項羽陣営とは? わかりやすく解説

項羽陣営

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/15 08:21 UTC 版)

項羽と劉邦 (横山光輝の漫画)」の記事における「項羽陣営」の解説

項羽 本作一方主人公叔父項梁従い旗揚げする。項梁死後章邯激戦繰り広げて打ち破り、これを降す咸陽制圧劉邦との競争では、おくれをとるまいと「恐れを抱かせ逃亡させるため」に敵を皆殺ししながら兵を進め、そのために激し抵抗を受け、かえって進軍遅れたことから一番乗り逃してしまう。しかし劉邦家臣になるつもりはさらさらなく、自ら西楚の覇王名乗り劉邦屈服させて漢王に任じ僻地追いやる。自らの武勇絶対的な自信持ち垓下の戦いでは英布王陵曹参周勃といった猛将たちを含む8人の大将相手互角上の戦い見せ次々と蹴散らすなど、桁違い豪勇を誇る。その強さには韓信李左車頭を悩ませ垓下の戦いでは包囲網突破される危惧抱かせる。しかし知略においては土地兵糧重要性軽視し劉邦韓信を「小役人上がり」「臆病者」と過小評価する性格においても、身内には寛大に接するが、激昂する配下言葉にも耳を貸さなくなる、満座の中で配下一方的に罵倒するなど自己中心傲慢な面がある。また秦の降兵20虐殺始皇帝の墓を暴くなど(それらの暴挙実行したのはほとんど英布である)、気性激しさゆえの残虐な振る舞い目立ち、それらが災いして范増陳平と言った腹心たちを失ってしまう。最期は「天が自分見放した」と判断し会稽への逃走中追いついた呂馬通(中国語版)(雍王章邯の旧武将に対して、「同郷のよしみに手柄立てさせてやる」と言って自害し果てる項梁 項羽叔父会稽顔役で、太守殷通殺して旗揚げする。韓信(『史記』では宋義)の忠告聞かず章邯侮ったのが禍して、定陶章邯敗死する。 虞美人 項羽愛馬の烏騅を手に入れた会稽郡村の長老の娘。作中では主に「虞姫」と呼ばれる睢水の戦い直前に、劉邦側室にされかけるが弟に救助される項羽諸将意見耳を貸さない時も、彼女の意見にだけは耳を貸す。敵の策にかかり意気消沈する項羽明るく励ますなど、気立てのいい性格垓下の戦い追いつめられ項羽は「虞姫だけは生きていてほしい」と願い、彼女を置いてこうとするが、一方虞美人は「足手まといおっしゃるならここで死を賜ってくださりませ」と訴え自害し果てる虞子期 虞美人の弟。睢水の戦い直前に、劉邦側室にされかけた姉を救助して項羽のもとへ護送する滎陽では項羽の命を受けて和睦使者として劉邦の下へ向かうが、張良陳平の策にはまって偽装された范増竹簡密書一部切り取って項羽見せて范増項羽の下を去る要因作る垓下の戦いで姉が自害して、葬られた墓の前で「こんな場所で一人で眠るのは寂しでしょう」と告げその後追って殉死する。 范増 軍師項梁の命を受けた季布説得され楚軍に加わる。項羽からは最も信頼され、「亜父」(父に次ぐ者の意)と呼ばれる劉邦存在危険視し、彼に油断するなとたびたび項羽忠告する。秦滅亡後表向き褒賞実質的に左遷として劉邦漢中封じ込める陳平反間の計により、項羽疑われたことから、引退願い出るが、故郷帰る途上背中できもの原因亡くなる。「死ぬまで自らの無実訴え続けていた」という従者報告聞いた項羽は、「人間は死ぬ間際まで嘘はつかん」と彼の無実悟り後悔の念に苛まれる住民虐殺義帝謀殺、秦打倒後に善政行わない項羽をたびたび諌めるなど良識ある人物だが、項羽苛烈性格前に、あまり聞き入れられなかった。また、星占い相手運気見破ることにも長けており、劉邦を「凄まじい運気持ち主真に仕えるべきはこの方だった」と内心では思うが、圧倒的な武威を誇る項羽天下人にしようと足掻き続ける。事実上追放後に病に倒れた際には「誤って項羽仕え多く人々死に追いやったのだから、惨たらしく死ぬのは当然。