項羽陣営
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「項羽と劉邦 (横山光輝の漫画)」の記事における「項羽陣営」の解説
項羽 本作の一方の主人公。叔父の項梁に従い旗揚げする。項梁の死後は章邯と激戦を繰り広げて打ち破り、これを降す。咸陽制圧の劉邦との競争では、おくれをとるまいと「恐れを抱かせ逃亡させるため」に敵を皆殺しにしながら兵を進め、そのために激しい抵抗を受け、かえって進軍が遅れたことから一番乗りを逃してしまう。しかし劉邦の家臣になるつもりはさらさらなく、自ら西楚の覇王と名乗り、劉邦を屈服させて漢王に任じ、僻地に追いやる。自らの武勇に絶対的な自信を持ち、垓下の戦いでは英布・王陵・曹参・周勃といった猛将たちを含む8人の大将を相手に互角以上の戦いを見せ、次々と蹴散らすなど、桁違いの豪勇を誇る。その強さには韓信や李左車も頭を悩ませ、垓下の戦いでは包囲網を突破される危惧を抱かせる。しかし知略においては土地や兵糧の重要性を軽視し、劉邦や韓信を「小役人上がり」「臆病者」と過小評価する。性格においても、身内には寛大に接するが、激昂すると配下の言葉にも耳を貸さなくなる、満座の中で配下を一方的に罵倒するなど自己中心で傲慢な面がある。また秦の降兵20万の虐殺、始皇帝の墓を暴くなど(それらの暴挙を実行したのはほとんど英布である)、気性の激しさゆえの残虐な振る舞いも目立ち、それらが災いして范増や陳平と言った腹心たちを失ってしまう。最期は「天が自分を見放した」と判断し、会稽への逃走中に追いついた呂馬通(中国語版)(雍王章邯の旧武将)に対して、「同郷のよしみに手柄を立てさせてやる」と言って自害して果てる。 項梁 項羽の叔父。会稽の顔役で、太守殷通を殺して旗揚げする。韓信(『史記』では宋義)の忠告を聞かずに章邯を侮ったのが禍して、定陶で章邯に敗死する。 虞美人 項羽が愛馬の烏騅を手に入れた会稽郡の村の長老の娘。作中では主に「虞姫」と呼ばれる。睢水の戦いの直前に、劉邦の側室にされかけるが弟に救助される。 項羽は諸将の意見に耳を貸さない時も、彼女の意見にだけは耳を貸す。敵の策にかかり意気消沈する項羽を明るく励ますなど、気立てのいい性格。 垓下の戦いで追いつめられた項羽は「虞姫だけは生きていてほしい」と願い、彼女を置いていこうとするが、一方の虞美人は「足手まといとおっしゃるならここで死を賜ってくださりませ」と訴え、自害して果てる。 虞子期 虞美人の弟。睢水の戦いの直前に、劉邦の側室にされかけた姉を救助して、項羽のもとへ護送する。 滎陽では項羽の命を受けて、和睦の使者として劉邦の下へ向かうが、張良と陳平の策にはまって、偽装された范増の竹簡の密書の一部を切り取って、項羽に見せて、范増が項羽の下を去る要因を作る。 垓下の戦いで姉が自害して、葬られた墓の前で「こんな場所で一人で眠るのは寂しいでしょう」と告げ、その後を追って殉死する。 范増 軍師。項梁の命を受けた季布に説得されて楚軍に加わる。項羽からは最も信頼され、「亜父」(父に次ぐ者の意)と呼ばれる。劉邦の存在を危険視し、彼に油断するなとたびたび項羽に忠告する。秦滅亡後に表向きは褒賞、実質的には左遷として劉邦を漢中に封じ込める。陳平の反間の計により、項羽に疑われたことから、引退を願い出るが、故郷に帰る途上、背中のできものが原因で亡くなる。「死ぬまで自らの無実を訴え続けていた」という従者の報告を聞いた項羽は、「人間は死ぬ間際まで嘘はつかん」と彼の無実を悟り、後悔の念に苛まれる。 住民の虐殺や義帝を謀殺、秦打倒後に善政を行わない項羽をたびたび諌めるなど良識ある人物だが、項羽の苛烈な性格を前に、あまり聞き入れられなかった。また、星占いや相手の運気を見破ることにも長けており、劉邦を「凄まじい運気の持ち主、真に仕えるべきはこの方だった」と内心では思うが、圧倒的な武威を誇る項羽を天下人にしようと足掻き続ける。事実上の追放後に病に倒れた際には「誤って項羽に仕え、多くの人々を死に追いやったのだから、惨たらしく死ぬのは当然。