開戦準備へとは? わかりやすく解説

開戦準備へ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 01:41 UTC 版)

台湾出兵」の記事における「開戦準備へ」の解説

宮古島台湾遭難事件知った清国アモイ駐在アメリカ合衆国総領事チャールズ・ルジャンドルリゼンドル李仙得)は、駐日アメリカ合衆国公使チャールズ・デロング通じて野蛮人懲罰するべきだ」と日本外務省提唱した外務卿副島種臣デロング仲介しルジャンドル会談内務卿大久保利通ルジャンドル意見注目しルジャンドル顧問として外務省雇用されることとなった当時明治政府では、朝鮮出兵を巡る征韓論などで対立があり、樺山資紀鹿児島県参事大山綱良薩摩閥は台湾出兵建言していた。 1873年特命全権大使として清に渡った副島外務卿随員柳原前光用いて宮古島台湾遭難事件などの件を問いたださせたが、清朝外務当局は、台湾先住民は「化外」であり、清国統治のおよばぬ領域での事件であると回答して責任回避したその後日本ではこの年秋、朝鮮使節派遣めぐって政府分裂し明治六年政変)、また、1874年1月岩倉具視暗殺未遂事件2月江藤新平による反乱佐賀の乱)が起こるなど政情不安が昂じたため、大久保利通中心とする明治政府国内の不満を海外ふり向けるねらいもあって台湾征討決断し1874年明治7年4月参議大隈重信台湾蕃地事務局長官として、また、陸軍中将西郷従道台湾蕃地事務都督として、それぞれ任命して軍事行動準備入った明治六年政変における明治天皇勅裁は、ロシアとの国境を巡る紛争理由とした征韓の「延期であったため、ロシアとの国境確定した際には、征韓派の要求再燃する可能性高かった政変下野した副島かわって外交担当することとなった大久保としては、朝鮮よりも制圧容易に思われ台湾出兵をむしろ積極的に企画したのである

※この「開戦準備へ」の解説は、「台湾出兵」の解説の一部です。
「開戦準備へ」を含む「台湾出兵」の記事については、「台湾出兵」の概要を参照ください。

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