近代の淀川改修事業とは? わかりやすく解説

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近代の淀川改修事業

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 21:52 UTC 版)

淀川」の記事における「近代の淀川改修事業」の解説

明治時代東京奠都が行われた後、寂れてしまった京都産業復興上水道灌漑・水運・水車動力確保を図るべく、京都府知事北垣国道1885年明治18年)、工部大学校(現:東京大学工学部)卒の若い技師田辺朔郎と共に琵琶湖からの取水計画推進日本初めての竪坑用いたトンネル開削などの難工事経て1890年明治23年)に琵琶湖疏水完成させ、日本初水力発電所である蹴上発電所運用開始京都日本初路面電車開業を齎した。1908年明治41年)には琵琶湖第2疏水建設始まり1912年明治45年完成した水力発電所この後淀川本川宇治川〕に志津川ダム建設された。 治水事業に関しては、旧内務省により招聘されG.A.エッセルヨハニス・デ・レーケ(後に内務省勅任官技術顧問)により砂防工事始めとする事業着手された。特に砂防事業日本における近代砂防工事原点ともなっている。現在でも滋賀県中心に砂防堰堤遺構残されている。その後淀川内務省による直轄改修河川指定され以後数度にわたる大規模な河川改修実施された。 1890年明治23年)には、同年完成した瀬田川鉄橋橋脚水流阻害していると考えた滋賀県内の有志により琵琶湖水利委員同盟結成され橋脚撤去請願退けられた後、瀬田川浚渫請願を行うようになる。これに対し1885年明治18年)の淀川洪水大きな被害受けており、工事によって洪水の危険性がより高まると考えた下流摂津河内11郡の有志は「淀川改修期同盟」を組織して浚渫工事猛反発した。1891年明治24年)から翌年にかけ、滋賀県大越亨知事内務大臣瀬田川浚渫数度にわたり陳情1893年明治26年)には部分的な浚渫実施された。 1885年淀川洪水の後には、大阪府による度重なる淀川改修要請行われている。これらを受けて1889年明治22年)から1897年明治30年)の淀川改良工事では、瀬田川洗堰南郷洗堰)の建設による琵琶湖水位調節中流部では伏見-淀間の宇治川河道付替、桂川木津川河道付け替え合流地点を淀付近から下流よりの現在地への移設新淀川開鑿工事大規模な事業として名高い瀬田川洗堰1904年明治37年)、瀬田川流下能力増大による琵琶湖畔および瀬田川下流洪水調節目的建設された。一方新淀川開鑿であるが、従来淀川河口部大川中津川神崎川の3河川分流して大阪湾注いでいた。中津川流路利用して1つ放水路にまとめ、毛馬洗堰建設して大川を堰から分流神崎川一津屋樋門より分流させて現在の形とした。また、舟運発達している事も考慮し毛馬伝法閘門建設して舟運円滑化させた。この新淀川開削工事1910年明治43年)に完成多数住民移転余儀無くされたが古来より続けられ淀川河口部治水事業がこれにて完結した。この修築工事指揮した内務省技官沖野忠雄は後にその手腕を買われ石狩川治水事務所長となり、石狩川本川支川捷水路事業を展開、蛇行し石狩川直線化しているがそのノウハウ淀川で培われている。 淀川改良に伴い中津川廃川となったため、1897年明治30年大道村ほか13により普通水組合設置され、川右岸に当たる大道村大字北大道字三千の地(現:東淀川区南江口3丁目)に設けられ農業用水取水された(三千)。 1917年大正6年9月末から10月にかけての「大正大水害」を受け1918-1932年にかけて背割り堤の築造宇治川右岸観月橋-三栖築堤建設伏見港への三栖閘門建設された。が1934年9月室戸台風1935年6月8月の「京都大水害」と立て続け水害見舞われ再度堤防かさ上げ計画され戦争による中断もあったが1954年昭和29年)に完工した。 また中流部では巨椋池干拓主要な事業となった前記伏見・淀間の宇治川河道付替、葭島堤等新堤築造大池排水路樋門新築などによる河川改良工事が行われ、宇治川巨椋池分離された。流水途絶によって巨椋池水質悪化漁獲高減少伝染病流行などが起こったこともあり、1933年昭和8年)から1941年昭和16年)に行われた国営干拓事業によって完全に農地化され太古から京都盆地存在した巨椋池姿を消した。さらに流域急速な人口増加産業地域拡充に対応すべく1935年昭和10年)より内務省による河水統制事業として『淀川第一期河水統制事業』が手掛けられた。この事業では従来治水目的として瀬田川浚渫大戸川付け替え工事瀬田川狭窄部である関の津地点の岩盤掘削の他、利水目的として琵琶湖疏水取水口揚水機場と閘門建設して疏水流入量を強化し水力発電上水道供給確保した。だが、戦時下でもあるため他の河水統制事業のようにダムによる河川開発行われず既存施設利用した緩やかな事業であった

※この「近代の淀川改修事業」の解説は、「淀川」の解説の一部です。
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