開戦後の兵装
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第8号では舷外電路を装備しているのが確認出来る。また、艦橋上の探照灯台前方に構造物が追加されている。 第4号を例とすると1944年(昭和19年)11月の時点で25mm単装機銃3挺が増備、またマストに13号電探1基を装備、対潜兵装として九四式爆雷投射機2基の装備とされている。爆雷投下軌道は1条のままと推定されるが、2条に増やされたとする文献もある。
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開戦後の兵装
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/20 03:55 UTC 版)
大戦中は各艦に舷外電路が装備されていた。たとえば第19号は竣工時(1941年9月20日)から装備しているのが確認できる。初期は電線に木製カバーを装着していたが波浪による破損が多く、カバーを設けずに電線そのものを強化する方法に変更された。 兵装増備は各艦によって若干の違いがあるが、1944年(昭和19年)8月の第26号駆潜艇を例にすると25 mm単装機銃が艦橋前方に1挺、煙突前方2挺、それぞれ機銃台を設けて合計3挺装備された。第23号(と第38号)では13 mm連装機銃に代わって25 mm単装機銃2挺が装備された。また探照燈が前方に移設され、その位置に22号電探1基が装備された。電探室は艇長室の上、艦橋後方の旗甲板の位置に増設され、艦橋構造物は更に巨大化した。ただし第16号など調査時点で22号電探を搭載していない艇もある。その他戦後撮影の写真から逆探の装備も確認出来る 対潜兵装としては九四式投射機は2基のまま、爆雷投下軌道は改正された。従来は爆雷を縦置きしていたが、爆雷庫内の搭載数を増加した時に横置きの軌道に改められた。あ号作戦後の調査では投下軌道は1条のままであるが、2条に強化されたとする文献もある。日本海軍護衛艦艇史では、1944年時には投下軌道2条を推定としている。戦後の写真では第19号は船体中心線上に1条装備のままであり、隣に繋留されている第20号は艦尾左右に張り出しが追加されているが、投下軌道が移設されたか、投下台を追加したかは写真からは不明である。また第28号型ではあるが第43号では左右舷に投下台(左右各3基)を装備している。 元々復原性に余裕が有り、兵器の増備や防弾板を装備しても性能低下はほとんど無かった。
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