2005-2006シーズン以降
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「チョン・ヨンヒョク」の記事における「2005-2006シーズン以降」の解説
2005-2006シーズンのオリンピックはピョ・ヨンミョンとのペア。 上記以外はソン・ミヒャンとのペア。 大会/年2005-062006-072007-082008-092009-10冬季オリンピック 棄権 北朝鮮選手権 1 1 1 1 ネーベルホルン杯 11 シェーファー記念 8 アジアフィギュア杯 1
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2005-2006シーズン以降
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「バッファロー・セイバーズ」の記事における「2005-2006シーズン以降」の解説
2005-2006シーズンはゴーリーライアン・ミラーや30ゴールをあげたフォワードクリス・ドュリューリーなどの活躍で、52勝24敗6延長戦負けというイースタン・カンファレンストップの好成績を残し、リンディ・ラフコーチは、ジャック・アダムス賞を受賞した。プレーオフでは1回戦でフライヤーズを4勝2敗で下し、2回戦もオタワ・セネターズを4勝1敗で下した。しかし、カロライナ・ハリケーンズとのカンファレンス決勝までの間に怪我人が増え、第6戦ではジェイ・マッキーも怪我人になった。第7戦は4対2で負けてシーズンが終わった。オフにフォワードのジャン・ピエール・デュモン (Jean-Pierre Dumont)、ディフェンスのマッキーらを放出し、ディフェンスにヤロスラブ・スパッチェク (Jaroslav Spacek) を加えた。 2006-2007シーズン、セイバーズは新しいホームジャージ、アウェイジャージを採用し、チームロゴもそれまでのレッドアイバッファローから黄色・青を基調としたバッファローのロゴに変更され、チームカラーも変更された。チームは開幕から10連勝するなど、15勝1敗1延長戦負けというロケットスタートを切った。53勝22敗7延長戦負けでプレーオフに進出し、ニューヨーク・アイランダーズを4勝1敗、ニューヨーク・レンジャースを4勝2敗で破ってカンファレンス決勝まで駒を進めたが、セネターズに敗れて2年連続でカンファレンス決勝で姿を消し、スタンレーカップファイナル進出を逃した。オフ、キャプテンを務めていたダニエル・ブリアがフライヤーズ、クリス・ドュリューリーがレンジャースに移籍した。 2007-2008シーズン、中心選手2人を失ったチームは、39勝31敗12延長戦負けでシーズンを終えて、プレーオフを逃した。 2008-2009シーズン、ティム・コノリーと2年420万ドルで契約を延長した。また、フェニックス・コヨーテズからミカエル・テルクヴィスト (Mikael Tellqvist) を、ドミニク・ムーア (Dominic Moore) をトロント・メープルリーフスから獲得、アレス・コタリック をエドモントン・オイラーズにトレードした。チームは41勝32敗9延長戦負けで、わずか2ポイント差でプレーオフを逃した。 2009-2010シーズン、ゴーリーのライアン・ミラーは、アメリカ代表としてバンクーバーオリンピックに出場し、決勝の延長に、シドニー・クロスビーにゴールを決められたものの銀メダルを獲得した。この年チームは45勝27敗10延長戦負けで、ミラーがベジーナ賞に、ディフェンスマンのタイラー・マイヤーズ (Tyler Myers)がカルダー記念賞に選ばれた。プレーオフではボストン・ブルーインズに2勝4敗で敗れた。 2010-2011シーズン、2月に、チームキャプテンのクレイグ・リヴェイ (Craig Rivet) をウェーバーし、彼はコロンバス・ブルージャケッツに入団した。2月23日、テリー・ペグラが1億8900万ドルでチームを買収したこと、チームをバッファローから移転させないことを発表した。この年、チームは43勝29敗10延長戦負けで、プレーオフに進出、プレーオフではミラーが2試合で完封する活躍を見せたが、3勝4敗で敗れた。 2011-2012シーズン、開幕前にジェイソン・ポミンビル (Jason Pominville) をキャプテンに指名した。ヨーロッパで開幕したこのシーズン、アナハイム・ダックスをヘルシンキで、ロサンゼルス・キングスをベルリンで破った。11月12日のボストン・ブルーインズ戦でゴーリーのミラーが脳震盪を起こし、その後9試合に欠場、続く33試合でわずか9勝しかあげられなかった。3月には14勝1敗3延長戦負けと好成績をあげたが、チームは39勝32敗11延長戦負けで、3ポイント差でプレーオフを逃した。 2012-2013シーズン、開幕前の7月にデレック・ロイ (Derek Roy) とのトレードで、ダラス・スターズからスティーブ・オット (Steve Ott) を獲得した。このシーズンからロックアウトで3ヶ月開幕が遅れて、48試合となったレギュラーシーズンでは、2月20日に16シーズンチームの指揮を執ったリンド・ラフヘッドコーチが解任され、ロン・ロルストン (Ron Rolston)が後任となった。トレード期限に、ジョーダン・レオポルド (Jordan Leopold) をセントルイス・ブルースに、ロビン・レゲエ (Robyn Regehr) をロサンゼルス・キングスに、キャプテンのポミンビルをミネソタ・ワイルドに放出してドラフト指名権を獲得、チームの再建に乗り出した。チームは4月に8勝したものの、21勝21敗6延長戦負けで、ノースイースト・ディビジョン最下位に終わった。 2013-2014シーズン、10月27日にトーマス・ヴァネック (Thomas Vanek)をニューヨーク・アイランダースにトレードした。チームは最初の20試合で4勝15敗1延長戦負となり、11月13日にロルストンコーチは解任されて、テッド・ノーラン (Ted Nolan) が後任となった。ホッケーの殿堂入りしているラフォンテーヌを球団社長に、ティム・マレーをGMに迎えた。11勝25敗4延長戦負けで新年を迎えたチームは、1月にわずか4勝しかできず、ソチオリンピックによる中断を迎えた。ゴーリーのミラーとキャプテンのオットがセントルイス・ブルースにトレードされた。シーズン最後の20試合で2勝に終わるなど、21勝51敗10延長戦負けでシーズンを終えた。
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