近代の油須木
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/01 02:20 UTC 版)
江戸時代には薩摩国日置郡郡山郷(外城)のうちであり、村高は「旧高旧領取調帳」では431石余、「三州御治世要覧」では459石余、「郡山郷土史」では明治初年は433石余であった。油須木村は200人規模の小さな村であり、平民に比べ士族の人口が大きく上回っていた。 寛文4年の「郡村高辻帳」には油須木村の名前が見えず、東俣村(現在の東俣町)に属していたとみられる。江戸時代前期から中期ごろに東俣村から分村された。 明治5年に大区小区制が公布され、これに伴い郡山郷の区域が第21大区となり油須木村は第4小区となった。
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