仕えるべき主を間違えたのは無念だ」と項羽仕えてしまったことの後悔従者に漏らすが、この言葉項羽伝えられることはなかった。 項荘 項羽従兄弟鴻門の会の際、范増の命により剣舞見せて、隙を狙って劉邦討とうとするが、項伯阻止樊噲乱入により果たせずに終わる。その後季布とともに活躍する場面が多い。 項伯 項羽叔父。昔の恩人であり親友でもある張良助けようとして劉邦の陣へ赴き、その際劉邦張良釈明受けて鴻門の会段取りをつける。范増死後楚軍軍師となる。身内重視する項羽重用されるが、一方で常に叔父ではなく家臣としての扱い受けている(鴻門の会の頃は叔父として項羽敬語使っている)。李左車仕官求めた際に面接行って項羽引き合わせたため、李左車裏切り者だったことが判明した際には項羽から激しく詰られ、愛想を尽かしている。垓下の戦い四面楚歌状況陥った際は、親友である張良頼って漢軍に降る。 季布 項梁旗揚げの頃から楚軍従属する鍾離眛と共に項羽重臣で、項荘とともに活躍する。後の四面楚歌の折は「再建のため」と称し鍾離眛と共に雑兵まじって逃げ出す本作ではこれ以降登場しないが、劉邦自身散々に痛めつけた季布指名手配書を出すも、ある侠客仲介によって許され郎中任じられた。 鍾離眛 項梁旗揚げの頃から楚軍従属する劉太公楚軍の手中に渡った際は、彼を用いて劉邦脅迫するよう何度も項羽勧める季布と共に項羽重臣だったが、四面楚歌の折は「再建のため」と称し雑兵まじって逃げ出す本作では読みは「しょうりばつ」ではなくしょうりまい」とされている。 本作ではこれ以降出番はないが、後に郷里が近い友人韓信保護されるも、劉邦の命で死に追いやられている。 周殷 の舒六(九江)の守将。漢最終決戦の際は日和見決め込み項羽使者に対して盗賊退治済ませてから参戦すると言って出陣拒む呉丹 武将滎陽城を守備する劉邦攻略をうけ、家臣たちに諫められて劉邦に降る。後に漢最終決戦の際は、滎陽城から逃れて会稽太守となり項羽使者に対して家臣の鄭京の助言援軍応じる。 周蘭 慎重派武将龍且副将として韓信と戦うも敗れて辛うじて逃亡する。漢との最終決戦の際は守り固めて兵糧攻め持ち込むことを主張し撃って出ることを主張する李左車対立するが、項羽李左車意見採用結果として項羽はおびき出されることになる。四面楚歌状況陥った際も桓楚と共に項羽殉ずる覚悟決め曹参の軍と正面衝突し追いつめられ自害し果てる桓楚 もともとは会稽郡付近の塗山の山賊頭目で鼎を持ち上げた項羽圧倒されて、その説得応じ、于英(羽嬰?)と共に配下に加わる。昔なじみ英布項羽配下加わらせる四面楚歌状況陥った際も周蘭と共に項羽殉ずる覚悟決め曹参の軍と正面衝突し追いつめられ自害し果てる龍且 項羽背いた英布討伐項羽命じられ敗走させる。斉の救援向かった際、逃げる漢軍を追って渡河したところ、韓信堰を切る計略孤立し最後曹参討ち取られる武渉 大夫。斉を制圧した韓信に戻るよう説得しようとするが、失敗する曹咎 項羽劉邦から奪った成皋の守備命じられる。しかし、成皋の奪回動き出した漢の軍勢罵詈雑言にはじめは耐えたが、漢軍が自分のみならず自分父母祖父母の泥でできた像をも作ってそれを破壊した行為激怒し討って出る。しかし、漢軍に包囲され船上で矢に浴びられて自害し果てる本作では先述のとおり、史実では共に戦った司馬欣は既に処刑されているため、単独で成皋を守っている。 雍歯 劉邦睢水の戦い敗走するときに、丁公とともに項羽武将として劉邦一行追撃したが、丁公劉邦見逃したこともあり、見つけることは叶わなかった。 本作では劉邦同郷で、王陵親しく彼を何度も裏切り続けて最終的に劉邦帰順し列侯になったことは触れていない。

※この「項羽陣営」の解説は、「項羽と劉邦 (横山光輝の漫画)」の解説の一部です。
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