過去のイタリック人の動向
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/26 04:31 UTC 版)
「同盟市戦争」の記事における「過去のイタリック人の動向」の解説
イタリック人たちは、過去数度にわたってローマと対立し、その結果として支配下に入っている(例えばローマ・エトルリア戦争、サムニウム戦争など)。彼らは直接的な金銭負担はなかったものの、ローマの決定した戦争への兵力供出義務(foedera iniqua)を課されており、獲得した領地はローマが独占したため、その恨みは募っていたものと思われる。しかし、彼らの反発はまとまったものとはならなかった。彼らのリーダー格である富裕層が、ローマから自分の市での地位を保証されるだけでなく、金銭的なメリットを享受していたためと考えられる。例えば紀元前193年には、ラテン人やイタリック人を利用した迂回融資によって利息制限を回避することが問題となり、センプロニウス氏族のマルクス・トゥディタヌスがこの問題に対応し、彼らにも利息制限がかけられている(Lex Sempronia de pecunia credita、金貸しに関するセンプロニウス法)。彼ら富裕層はローマの公有地(ager publicus)の利用権を持ち、更に、属州での商売が許可されており、組織だった抵抗をみせることなくローマの支配に甘んじていたが、その状況が変わってくるのはティベリウス・グラックスの頃からである。
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