開戦時の情勢
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 02:34 UTC 版)
南北戦争が勃発した時点では、北部も南部も戦争の準備は全くできていなかった。合衆国陸軍に所属していた将兵は1万6000人程度であり、武器も米墨戦争時の旧式のものを使用しているだけであった。また、合衆国海軍も将兵7600名と船舶42隻程度しか保有していなかった。しかし、それに対して南部は正規軍と呼べるような兵力は保有しておらず、海軍も存在しなかった。 大半の将兵は合衆国軍に残ったが、士官のうち313名が職を辞して南部連合軍に参加した。この中には後に南軍の将軍として有名になるロバート・E・リーやストーンウォール・ジャクソン、ジョセフ・ジョンストン、それにP・G・T・ボーリガードなども加わっており、南北戦争を長引かせるひとつの要因となった。 開戦時に北部が優位であった点: 開戦の時点で北部には既存の政府組織が存在していたのに対して、南部は一から政府組織を作り上げねばならなかった。 南部と比較して中央集権的な政治体制であったため、合衆国政府の意思決定がスムーズであった。南部はそれぞれの所属州の発言力が強かったため、南部連合の方針を決める際にデイヴィス大統領は非常に苦慮することとなった。 上記のように北部と南部の間には大きな人口差があり、そのため兵役適齢(当初は18歳から35歳)とされる男性の人口も大きな差があり、北部は約400万前後に対して、南部は100万強だった。南部では後にこの枠が17歳から45歳までに拡大され、最終的に上限は50歳まで引き上げられた。しかしそれでも兵のなり手が足りず、敗戦間際には奴隷から志願者を募ろうという案まで提出された。 北部では上記のように工業面が南部より発達していた。鉄道の長さは南部の2倍以上あった。この鉄道を利用し、北部は食料や武器を兵たちに受け渡すことができた。 開戦時に南部が優位であった点: 人的資源の量では劣っていたが、多くの優秀な指揮官が合衆国軍を去って南部連合に合流した。そのため北部では将軍に任命するに足る人物が不足することとなった。 奴隷制を維持し「南部の生き方」を守る、侵攻してくる北軍から郷土を守るといった明確な目的があるため士気が高かった。一方で北部の目標は「合衆国を守る(=南部を合衆国に連れ戻す)」という曖昧なものであり、南部と比較して戦争に対する温度差も大きかった。「放っておけばそのうち戻ってくる」と思っている者や「離反したいならさせておけば良い」と思っている者が少なからずいたのである。
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