項羽との対決とは? わかりやすく解説

項羽との対決

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 16:17 UTC 版)

劉邦」の記事における「項羽との対決」の解説

この時期劉邦陣営新たに加わったのが韓信である。韓信は元は項羽軍にいたが、その才能がまったく用いられず、劉邦軍へと鞍替えしてきたのである最初単なる兵卒下級将校であったが、やがて韓信才能見抜いた蕭何推挙により、大将軍となったその際韓信は、「項羽は強いがその強さは脆いものであり、特に処遇の不満が蔓延しているため東進機会は必ず来る。劉邦項羽の逆を行えば人心掌握できる」と説いたまた、関中三王20兵士犠牲にした秦の元将軍であり、人心付いておらず関中簡単に落ちる。劉邦兵士たちは東に帰りたがっており、この帰郷気持ちをうまく使えば強大な力になる」と説いた劉邦はこの進言全面的に用いた。 そして韓信予言通り項羽対す反乱続発し項羽はその鎮圧のため常勝ながら東奔西走せざるを得なくなる。項羽劉邦にも疑い目を向けたが、劉邦張良の策によって桟道焼き払って漢中を出る意志がないと示し、更に項羽に対して従順な文面の手紙を出して反抗する気がないように見せかけていた。これで項羽安心し反乱起こしていた斉の田栄討伐向かった。 それを見た劉邦は、桟道以前使われていた旧道通って関中出撃し、一気章邯らを破って関中手に入れ、ここに社稷建てた一方遠征先のでも、項羽は相変わらず城を落とすたびにその住民皆殺しにする蛮行繰り返したため、斉の人々頑強に抵抗したこのため項羽斉攻略かかりきりになり、その隙に乗じた劉邦はさらに東へと軍を進め途中の王たちを恭順征服しながら項羽本拠地彭城目指した。

※この「項羽との対決」の解説は、「劉邦」の解説の一部です。
「項羽との対決」を含む「劉邦」の記事については、「劉邦」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「項羽との対決」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「項羽との対決」の関連用語

1
4% |||||

2
2% |||||

項羽との対決のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



項羽との対決のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの劉邦 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS