開戦時期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/02 22:19 UTC 版)
巣伏の戦いの戦況について、紀古佐美が朝廷に報じた奏状の部分と、それを受けて下された桓武天皇の勅の部分が『続日本紀』延暦8年6月3日(789年6月30日)条に記されている。延暦8年6月3日(789年6月30日)は桓武天皇の勅が発せられた時点であると考えられ、古佐美が奏状を送ったのは7日ほど遡るとみられることから、実際に巣伏の戦いが起こったのは5月下旬から末頃と思われる。 おそらくは延暦8年5月19日(789年6月16日)頃に桓武天皇が発した延暦8年5月12日(789年6月9日)付の勅が朝廷軍本営に届けられ、これを受けた古佐美は衣川営で逗留していた朝廷軍に対して直ちに進軍するよう命じたものと思われる。また出撃開始と佐伯葛城の死亡を併せて報告する奏状を朝廷に宛てて送ったものと推測される。
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