くしろしつげん‐こくりつこうえん〔‐コクリツコウヱン〕【釧路湿原国立公園】
釧路湿原国立公園
丘陵の木々はあでやかな錦を織り、傾いた秋の日を受けて鮮烈に燃え立っている。丘陵の重なりの彼方に見える阿寒の連山は青く霞み、茫々と広がる大湿原のアシの穂は、一面銀色の大波となってうねる。タンチョウの声が響き、遠く隊列を組んだオオハクチョウが、白い光点となって行く。雪がすべてを包み、多くの生命が長い眠りにつく直前、壮麗な中にさびしさを秘めて、湿原が輝く。
タンチョウのすむ湿原
[タンチョウ]
釧路湿原を保全するために昭和62年に指定された湿原中心の国立公園である。
釧路湿原の形成には2万年近い歴史があるが、現在のような形になったのは約3,000年前と考えられている。湿原の約80%は低層湿原で、中間湿原と高層湿原は限られた部分にわずかにあるにすぎない。従って、植生は大部分がアシ・スゲ類からなり、これが釧路湿原の景観を特徴づけている。また、湿原の東側には、かつてここが海だった時代の名残として、塘路(とうろ)湖、シラルトロ沼、達古武(たっこぶ)湖という、3つの海跡湖がある。
稲作ができない寒冷な気候条件と、たびたび氾濫する釧路川や雪裡(せつり)川などの河川が、釧路湿原を明治以降も開拓から守ってきたのである。太平洋戦争後、国はサロベツ原野とともに釧路湿原をも排水・干拓して農耕地として活用する構想を持ち、調査を進めた。しかし、いろいろな事情から大規模な開発に着手されないまま、サロベツ原野に続いて湿原主要部の公園指定への道が開けたのである。
湿原に生育する植物は約200種あり、中には、クシロハナシノブのように釧路の名を持つものもある。
動物ではタンチョウの主要な繁殖地の一つである。一度は国内から絶滅したと思われたタンチョウが、大正13年に再発見されたのも釧路湿原であった。辛うじて生き残っていたその小群は、わずか20〜30羽にすぎなかったが、その後の手厚い保護策が奏功して、個体数は順調に回復してきた。
そのほか、キタサンショウウオ、イイジマルリボシヤンマ、エゾカオジロトンボは、日本ではここでしか知られていない。釧路川にはかつてイトウが数多く生息し、また、シシャモが産卵のために遡上していた。しかし近年、資源量はともに大幅に減少してしまった。
湿原の探勝
釧路湿原を概観するのは、JR釧網(せんもう)本線の列車に乗ることによっても可能である。細岡から塘路を経て茅沼(かやぬま)のあたり、列車は湿原の東側の縁を、地形に沿って丹念に屈曲しながら、あるところでは湿原に敷かれた築堤を渡って進む。季節によっては、車窓からタンチョウやオオハクチョウを見ることもできる。
湿原周辺の台地には、東側の細岡と西側の北斗に展望台があり、釧路湿原を見渡すことができる。湿原内部の探勝には、釧路と阿寒湖を結ぶ国道沿いの温根内(おんねない)ビジターセンターに、延長2kmほどの木道が併設されている。達古武湖にも木道があり、また、釧路川をカヌーで探勝することもできる。
展望台から望む湿原は、広大なアシやスゲ類の草原と、周辺部や湿原の各所に点在するハンノキの林、その間を縫って奔放に蛇行しながら流れる河川が印象に残る。東側から見れば、低くうねる丘陵の彼方に、阿寒の山々も望むことができ、落日の風景は日本ではほかに比類がない。しかし、これまでの湿原周辺部の開発により、湿原の減少や土砂の流入による乾燥化など急激な変化が現れており、多様な主体が連携して自然再生事業に取り組んでいる。また、釧路市北斗に釧路湿原野生生物保護センターが置かれ、展示などが公開されている。
ラムサール条約
湿地を保全するための多国間条約。はじめ水鳥の生息地保全を目的としていたが、現在は、水田なども含め広く湿地全体の保全を目的とする。日本は昭和55年に加盟、現在釧路湿原、尾瀬など33ヵ所(H20年.3月現在)を登録している。
登録により、国にはその湿地の保護の責務が生じるが、保護のためには、自然公園法、鳥獣保護法、文化財保護法など、国内法の体系を適用することが必要である。ラムサールは、条約が採択された会議の開催地イランの地名。
関連リンク
- 釧路湿原国立公園 (環境省ホームページ)
釧路湿原国立公園
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/29 07:48 UTC 版)
釧路湿原国立公園 Kushiro-Shitsugen National Park | |
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![]() 細岡展望台から眺めた釧路湿原と釧路川(2009年8月) | |
指定区域 | 北緯43度06分05秒 東経144度22分22秒 / 北緯43.10139度 東経144.37278度座標: 北緯43度06分05秒 東経144度22分22秒 / 北緯43.10139度 東経144.37278度 |
