1877年–1892年: コモ・ブラフでの発見とは? わかりやすく解説

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1877年–1892年: コモ・ブラフでの発見

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/03 01:48 UTC 版)

化石戦争」の記事における「1877年–1892年: コモ・ブラフでの発見」の解説

1877年マーシュコロラド州ゴールデン教師、アーサー・レイクス(英語版)から1通の手紙を受け取った手紙には、レイクスモリソン近郊の山で友人H・C・ベックウィズ (H.C.Beckwith) とハイキングしていたところ、岩に埋まった巨大な骨を発見したことが記されていた。レイクスはさらに「見た所何か巨大なトカゲ類動物脊椎上腕の骨のようだった」とも知らせたマーシュからの返事を待つ間、レイクスはその「巨大な」骨を掘り起しマーシュのいるニューヘイブン送ったマーシュからの返事遅かったので、レイクスコープにも化石送ったマーシュ手紙に「見つけたものは秘密にしておいてほしい」と書き100ドル添えて返信した。さらにレイクスが既にコープともやり取りをしていたことを知ると、レイクス協力確実なものとするため化石収集家ベンジャミン・マッジ(英語版)をモリソン派遣した結果コープ発見した化石解説論文発表するよりも前の7月1日マーシュレイクス発見成果をアメリカン・ジャーナル・オブ・サイエンス(英語版)誌に掲載したレイクスは「骨はマーシュに送ることになった」との手紙をコープ書いたが、コープにとってはこの上ない屈辱であった西部から2通目の手紙が届いた今度コープの手であったコロラド州キャニオンシティ近郊植物採取していた植物学者O・Wルーカス (O.W. Lucas) が一揃い化石発見したという。ルーカスからサンプル受け取ったコープはこれを大型草食恐竜結論づけ「これまで発見されたどの種よりも、レイクス発見したものよりも大きい草恐竜だ」と上機嫌にメモ残している。ルーカス発見について耳にしたマーシュは、マッジ加えマーシュの元教え子サミュエル・ウィリストン(英語版)をキャニオンシティ派遣し自分代わりに発掘場所の準備をしておくよう指示した。だがウィリストンの現場からの報告では、ルーカスが既に一番良い化石を見つけており、コープ手を切ってマーシュと組むことも断ったとのことであったマーシュはウィリストンにモリソンに戻るよう指示したが、今度モリソンマーシュ小さな発掘坑が崩れ助手らが危うく命を落としかける事故発生した不運トラブル西部における化石供給源失いかけていたマーシュのもとに、3通目の手紙が届いたレイクス化石発見したころ、ワイオミング州人里離れた地域では大陸横断鉄道建設されていた。この建設携わっていたユニオン・パシフィック鉄道社の作業員ハーロウエドワーズ名乗る2人の男(彼らの本当の名はカーリンリード)からマーシュの下に1通の手紙が届いた2人はコモ・ブラフ(英語版)で多数化石発見し、このあたりには「こういうものを探しているやつら」が他にもいると警告してきた。マーシュはそれがコープだと思ったモリソン崩落遭いぐったり疲れてカンザス戻ってたばかりのウィリストンに、マーシュすぐさまコモ・ブラフに行くよう指示したマーシュの元教え子ウィリストンはコモ・ブラフに行き化石大量にあること、化石探し回っているのはコープの手下であることを確認しマーシュ伝えたレイクスのときに犯した過ち繰り返さないよう用心したマーシュは、すぐさまこの2人新たな化石ハンターに金を送り、もっと化石を送るよう求めた。ウィリストンはカーリンリード(この2人偽名使っていたためマーシュ小切手現金化できなかった)と仮契約結ぼうとしたが、カーリンニューヘイブン向かいマーシュ直接交渉する決めたカーリン会ったマーシュは、月々決まった額の報酬支払い重要な化石見つけた際にはボーナスを払うとする契約提案した。なお必要の際は直属の「現場監督」を派遣して発掘作業管理させる権利マーシュ保持し2人にはコープ部下現場に近づかせないようにと伝えたカーリンマーシュ直接会って交渉したが、結局良い条件引き出せなかった。マーシュ自分決めた通り条件2人使えるようになったが、カーリンリードマーシュによって条件無理やり飲ませられたと感じていたため、2人の心には確執恨み気持ち生まれていた。コモ・ブラフへの投資はすぐに大きな見返りがあった。マーシュ直属作業員たち冬期東部へ戻るのだが、リード1877年中ずっと発掘続け貨車両分もの化石列車マーシュ送った。アメリカン・ジャーナル・オブ・サイエンス誌1877年12月号には、マーシュによって命名記載されステゴサウルスアロサウルスアパトサウルスなどの恐竜についての論文掲載された。 マーシュはコモ・ブラフの豊かな化石層にライバルたち近付かないよう対策講じていたが、化石発見の噂は瞬く間にひろがった。噂の広まりにはカーリンリード一部加担している。2人1878年4月のララミー・デイリー・センチネル (Laramie Daily Sentinel) 誌に情報リークしたが、このときマーシュ化石収集費やした額が、おそらくは化石値段需要釣り上げるため、誇張され掲載された。情報漏れ止めようとしていたマーシュは、ウィリストンから、カーリンリードの下に表向きコープの所で働いているヘーンズ (Haines)という男が出入りしているとの報告得た。コモ・ブラフでの化石発見知ったコープは、マーシュ鼻先でこっそりと化石を盗む「化石泥棒」をそのエリア送り込んでいたのである1878年の冬、支払い散発的にかしないマーシュ対すカーリンの不満が頂点達しカーリン寝返ってコープのために働きはじめたコープマーシュは、毎年夏の間はもてる資産化石発掘調査遠征費のために費やし、冬は発見物論文発表するために過ごした貨物列車ラバが引く荷車乗った化石ハンターたちの小部隊は、ついには化石文字通りトン単位東部に送るようになっていった 。こうした発掘1877年から1892年までの15年続いたコープマーシュ作業員たち両者とも互いに悪天候相手側から破壊妨害工作苦しめられていた。あるときマーシュ作業員リードカーリンによってコモ駅から締め出され化石貨車から降ろさざるを得なくなり身を切るような寒さの中、駅のプラットフォームサンプルラバ荷車用に梱包し直すはめになったこともある。コープカーリンにコモ・ブラフにコープ専用採石場をつくるするよう指示した際、一方マーシュリード送って旧友カーリンスパイさせた。また、リード管理する第4発掘場化石尽きたとき、マーシュリードに他の採石場からもってきた化石のかけらをどけるよう指示したその後リードは第4発掘場残っていた化石破壊したが、これは残った化石コープ渡さないためであった何者かがリード発掘場進入しているのを憂慮しマーシュは、レイクスコモ送り発掘手伝わせた、そして1879年6月にはマーシュ自身もコモ・ブラフを訪れたコープ同じよう採掘場8月訪れたマーシュ作業員たち新たな採掘場開拓してさらに多く化石発見していたけれども、レイクスリードの関係はぎくしゃくしており、8月には各々仕事辞めたいと言い出したマーシュ2人採石場反対の端に送りなだめようとした だがある化石採掘場猛吹雪閉鎖せざるを得なくなったとき、レイクス辞表提出し1880年教職戻ったレイクス去った後もマーシュ男たちの間の緊張和らぐことはなかった。レイクス代わりにきたケネディという元鉄道員は、自分リード報告する要はないと考え、この2人反目原因で他の作業員辞めていった。マーシュケネディリード離そうとし、現場平穏を守るためウィリストンの兄弟フランクコモ送った。だがフランク・ウィリストンは結局マーシュとの雇用関係終了させ、(コープの下で働いていた)カーリンと共に独立した一方コープも、コモにおける採掘陰りをみせはじめ、独立したカーリン代わりにきた作業員もすぐに皆辞めてしまった。 1880年代も時が経つにつれてコープマーシュ作業員たちは、ライバル陣営だけでなく化石興味を示す第三者との厄介な競争に直面していった。ハーバード大学教授アレキザンダー・アガシー化石求めて自身代理人西部派遣しカーリンとフランク・ウィリストンは化石入札にかけて高値で売る会社設立したのである。かたやリード化石堀りをやめて1884年に羊の放牧をはじめ、リード去った後コモ・ブラフにあるマーシュ採掘場では化石採掘はほとんど行われなくなった。だがこうしたマイナス要因ありながらも、マーシュ手掛ける発掘現場はこの時点ではコープよりも多かったコープは、1880年代はじめには家1軒には収まりきらないほどの化石保有していたが、このとき「化石戦争」で遅れをとっていた。 コープマーシュ古生物学上の発見の裏には、スパイ行為作業員化石奪い合い賄賂など扇情的な一面がある。2人採掘場所を守ろうとするあまり、ちょっと壊れた化石ですらライバルの手渡らないよう破壊した発掘場土砂埋めるといったこともした。1879年コモ採石場現場調査行った際、マーシュ発見した化石調べた上でそのうちいくつかには破壊のための印をつけている。ライバルチーム互いに石を投げ合ってけんかすることもあったという。

※この「1877年–1892年: コモ・ブラフでの発見」の解説は、「化石戦争」の解説の一部です。
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