過去のアンカー・気象キャスター(一部、順不同)
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シン・ギョンミン(朝鮮語版) MBC報道局専任記者(局長級)。1981年MBC入社。報道局外信部・社会部・経済部・北韓部(北朝鮮担当)・政治部・統一外交チーム記者、社会部次長(1996年)、ワシントン特派員(2000年-2003年)、国際部長(2003年)、報道局副局長(2003年)、解説委員(2005年)などを歴任。2006年8月から現職。週末「ニュースデスク」(1993年4月17日-1994年9月10日)、「ニュースの広場」(標準FM、2007年3月-2008年3月)や2007年大統領選挙開票速報番組「選択2007」(2007年12月19日)のアンカーを経験し、報道局長職に専念するためアンカーを降板したキム・ソンスの後継として2008年3月24日から平日「ニュースデスク」アンカーを務める。2010年9月にMBCを定年退職し2011年1月から民主統合党のスポークスマンとして活動し2012年4月19代総選挙で当選されて国会議員になった。 パク・ヘジン(朝鮮語版) MBCアナウンサー。2001年入社。平日夕の情報番組「生放送 話題集中」司会(2004年10月18日 - 2006年3月3日)、週末「ニュースデスク」アンカー(2004年10月9日 - 2006年2月26日)など報道・情報番組を中心に経験を積んだ。2006年3月6日から平日「ニュースデスク」アンカーに起用され、2005年末から2006年初頭にかけて「SBS8ニュース」以下に低迷した視聴率を回復させた要因の一つとも伝えられた。 キム・セヨン MBC報道局政治国際総括デスク。1985年MBC入社。報道局社会部・政治部・報道特集部・国際部記者、政治部次長(2002年)、ニュース編集2部アンカー(次長級、2003年)、ニューヨーク特派員(2004年)、政治2チーム長(2007年)を歴任。この間に「最終ニュース」(2000年10月 - 2002年1月)、週末「ニュースデスク」(2002年1月19日-2003年4月27日)、「MBCニューストゥデイ」(2003年4月-2004年4月)のアンカーを務め、2008年3月29日から週末「ニュースデスク」アンカーに再び就任した。 オム・ギヨン(朝鮮語版) 1974年MBC入社。報道局社会部・経済部・報道特集部記者、パリ特派員(1985年 - 1988年)を経て1989年10月9日から1996年11月8日まで平日「ニュースデスク」のアンカーを務めた。その後は報道局副局長・政治部長(1996年、兼任)、報道制作局長(1998年)、報道局長(1999年)、報道担当理事・報道本部長(2000年)。2002年1月1日に「ニュースデスク」アンカーとして復帰、同2月から報道本部特任理事を兼任。2007年2月に特任理事を退いてからも副社長級の専門契約職として「ニュースデスク」アンカーを続けたが、放送文化振興会(MBCの支配株主)によるMBC次期社長公募に立候補するため2008年2月1日限りで番組を降板した。ここまでのアンカー担当期間は13年3か月で韓国の放送史上最長。同2月15日の放送文化振興会理事会で社長就任が内定、2月29日のMBC株主総会で正式に第28代の代表理事社長(任期3年)に選出された。しかしMBCが推進してきた「ニューMBCプラン」が特別な成果を出せなかったことこれに対する責任に放送文化振興会理事長に電撃辞任を提出して代表理事社長を退いた。 チョン・ドンヨン 1978年MBC入社。報道局政治部記者、ロサンゼルス特派員などを経て週末「ニュースデスク」アンカー (1994年9月11日 - 1996年1月7日)。1996年にMBCを退社、国会議員選挙に出馬し当選。ヨルリン・ウリ党前議長。 キム・ソンス(朝鮮語版) MBC報道局長。1984年MBC入社。報道局政治部記者、東京特派員、政治部長などを経て2007年7月から現職。MBC社長公募に立候補したオム・ギヨンの後継として2008年2月4日から3月21日まで平日「ニュースデスク」アンカーを務めた。 キム・ウネ(朝鮮語版) 1993年MBC入社。報道局社会部での三豊百貨店崩壊事故や至尊派事件取材、政治部の政党担当記者として実績を上げたのち、平日「ニュースデスク」アンカー(1999年4月26日 - 2000年10月27日)に起用。現場取材経験を持つ女性記者が夜のメインニュース番組アンカーに初めて登用された事例として話題になった。2001年、米スタンフォード大学留学中にアメリカ同時多発テロ事件が発生し臨時ワシントン特派員。平日深夜の「MBCニュース24」を女性記者として初の単独進行(2003年6月 - 2004年4月)、次いで「MBCニューストゥデイ」アンカー(2004年4月 - 2006年8月)を歴任。2007年に産休から復帰し報道局ニュース編集2部次長待遇、政治1チーム次長・外交通商部担当記者を務めたが、2008年2月に発足する李明博政権で大統領府の副報道担当者(スポークスマン)に就任するためMBCを退社した。 キム・ジュハ(朝鮮語版) 1997年にアナウンサーとしてMBCに入社、 2004年6月から報道局記者に転職した。社会部、経済部を経て、産休・育児休暇後の2007年から国際部、文化チームの順に所属。キム・ウネの後継として2002年10月30日から2006年3月3日まで平日「ニュースデスク」アンカー。休暇直後の2007年3月17日から2008年3月23日まで週末「ニュースデスク」アンカーを単独で務めた。2008年3月24日からは「MBC ニュース24」アンカーに就任。部長級記者がアンカーとプロデューサーを兼任してきた同番組で、歴代最年少かつキム・ウネに次ぐ2人目の女性記者による単独進行として注目された。韓国で最も人気のある女性ニュースキャスターとして、テレビ朝日「SmaSTATION-4」で紹介されたことがある。 ヨン・ボフム MBC報道局記者。1996年入社。警察・検察・政治担当を経て、2005年3月19日から2007年3月11日まで週末「ニュースデスク」アンカー。 ソ・ヒョンジン(朝鮮語版) MBCアナウンサー。釜山文化放送アナウンサー(2003年12月 - 2004年9月)を経て2004年12月にMBC入社。2006年3月11日から2007年3月11日まで前任のパク・ヘジンに代わって週末「ニュースデスク」アンカーを担当。2007年からはバラエティ番組への出演が増え、年末の2007MBC放送演芸大賞で新設されたアナウンサー賞を受賞した。主な出演番組は「世の中を開く朝」(FM4U、2005年 - 2007年10月)、「生放送 話題集中」(テレビ、2006年4月 - 11月)、「スポーツマガジン」(テレビ、2007年5月-)、「モーニングFM」(FM4U、2007年10月-)、「神秘なTVサプライズ」(テレビ、2007年10月-)、「知彼知己」(2007年11月-2008年3月)など。梨花女子大学校舞踊科在学中の2001年ミスコリア選抜大会でミスコリア善に選ばれた経歴がある。 チェ・ユニョン MBCアナウンサー。ソウル大学校英語教育学科在学中からテレビ番組のレポーター・司会、CMモデルとして活動、映画「イルマーレ」(2000年)「アフリカ」(2001年)にも出演。2001年にMBC入社。2003年10月11日から週末「ニュースデスク」アンカーを務め、2004年10月3日を最後に週末アンカーの座を同期入社のパク・ヘジンに譲った。主な出演番組は平日朝の情報番組「生放送 とても特別な朝」(2002年4月 - 2006年4月)、同「生放送 今日の朝」(2006年5月 - )、金曜夜の国際時事番組「W〈World Wide Weekly〉」(2005年5月 - )など。 ペ・スヨン(朝鮮語版) MBC契約気象キャスター。2005年採用。2006年5月から12月まで平日「ニュースデスク」気象情報コーナーに出演、現在は平日深夜の「MBCニュース24」などで気象情報を担当している。ウェザーニューズによるFimm向け動画気象情報サービス初代キャスターを同期採用のパク・ウンジとともに務めた。 パク・シンニョン (朝鮮語版) MBC契約気象キャスター。2004年採用。テレビショッピングチャンネル「LGホームショッピング」のショーホスト(案内役)などを経験。 チェ・イルク 副報道局長。 パク・ウンジ(朝鮮語版) MBC契約気象キャスター。2005年採用。2006年12月から平日「ニュースデスク」気象情報コーナーを担当。MBC採用前の2005年2月から8か月間、千葉市のウェザーニューズに駐在し、KTFの第三世代携帯電話“Fimm"向け動画気象情報サービスに初代キャスターとして出演した。 クォン・ジェホン(朝鮮語版) 報道本部長。 2012年5月17日、MBC労組との対立の過程でのハリウッドアクションをめぐる議論で多くの批判を受けたりもした。 パク・ヨンチャン(朝鮮語版) 取材センター長。 イ・ヒョンスン MBC契約気象キャスター。 パク・サンクォン 記者。 キム・ソヨン(朝鮮語版) アナウンサー。 イ・ムンチョン MBC契約気象キャスター。 ド・インテ 記者。 カン・ダソム(朝鮮語版) アナウンサー。 チョン・ヘギョン MBC契約気象キャスター。 イ・ズンヒ 記者。 チョン・ダヒ(朝鮮語版) アナウンサー。:ソン・ソッキ 現JTBCニュースルームのキャスター。 1987年から1992年まで週末のキャスターを務める。
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