開戦当初の思想対策
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日本が米英に宣戦した翌月の1942年1月、文部大臣橋田邦彦は「任に教育に在る者は聖旨を奉体して国体の本義、今次征戦の真義に徹し、一路教育報国に邁進すべき」であると述べ、教学局長官藤野恵は「大東亜戦争を戦い抜かんとする今日こそ、我が国民は愈々国体の本義に基づく教学の刷新振興を図り、国体の明徴、教学一体の具現、日本的諸学の樹立に一段の力を致し、新東亜文化の建設者としての資質の涵養発揮に全きを期せねばならない」と論じる。 1942年1月国民錬成所官制を公布する。これは「国民をして自我功利の思想を排し、国体の本義に基づき挺身義勇公に奉ずるの精神に徹し、実践もって皇運扶翼の重責を全うせしむべき」ためのものであり、官制第一条に「国民錬成所は文部大臣の管理に属し国体の本義に基づき実践躬行もって先達たるべき国民をしてその錬成を為さしむる所とす」とされる。「錬成科目」には「国体ノ本義」という講義があり、それは「惟神の大道に出発し皇国臣民の皇運扶翼の道を明らかにし、この本義に基づく教学の樹立を図るもの」とされる。 戦時下では思想対策の徹底が求めらる。1942年3月、文部大臣橋田邦彦は地方長官会議で次のように訓示する。 国体の本義に徹し肇国の精神を発揚することは我が国民生活の根柢であります。したがってまた我が国民思想はこれに基いて確乎不動となり、思想国防の鉄壁陣を完成することは、敵国が企図するであろうと考えられる思想戦に備うるためにも、また大東亜の新秩序建設のための征戦完遂に向っても、その要、いよいよ切実であります。 1942年3月日本諸学振興委員会が機関誌『日本諸学』を創刊する。教学局長官名義の「発刊の辞」に次のようにいう。 大東亜戦争の目的完遂のためには、ますます国体の本義に基づく教学の刷新を図り、国体の明徴、教学一体の具現、日本諸学の創造発展に更に一段の力を尽さねばならぬのである。しかして世界の耳目を聳動せしめつつある皇軍の赫々たる大戦果が、決して一朝一夕の努力によるものではなく、一に御稜威の下、皇国教育の本義に徹し、日本精神に基づく日頃の実戦さながらの不断の猛訓練と学問の研鑽とが一体となつて発現したものに他ならぬのであり、したがって国体、日本精神の本義に基づく教学の刷新振興が今次征戦の遂行上絶対の要件たるのみならず、更にまた叙上の新東亜文化建設の先達としての資質涵養上欠くべからざることといわねばならぬ。 5月大東亜建設審議会が答申案を可決する。答申の「皇国民の教育錬成方策」には、国体の本義に則り教育勅語を奉体し皇国民としての自覚に徹し、肇国の大精神に基づく大東亜建設の道義的使命を体得させ、大東亜における指導的国民としての資質を錬成し、これを皇国民教育錬成の根本義とする、という。 教学局では言論出版集会結社等臨時取締法に関連して1942年5月の『思想情報』誌に、講演や著述に注意を要する点を列挙し、その冒頭に「国体、思想関係」を掲げて次のものについて注意を喚起する。 天皇および皇族に関し取扱方、表現、用語等において不敬にわたるおそれあるもの 国体に関する正史の記述を否定し、または皇統譜、正史の伝うる紀年数、神器の伝承等に異説を立つるがごときもの 我が国の神の観念の紛淆を来たすがごときもの。例えばインドの釈迦、キリスト教の神エホバ等を天照大神に擬し、あるいは天御中主神の取扱に関し天照大神との関係において不当なるもの 国体変革思想、共産主義、社会主義、無政府主義、反軍、反戦思想は勿論、極端なる自由主義等を鼓吹せるもの 6月藤野教学局長官は次のように訓示する。 今日、皇軍の輝しき戦果に応え大東亜建設の歩みに即応して、我が国教学の本来の姿が漸次具現せられて参ったのでありまするが、にもかかわらず、なお一面私どもの楽観を許さざる事柄も皆無ではないのでありまして、国体の本義に相反する思想、我が国教学の本旨にもとるような風潮も巷間決して完全には払拭せられておらぬのであります。したがってこの間隙に乗じて、特に青年学生層を中心として敵国の思想謀略もまた蠢動せんとする気配がなくはないのであります。 ここで「皇軍の輝しき戦果」というが、この月、日本海軍はミッドウェー海戦で主力空母4隻を失い守勢に転じる。1943年1月教学局が『国史概説』上巻を発行する。そのおよそ2年前、対米英開戦前の1941年4月に教学局内に臨時国史概説編纂部が設置され、その調査嘱託には「斯界の権威者」である辻善之助・和辻哲郎・西田直二郎・紀平正美らが名を連ねる。編纂方針は「肇国の由来を明らかにし国体の本義を闡明し国史を一貫する国民精神の真髄を把握せしむること」とされる。刊行書の緒論は「我が国体」という題であり、次の文言から始まる。 大日本帝国は、万世一系の天皇が皇祖天照大神の神勅のまにまに、永遠にこれを統治あらせられる。これ我が万古不易の国体である。しかしてこの大義に基づき、一大家族国家として億兆一心聖旨を奉体して、克く忠孝の美徳を発揮する。これ即ち我が国体である。 1943年7月文部省は次官通牒により各道府県の国民精神文化講習所を教学錬成所に改称し、その事業の拡充を指示する。これは国民錬成所を軌道に乗せた文部省が、学制改革に伴い、「我が国教学の本旨に基づき教職にある者を錬成し、国体・日本精神の本義に徹せしむるとともに日本教学の刷新振興に挺身するの気概と実践力とを涵養せしめ、もって師弟同行学行一体の実を挙げしむる」ための措置である。教学錬成所には新たに皇国史観錬成会を設け「中等学校教員をして国体・日本精神の本義を体し、皇国の史観に徹せしめ、もって中等教育の刷新に資せんとする目的」を掲げる。
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