仕えるべき主を間違えたのは無念だ」と項羽に仕えてしまったことの後悔を従者に漏らすが、この言葉は項羽に伝えられることはなかった。 項荘 項羽の従兄弟。鴻門の会の際、范増の命により剣舞を見せて、隙を狙って劉邦を討とうとするが、項伯の阻止と樊噲の乱入により果たせずに終わる。その後は季布とともに活躍する場面が多い。 項伯 項羽の叔父。昔の恩人であり親友でもある張良を助けようとして劉邦の陣へ赴き、その際に劉邦と張良の釈明を受けて鴻門の会の段取りをつける。范増の死後、楚軍の軍師となる。身内を重視する項羽に重用されるが、一方で常に叔父ではなく家臣としての扱いを受けている(鴻門の会の頃は叔父として項羽は敬語を使っている)。李左車が仕官を求めた際に面接を行って項羽に引き合わせたため、李左車が裏切り者だったことが判明した際には項羽から激しく詰られ、愛想を尽かしている。垓下の戦いで四面楚歌の状況に陥った際は、親友である張良を頼って漢軍に降る。 季布 項梁の旗揚げの頃から楚軍に従属する。鍾離眛と共に項羽の重臣で、項荘とともに活躍する。後の四面楚歌の折は「楚の再建のため」と称し、鍾離眛と共に雑兵にまじって逃げ出す。 本作ではこれ以降は登場しないが、劉邦は自身を散々に痛めつけた季布の指名手配書を出すも、ある侠客の仲介によって許されて郎中に任じられた。 鍾離眛 項梁の旗揚げの頃から楚軍に従属する。劉太公が楚軍の手中に渡った際は、彼を用いて劉邦を脅迫するよう何度も項羽に勧める。季布と共に項羽の重臣だったが、四面楚歌の折は「楚の再建のため」と称し、雑兵にまじって逃げ出す。本作では読みは「しょうりばつ」ではなく「しょうりまい」とされている。 本作ではこれ以降の出番はないが、後に郷里が近い友人の韓信に保護されるも、劉邦の命で死に追いやられている。 周殷 楚の舒六(九江)の守将。漢楚の最終決戦の際は日和見を決め込み、項羽の使者に対して「盗賊退治を済ませてから参戦する」と言って出陣を拒む。 呉丹 楚の武将で滎陽城を守備する。劉邦の攻略をうけ、家臣たちに諫められて劉邦に降る。後に漢楚の最終決戦の際は、滎陽城から逃れて会稽太守となり項羽の使者に対して、家臣の鄭京の助言で援軍に応じる。 周蘭 慎重派の武将。龍且の副将として韓信と戦うも敗れて、辛うじて逃亡する。漢との最終決戦の際は守りを固めて兵糧攻めに持ち込むことを主張し、撃って出ることを主張する李左車と対立するが、項羽は李左車の意見を採用。結果として項羽はおびき出されることになる。四面楚歌の状況に陥った際も桓楚と共に項羽に殉ずる覚悟を決め、曹参の軍と正面衝突して追いつめられ、自害して果てる。 桓楚 もともとは会稽郡付近の塗山の山賊の頭目で鼎を持ち上げた項羽に圧倒されて、その説得に応じ、于英(羽嬰?)と共に配下に加わる。昔なじみの英布を項羽の配下に加わらせる。四面楚歌の状況に陥った際も周蘭と共に項羽に殉ずる覚悟を決め、曹参の軍と正面衝突して追いつめられ、自害して果てる。 龍且 項羽に背いた英布の討伐を項羽に命じられて敗走させる。斉の救援に向かった際、逃げる漢軍を追って渡河したところ、韓信の堰を切る計略で孤立し、最後は曹参に討ち取られる。 武渉 楚の大夫。斉を制圧した韓信を楚に戻るよう説得しようとするが、失敗する。 曹咎 項羽が劉邦から奪った成皋の守備を命じられる。しかし、成皋の奪回に動き出した漢の軍勢の罵詈雑言にはじめは耐えたが、漢軍が自分のみならず自分の父母や祖父母の泥でできた像をも作ってそれを破壊した行為に激怒し、討って出る。しかし、漢軍に包囲されて船上で矢に浴びられて自害して果てる。本作では先述のとおり、史実では共に戦った司馬欣は既に処刑されているため、単独で成皋を守っている。 雍歯 劉邦が睢水の戦いで敗走するときに、丁公とともに項羽の武将として劉邦一行を追撃したが、丁公が劉邦を見逃したこともあり、見つけることは叶わなかった。 本作では劉邦と同郷で、王陵と親しく彼を何度も裏切り続けて、最終的に劉邦に帰順して列侯になったことは触れていない。
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