2005-2014とは? わかりやすく解説

2005 - 2014(J1)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 01:13 UTC 版)

大宮アルディージャ」の記事における「2005 - 2014(J1)」の解説

2005年 クラブスローガン「「Departure」走り出す大宮→」。 三浦俊也体制2年目。元ブラジル代表FWクリスティアン日本代表MF藤本主税などを補強したシーズン中クリスティアン移籍故障続出によりチーム不調に陥り、第28節時点16位に下がったが、レアンドロ若林学活躍により第29節より4連勝し最終順位13位。ナビスコ杯ベスト8天皇杯ベスト42006年 クラブスローガン「OMIYA EXPRESS 加速するオレンジ魂」。 三浦体制3年目各ポジション選手補強する外国人選手機能せず、最終順位12位。 2007年 クラブスローガン「シンカ進化真価深化」。 1999年まで監督務めたピム・ファーベークの弟・ロバート・ファーベーク監督就任シーズン前半で16位となりファーベークが退任し強化育成部長佐久間悟監督就任したチーム不調続き最終順位15位で辛うじてJ1残留を果たす。 2008年 クラブスローガン「シンカ NEXT進化真価深化」。 三浦監督退任時からオファー出していた山形監督樋口靖洋監督就任攻撃的なサッカー志向し第5節から5戦負け無し(3勝2分)など上位食い込む兆し見せ14時点では7位につけたが、そこから4連敗を含む5試合未勝利低迷その後連勝するも第24節からは5戦連続無得点を含む6連敗喫し降格圏の17位にまで沈む。リーグ終盤再び5戦負け無し(3勝2分)となって最終的に12勝7分け15敗の12位でシーズン終えた同年限り樋口退任となった2009年 クラブスローガン「想心 AGGRESSIVE SHIFT 2009」。 監督東京V札幌指揮経験のある張外龍招聘。 5戦負け無し(2勝3分)でスタートを切るものの、開幕当初から主将MF小林慶行はじめとしてケガ人が続出したことが響いて第6節からの8試合で4連敗を含む1勝2分5敗と低迷。そこからも苦し試合が続くが、3連敗喫しないなど辛うじて降格圏を免れラスト3試合引き分け13位でシーズン終えた2010年 クラブスローガン「心 より強くより高く、より深く」。 張体制2年目塚本泰史が右大腿骨骨肉腫患っていたことが判明開幕戦勝利するも、そこから7試合未勝利(2分5敗)とチーム17位に低迷し、張が監督退任後任に元新潟監督鈴木淳招聘するチーム状態は上向き、第15節から5戦負け無し(3勝2分)となるなどチーム状態は回復兆し見せ、第27節からの終盤8試合を4勝3分け1敗で乗り切ったこともあり、11勝9分14敗の12位でシーズン終えた。 なお、この年10月2日浦和戦で観客数水増し発覚クラブ側は当初全面否定したが、翌日リーグ事務局による本格調査が入ると一転してこれを認めその後の調査2007年11月以降主管58試合で各試合4,000人以上、合計111,737人の水増しが行われていたことが明らかになった。10月19日には代表取締役渡邉吾が辞任し11月16日には日本プロサッカーリーグより譴責始末書提出)と制裁金2,000万円処分課せられた。 2011年 クラブスローガン「上昇宣言リス木登り~」 鈴木体制2年目東日本大震災の影響レギュレーションが変わる中、連勝連敗もない(第8節から4試合無敗、第14節から3試合未勝利はあり)という順位表の注意彷徨う星取り前半推移したが、後半戦に入ると第18節から3連敗を含む5試合未勝利(2分3敗)、さらに第19節からも5試合未勝利(3分2敗)と15位まで順位下げる。しかしそこでなんとか踏みとどまり最終的に1012分け12敗の13位でシーズン終える。 2012年 クラブスローガン「上昇宣言2012リス木登り~」 鈴木体制3年目現役復帰断念した塚本泰史大宮アンバサダー就任し7年在籍したMF藤本主税熊本移籍前年同様開幕時から連勝連敗のない星取りだったが、第12節からの連敗で4勝3分け6敗の15位に沈むと監督鈴木ヘッドコーチ石井知幸解任後任に元スロベニア代表代表監督千葉などでも監督務めたズデンコ・ベルデニック監督として招聘し(7年ぶりの日本復帰)、ユーズコーチの井上卓也ヘッドコーチ昇格させる。 ベルデニックは守備再整備戦力見直し着手最前線からの守備徹底し中盤詰めてチームコンパクトに保つ守備陣形トレーニング積み重ね、夏の移籍期間に絶対的エースだったFWラファエル移籍させる一方でスロベニア代表FWズラタンFWノヴァコヴィッチ獲得する。ベルデニックは「短期間チーム自分サッカースタイル浸透させた」(金澤慎談)ものの、どちらも着任当初はすぐに効果出ず就任後10試合で2勝2分6敗と低迷し降格圏の17位にまで沈むが、9月入って最初ゲームである浦和とのさいたまダービー数的不利の状況から追いついて引き分け持ち込むと、そこからのリーグ戦11試合を5勝6分無敗この間複数失点0)とし、111112敗の13位でシーズン終える。 2013年 クラブスローガン「大宮共闘」 ベルデニック体制2年目前年から引き続き中盤コンパクトにした4-4-2 (4-2-2-2)の布陣敷き選手全員最前線からハードワークしてボール奪いシンプルにFWにつなぐスタイル浸透前線こそ曺永哲ズラタンノヴァコヴィッチ各国代表クラス選手が並ぶものの、日本代表経験のない選手らを中心としたハードワーク勝ち星積み重ね劇的な試合展開もありながら第4節からの7連勝を含む10無敗(8勝2分)、前シーズン終盤から通じて21無敗という、当時J1リーグ無敗記録それまで記録2009年鹿島記録した17試合無敗)を更新したその後仙台相手に初黒星喫した後も1杯をキープしたまま前半戦終盤迎えるが、真夏近づくにつれハードワーク要求される大宮選手たち疲労蓄積し選手の間からもハードな練習メニュー対する不満の声が聞かれるようになった。そして前半戦折り返しの第17節で川崎逆転負けで3敗目(シーズン初の連敗ホーム無敗記録13ストップ)を喫して首位から陥落すると、クラブこの年ヘッドコーチについていた小倉勉テクニカルディレクター異動させてベンチメンバーから外して立て直し試みるが、さらに連敗重ねた結果8月11日にベルデニックを解任岡本武行GM代行指揮1試合挟んで小倉後任監督就任した。しかしその後浮上きっかけはつかめず、第24節の横浜FM戦を挟んで都合2度の8連敗喫して失速。第33・34節で連勝するが、結果的に14勝3分17敗の14位でシーズン終えたシーズン終了後GM岡本強化部長古矢武士退任した2014年 クラブスローガン「大宮共闘監督として元FC東京監督大熊清招聘海外プレーしていた家長昭博を完全移籍獲得するなど戦力補強進め第4節終了時点では2勝2敗の8位とするが、そこから4連敗を含む7戦未勝利(3分4敗)となって降格圏に低迷その後FC東京戦に勝利するが、そこから再び未勝利となり、ワールドカップによる中断期間を挟んで10未勝利(4分6敗)となった22終了後8月31日大熊解任コーチ務めていた渋谷洋樹監督就任し、そこからの6戦で5勝1敗と持ち直し一時降格圏を脱出するものの、第29節からの5戦未勝利(1分4敗)で再び降格圏に沈み最終節勝利したものの、残留争っていた清水引き分けたために勝ち点で1及ばず10年守り続けたJ1の座から下りることとなった。。

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