2005-2008年:再結成コンサート及び再編成とは? わかりやすく解説

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2005-2008年:再結成コンサート及び再編成

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 08:54 UTC 版)

アリス・イン・チェインズ」の記事における「2005-2008年:再結成コンサート及び再編成」の解説

2005年にショーン・キニーが、2004年南アジア襲った津波被害者への慈善コンサート開催思い付き以前バンドメンバーやかつてアリス・イン・チェインズマネージャーであったスーザン・シルバーのような音楽界友人らに電話をしたところ、このアイデアへの熱狂的な反応を受け驚く。2005年2月18日に、ジェリー・カントレル、マイク・アイネズそしてショーン・キニーはシアトル開催されK-Rock Tsunami Continued Care Relief Concertにて実に9年ぶりに共に演奏をしたが、その際ダメージプランボーカルであるパトリック・ラックマンフィーチャーし、トゥールメイナード・ジェームス・キーナンハートアン・ウィルソン特別ゲストとして迎えている。このコンサートから数ヶ月後、アリス・イン・チェインズメンバーはスーザン・シルバーとカントレルのマネージャーであるビル・シドンズにアリス・イン・チェインズとして再びツアー出たいという意向伝える。 CBSリアリティー番組である『Rock Star』のプロデューサーが、アリス・イン・チェインズ番組第2シーズンフィーチャーしたいという話を持ちかけたが、バンド側はこのオファー断っている。この番組は、野心燃えシンガー達がフィーチャーされたグループリードボーカルの座を狙って競い合うのである2006年3月10日シアトル親しミュージシャンであるハートアン及びナンシー・ウィルソンの名誉を称えてVH1's Decades Rock Liveコンサート演奏行ったボーカルパンテラ及びダウンフィル・アンセルモベースガンズ・アンド・ローゼズ及びヴェルヴェット・リヴォルヴァーダフ・マッケイガン役目担い「Would?」をプレイし、そしてカントレルは演奏最後に今回ショーレイン・ステイリー後期パンテラ及びダメージプランギタリストであるダイムバッグ・ダレル捧げたComes with the Fallボーカルであるウィリアム・デュヴァールとアン・ウィルソンと共にRooster」もプレイした。その後アメリカ国内で「Finish What We Started」と題され短期間のクラブツアーをおこないヨーロッパで幾つかのフェスティバル出演し、そして日本で短いツアー開催した。マッケイガンは再結成ツアーに再び同行し選ばれた数曲でリズムギター担当したツアーでは、エレクトリックからアコースティック・セットへの入れ替え時にステイリーへのトリビュートとして5分間映像会場流している。 バンド再結成と時を同じくして、ソニーミュージックはようやくアリス・イン・チェインズ3枚目のコンピレーション・アルバムとなる2枚組CD:全28収録のThe Essential Alice in Chains邦題:エッセンシャル・アリス・イン・チェインズ)をリリースした。 カントレルはComes with the Fallファースト・アルバム紹介してくれた共通の知人通じて2000年にウィリアム・デュヴァールと出会う。カントレルはComes with the Fall親しくするようになり、たまに一緒にステージ上がることもあった。2001年から2002年の間は、カントレルの2枚目のソロ・アルバムであるDegradation Tripツアーオープニング・アクトComes with the Fall務めコンサート中にステイリーのパートをデュヴァールが歌っている。デュヴァールは2006年アリス・イン・チェインズ再結成ツアーリードボーカルとしてバンド加入し初めアリス・イン・チェインズメンバーとして公演おこなったのはVH1's Decades Rock Liveコンサートである。カントレルによれば、デュヴァールにはたった一度しかオーディションをしなかった。アリス・イン・チェインズメンバーとの初回リハーサルでデュヴァールは「Love, Hate, Love」を歌い終了後キニーがほかのメンバーを見ながら「もう(リードボーカルを)探すのは完全に終わったようだな。」と発言した。アイネズによると、デュヴァールがステイリーを真似ようとしなかったことが自分達が彼に惹きつけられ要因だったと述べている。 カントレルは再結成について、「俺達今まで成し遂げたことと、俺達友人功績祝いたいんだ。これまで俺達レインクローンになるんじゃなくて自身独自性持った何人かのシンガー達と一緒に演奏してきた。(レイン・ステイリーの)見事なレガシー踏みたいわけじゃないんだ。レッド・ツェッペリンのように、重要な奴がいなくなった二度とプレイしないのか?俺達これまでの長い年月そうしてきたんだ。それか、何かやってみるか?ってことになり、このチャンス賭けてみることにしたんだ離れていた俺達3人が戻って一緒になったんだからこれは完全に再結成と言えるんじゃないかな。だけど今回のことは離れていき忘れ去っていくことじゃないんだ―これは思い出と共に進んでいくことなんだよ。」と説明している。 アリス・イン・チェインズ2007年1月2日シアトルのベナロヤ・ホールでシアトル・チルドレンズ病院のためのMatt Messina and the Symphony Guild 10周年記念慈善コンサートで4曲を演奏した自身の曲に加えノースウエスト交響楽団及び女性合唱団を含む200人以上の演奏者構成されバックバンドと共にレッド・ツェッペリンの曲である『カシミール』を披露している。 キニーバンド再結成について次のように述べている:「俺はジェリー呼び出すことは無かったし、あいつも同じだった。そして言ったんだ、“なあ、もう一度バンドやらないか”ってな。俺達一歩一歩をかなり慎重にゆっくりと踏み出してきて、信じられるものは何でもやってきたんだ。それが正直なものであり、俺達正し理由のためにやっていて俺達全員がそれを信じられたら小さな一歩踏み出すんだ。 ステイリーの後任としてリードボーカルとなったデュヴァールにプレッシャーがかかることについて、「ウィル(デュヴァール)の肩に全ての負担のしかかるなんて公平じゃないよ。俺達バンドチームしてどのように機能するかやってみているところなんだ。俺達レイン失いウィル迎えてバンド変わったけれども、もともと基本計画のようなものは存在しない2005年もう一度プレイしてみたらそれが正しいものだと感じたから次の行動移りツアーしたんだ一歩ずつ進んで行ったんだよ。ただ音楽制作するってだけじゃないし、それは今まで変わらない俺達長い間ずっと友達なんだよ。家族上の存在だし、それで大丈夫だとここで感じているんだ。」と、カントレルは自身心臓指しながら語った2007年4月アリス・イン・チェインズはデュヴァールと共にニューアルバム用の作曲デモ作業開始する。しかしニック・ラスクリネスをプロデューサー起用してスタジオでレコーディングをしていることを2008年10月発表するまで、制作進行状況について何の兆候見せなかった。

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