4車線拡幅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 20:32 UTC 版)
琵琶湖大橋は琵琶湖の東西の交通をスムーズにさせ、琵琶湖の観光名所としても欠かせないものとなった。しかし、琵琶湖大橋に連絡する国道や周辺道路の交通量が増加し、起終点付近では交通混雑が日を追うごとに著しいものとなっていった。そこで、1989年(平成元年)から琵琶湖大橋の4車線化に着手するようになった。大津方面行きが旧橋、守山方面行きが新橋を用いている。 工事に先立って再び土質調査が行われ、著しい互層状となり複雑な地盤であると結果が得られた。なお、複雑な地形を鑑みて、施工時には大津市側・守山市側の各5か所でボーリング調査が行われた。1日あたりの計画交通量の推定も行われ、2000年(平成10年)度には25,200台、償還期間(当時)の最終年である2023年(令和5年)度は26,400台と推定された。さらに、環境対策として地圏・水圏での影響が評価され、同時に景観の検討も実施されている。 琵琶湖大橋を管理している滋賀県道路公社では、4車線化工事に着手にあたって1988年(昭和63年)度に道路公社工務部に琵琶湖大橋建設準備室を設け、その後工務部から独立した琵琶湖大橋建設事務所を設置して本格的に事業を進めた。 新設する橋梁は、航路部が3径間連続鋼床版箱桁が1連、それ以外の部分が5径間連続日合成鈑桁が5連と単純プレテンPC桁が1連設置されることになった。航路部の構造は旧橋と同じであるが、航路部以外の部分は走行性・耐震性・経済性を考慮して構造が異なる。 施工にあたって、大部分が湖上の難易度が高い工事となり、特に鋼管矢板基礎工は緻密な精度が要求されるため測量台を4か所と補助測量台を各橋梁ごとに設置した。供用している旧橋に大きな影響を与えないよう、旧橋の水平変位・鉛直変位・傾斜を観測したが、施工中それぞれの変位は計測誤差の範囲内に入り旧橋の橋脚に異状が見られなかった。また、琵琶湖の水質を保全するため、橋脚部周囲に汚濁防止膜を展張することで濁質の拡散を防ぎ、施工期間は現場周辺の水質検査を行った。工事用船舶による施工が不可能な水深の浅い場所は桟橋を仮設し、桟橋を設けた区間と工事用船舶を用いる区間を同時施工することで工期の短縮を図った。 橋梁の基礎は旧橋が多柱式鋼管杭基礎に対し、新橋は鋼管矢板井筒基礎を採用している。基礎の打ち込みは中堀工法により行い、鋼管矢板は水面上まで立ち上げてその頂部に頂版や躯体を設置する立ち上がり方式での施工が行われた。基礎本体を仮締切壁として兼用し、頂版や躯体の構築後は切断した。水位の変動によって鋼管矢板がそのまま見えることがあるため、後の工程でフーチングの下部にコンクリートPC板を設けて景観に配慮した。防食のため、ポリエチレン被覆防食による重防食が行われている。基礎のコンクリートは水中での打設となるので分離しないよう混和剤としてAE減水材・高性能減水材に加え水中不分離性混和剤が用いられた。鋼管矢板基礎の頂版は、鋼管矢板の側面に頂版を配するように設置した。 下部工は型枠受支保工の設置を行い、フーチングを設置し、橋脚部の設置の順に行われた。コンクリート打設は最大高さ4 mを限度として行い、4回ないし5回に分けて打ち込みを行った。工事用船舶を用いて施工する区間では、打設に用いる生コンクリートを含んだアジテータトラック2台と打設用のコンクリートポンプ車1台を船舶で施工現場に運送した。 上部工は材料を加工したものを仮組立し、それを一度解体したのちに塗装して現地に発送した。架設時は大半の区間はベント工法によってクローラークレーンを用いて設置したが、最も高くなる部分のみはクローラークレーンを用いたキャンチレバー工法で架設した。 新旧の橋梁が並列することで振動応答が変化するため、落橋防止で新橋・旧橋の両方に制振プレートがそれぞれ水平方向の外側に向けて設置された。 この4車線化工事に伴い、管理事務所や料金所は大津側にあったものを撤去し、守山側に統一して施設の充実化を図った。橋上の交通や料金所の状況を把握できるよう管理事務室を全面的に道路側に配置した。この料金所付近には1995年(平成5年)に開催された琵琶湖現代造形展の作品と守山市のなぎさ公園にあった「おまん灯籠」を移設した。 転落防止柵や照明灯、植樹帯などは景観に配慮されており、車庫や倉庫は管理事務所と色彩を統一するなど修景への配慮が行われた。 橋梁の工事に並行して、滋賀県道2号大津能登川長浜線と滋賀県道42号草津守山線の改良工事も滋賀県道路公社の下で行われることとなった。
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