開戦後の兵装とは? わかりやすく解説

開戦後の兵装

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/02 01:50 UTC 版)

第四号型駆潜艇」の記事における「開戦後の兵装」の解説

第8号では舷外電路を装備しているのが確認出来る。また、艦橋上の探照灯台前方に構造物追加されている。 第4号を例とすると1944年昭和19年11月時点で25mm単装機銃3挺が増備、またマスト13号電探1基を装備対潜兵装として九四式爆雷投射機2基の装備とされている。爆雷投下軌道1条のままと推定されるが、2条増やされたとする文献もある。

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開戦後の兵装

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/20 03:55 UTC 版)

第十三号型駆潜艇」の記事における「開戦後の兵装」の解説

大戦中は各艦に舷外電路が装備されていた。たとえば第19号竣工時(1941年9月20日)から装備しているのが確認できる初期電線木製カバー装着していたが波浪による破損多くカバー設けず電線そのもの強化する方法変更された。 兵装増備は各艦によって若干違いがあるが、1944年(昭和19年)8月の第26駆潜艇を例にすると25 mm単装機銃艦橋前方に1挺、煙突前方2挺、それぞれ機銃台を設けて合計3挺装備された。第23号(と第38号)では13 mm連装機銃に代わって25 mm単装機銃2挺が装備された。また探照燈前方移設され、その位置22号電探1基が装備された。電探室は艇長の上艦橋後方の旗甲板位置増設され、艦橋構造物は更に巨大化した。ただし第16号など調査時点22号電探搭載していない艇もある。その他戦後撮影写真から逆探装備確認出来対潜兵装としては九四式投射機は2基のまま、爆雷投下軌道改正された。従来爆雷を縦置きしていたが、爆雷内の搭載数増加した時に横置きの軌道改められた。あ号作戦後の調査では投下軌道1条のままであるが、2条強化されたとする文献もある。日本海軍護衛艦艇史では、1944年時には投下軌道2条推定としている。戦後写真では第19号船体中心線上に1条装備のままであり、隣に繋留されている第20号艦尾左右に張り出し追加されているが、投下軌道移設されたか、投下台を追加したかは写真からは不明である。また第28号型ではあるが第43号では左右舷に投下台(左右各3基)を装備している。 元々復原性余裕有り兵器増備防弾板を装備して性能低下はほとんど無かった

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