2005-2008年:再結成コンサート及び再編成
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「アリス・イン・チェインズ」の記事における「2005-2008年:再結成コンサート及び再編成」の解説
2005年にショーン・キニーが、2004年に南アジアを襲った津波の被害者への慈善コンサートの開催を思い付き、以前のバンドメンバーやかつてアリス・イン・チェインズのマネージャーであったスーザン・シルバーのような音楽界の友人らに電話をしたところ、このアイデアへの熱狂的な反応を受け驚く。2005年2月18日に、ジェリー・カントレル、マイク・アイネズそしてショーン・キニーはシアトルで開催されたK-Rock Tsunami Continued Care Relief Concertにて実に9年ぶりに共に演奏をしたが、その際にダメージプランのボーカルであるパトリック・ラックマンをフィーチャーし、トゥールのメイナード・ジェームス・キーナンやハートのアン・ウィルソンを特別ゲストとして迎えている。このコンサートから数ヶ月後、アリス・イン・チェインズのメンバーはスーザン・シルバーとカントレルのマネージャーであるビル・シドンズにアリス・イン・チェインズとして再びツアーに出たいという意向を伝える。 CBSのリアリティー番組である『Rock Star』のプロデューサーが、アリス・イン・チェインズを番組の第2シーズンでフィーチャーしたいという話を持ちかけたが、バンド側はこのオファーを断っている。この番組は、野心に燃えるシンガー達がフィーチャーされたグループのリードボーカルの座を狙って競い合うものである。 2006年3月10日にシアトルの親しいミュージシャンであるハートのアン及びナンシー・ウィルソンの名誉を称えてVH1's Decades Rock Liveコンサートで演奏を行った。ボーカルはパンテラ及びダウンのフィル・アンセルモ、ベースはガンズ・アンド・ローゼズ及びヴェルヴェット・リヴォルヴァーのダフ・マッケイガンが役目を担い「Would?」をプレイし、そしてカントレルは演奏の最後に今回のショーをレイン・ステイリーと後期のパンテラ及びダメージプランのギタリストであるダイムバッグ・ダレルに捧げた。Comes with the Fallのボーカルであるウィリアム・デュヴァールとアン・ウィルソンと共に「Rooster」もプレイした。その後アメリカ国内で「Finish What We Started」と題された短期間のクラブツアーをおこない、ヨーロッパで幾つかのフェスティバルに出演し、そして日本で短いツアーを開催した。マッケイガンは再結成ツアーに再び同行し選ばれた数曲でリズムギターを担当した。ツアーでは、エレクトリックからアコースティック・セットへの入れ替え時にステイリーへのトリビュートとして5分間の映像を会場で流している。 バンドの再結成と時を同じくして、ソニーミュージックはようやくアリス・イン・チェインズの3枚目のコンピレーション・アルバムとなる2枚組CD:全28曲収録のThe Essential Alice in Chains(邦題:エッセンシャル・アリス・イン・チェインズ)をリリースした。 カントレルはComes with the Fallのファースト・アルバムを紹介してくれた共通の知人を通じて2000年にウィリアム・デュヴァールと出会う。カントレルはComes with the Fallと親しくするようになり、たまに一緒にステージに上がることもあった。2001年から2002年の間は、カントレルの2枚目のソロ・アルバムであるDegradation Tripのツアーのオープニング・アクトをComes with the Fallが務め、コンサート中にステイリーのパートをデュヴァールが歌っている。デュヴァールは2006年のアリス・イン・チェインズの再結成ツアーでリードボーカルとしてバンドに加入し、初めてアリス・イン・チェインズのメンバーとして公演をおこなったのはVH1's Decades Rock Liveコンサートである。カントレルによれば、デュヴァールにはたった一度しかオーディションをしなかった。アリス・イン・チェインズのメンバーとの初回リハーサルでデュヴァールは「Love, Hate, Love」を歌い、終了後にキニーがほかのメンバーを見ながら「もう(リードボーカルを)探すのは完全に終わったようだな。」と発言した。アイネズによると、デュヴァールがステイリーを真似ようとしなかったことが自分達が彼に惹きつけられた要因だったと述べている。 カントレルは再結成について、「俺達は今までに成し遂げたことと、俺達の友人の功績を祝いたいんだ。これまで俺達はレインのクローンになるんじゃなくて自身の独自性を持った何人かのシンガー達と一緒に演奏してきた。(レイン・ステイリーの)見事なレガシーを踏みたいわけじゃないんだ。レッド・ツェッペリンのように、重要な奴がいなくなったら二度とプレイしないのか?俺達はこれまでの長い年月そうしてきたんだ。それか、何かやってみるか?ってことになり、このチャンスに賭けてみることにしたんだ。離れていた俺達3人が戻って一緒になったんだからこれは完全に再結成だと言えるんじゃないかな。だけど今回のことは離れていき忘れ去っていくことじゃないんだ―これは思い出と共に進んでいくことなんだよ。」と説明している。 アリス・イン・チェインズは2007年1月2日にシアトルのベナロヤ・ホールでシアトル・チルドレンズ病院のためのMatt Messina and the Symphony Guild 10周年記念慈善コンサートで4曲を演奏した。自身の曲に加え、ノースウエスト交響楽団及び女性合唱団を含む200人以上の演奏者で構成されたバックバンドと共に、レッド・ツェッペリンの曲である『カシミール』を披露している。 キニーはバンドの再結成について次のように述べている:「俺はジェリーを呼び出すことは無かったし、あいつも同じだった。そして言ったんだ、“なあ、もう一度バンドをやらないか”ってな。俺達は一歩一歩をかなり慎重にゆっくりと踏み出してきて、信じられるものは何でもやってきたんだ。それが正直なものであり、俺達が正しい理由のためにやっていて俺達の全員がそれを信じられたら小さな一歩を踏み出すんだ。 ステイリーの後任としてリードボーカルとなったデュヴァールにプレッシャーがかかることについて、「ウィル(デュヴァール)の肩に全ての負担がのしかかるなんて公平じゃないよ。俺達はバンドがチームとしてどのように機能するかやってみているところなんだ。俺達はレインを失い、ウィルを迎えてバンドは変わったけれども、もともと基本計画のようなものは存在しない。2005年にもう一度プレイしてみたらそれが正しいものだと感じたから次の行動に移り、ツアーもしたんだ。一歩ずつ進んで行ったんだよ。ただ音楽を制作するってだけじゃないし、それは今までと変わらない。俺達は長い間ずっと友達なんだよ。家族以上の存在だし、それで大丈夫だとここで感じているんだ。」と、カントレルは自身の心臓を指しながら語った。 2007年4月にアリス・イン・チェインズはデュヴァールと共にニューアルバム用の作曲とデモ作業を開始する。しかしニック・ラスクリネスをプロデューサーに起用してスタジオでレコーディングをしていることを2008年10月に発表するまで、制作の進行状況について何の兆候も見せなかった。
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