとラインエディタを持った完成したインタプリタは、わずか4キロバイトのメモリに収まり、さらに、解釈後のプログラムを格納するための十分なメモリ空間が確保されていた。デモの準備として、完成したインタプリタをAltairに読み込ませるために紙テープに保存し、アレンはMITS社のあるアルバカーキへ飛んだ。 アルバカーキ空港への最終アプローチ中、アレンは紙テープをメモリに読み出すためのブートストラッププログラムを書き忘れていることに気付いた。アレンはそれを8080の機械語で書き、飛行機が着陸する前にプログラムを完成させた。プログラムをAltairにロードし、システムのメモリサイズを尋ねるプロンプトが表示されたのを見て初めて、彼らは自分たちのインタプリタがAltairハードウェア上で正しく動作することを知った。その後、誰が最短のブートストラッププログラムを書けるかを賭けて、ゲイツが勝利した。
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