分類 | 国立公園 |
面積 | 28,788ha[2] |
指定日 | 1987年7月31日[2] |
運営者 | 環境省 |
年来園者数 | 460,000人[3] |
施設 | 温根内ビジターセンター、塘路湖エコミュージアムセンター、釧路湿原野生生物保護センター、シラルトロ自然情報館 |
告示 | 昭和62年環境庁告示第29号 |
事務所 | 釧路自然環境事務所 |
事務所所在地 | 北海道釧路市幸町10-3 |
公式サイト | 環境省_釧路湿原国立公園 |
釧路湿原国立公園(くしろしつげんこくりつこうえん)は、北海道にある国立公園。
概要
北海道東部の釧路川に沿って展開している日本国内最大の湿原である釧路湿原を中心とする公園[4]。タンチョウなどの水鳥はじめ、多くの野生動物の生息地となっている。釧路湿原として1967年(昭和42年)に国の天然記念物[5]、1980年(昭和55年)に日本国内で最初のラムサール条約登録湿地となり[6]、1987年(昭和62年)に日本国内で28番目の国立公園に指定された[1]。
公園東部には3つの海跡湖(塘路湖、シラルトロ沼、達古武湖)がある。
歴史
「釧路湿原国立公園の歩み」参照[7]
- 1924年(大正13年):釧路湿原で明治時代末に絶滅したと考えられていたタンチョウを十数羽確認。
- 1935年(昭和10年):「釧路丹頂鶴繁殖地」として国の天然記念物に指定。その後、「釧路のタンチョウ及びその繁殖地」から「釧路湿原」へと名称や面積が変更した。
- 1979年(昭和54年):天然記念物「釧路湿原」が「国設クッチョロ太鳥獣保護区」(鳥獣保護区)に設定。その後、「国設釧路湿原鳥獣保護区」へと名称と面積が変更した。
- 1980年(昭和55年):釧路湿原が「ラムサール条約登録湿地」指定。
- 1987年(昭和62年):釧路湿原とその周辺が「国立公園」指定。
- 1992年(平成 4年):温根内ビジターセンター開館。
- 1995年(平成 7年):釧路国際ウェットランドセンター設立[8]。
- 1997年(平成 9年):釧路湿原国立公園連絡協議会発足。塘路湖エコミュージアムセンター開館。
- 2006年(平成18年):シラルトロ自然情報館オープン。
景勝地
- 釧路市湿原展望台
- 温根内木道
- キラコタン岬
- コッタロ湿原展望台
- 細岡展望台
- 夢ヶ丘展望台
- サルボ展望台・サルルン展望台
- 塘路湖畔歩道
集団施設地区・ビジターセンター
地区名 | 面積 | 所在地 | 利用者数(人) |
---|---|---|---|
塘路 | 16.3ha | 北海道川上郡標茶町 | 14,000[10] |
施設名 | 設置者 | 所在地 | 利用者数(人) |
---|---|---|---|
温根内ビジターセンター | 環境省 | 北海道阿寒郡鶴居村温根内 | 38,464[11] |
塘路湖エコミュージアムセンター | 北海道川上郡標茶町塘路原野 | 13,496[11] | |
釧路湿原野生生物保護センター | 北海道釧路市北斗2-2101 | 7,200[11] | |
シラルトロ自然情報館 | 川上郡標茶町字コッタロ原野 |
脚注
- ^ a b 1987年(昭和62年)7月31日環境庁告示第29号「国立公園に関する件」
- ^ a b “基礎情報”. 環境省. 2015年12月21日閲覧。
- ^ “国立公園利用者数(公園、年次別) (PDF)”. 環境省. 2015年12月21日閲覧。
- ^ 管理計画書 2006, p. 1.
- ^ 釧路湿原 - 文化遺産オンライン(文化庁)
- ^ “釧路湿原 (PDF)”. 環境省. 2015年12月21日閲覧。
- ^ “釧路湿原国立公園の歩み”. 釧路湿原国立公園連絡協議会. 2015年12月21日閲覧。
- ^ “釧路国際ウェットランドセンター”. 2015年12月21日閲覧。
- ^ “国立公園集団施設地区 (PDF)”. 環境省 (2015年). 2015年12月21日閲覧。
- ^ “国立公園集団施設地区等利用者数 (PDF)”. 環境省. 2015年12月21日閲覧。
- ^ a b c “国立公園内ビジターセンター等利用者数 (PDF)”. 環境省 (2013年). 2015年12月21日閲覧。
参考資料
- “釧路湿原国立公園管理計画書 (PDF)”. 北海道地方環境事務所釧路自然環境事務所 (2006年). 2015年12月21日閲覧。
関連項目
外部リンク
「釧路湿原国立公園」の例文・使い方・用例・文例
- 釧路湿原国立公園という国立公園
釧路濕原國立公園と同じ種類の言葉
固有名詞の分類
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