近代の正教会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/07 20:53 UTC 版)
この項の主要参考文献:。 1782年、ギリシアで聖歌集『フィロカリア』が出版された。アトス山の修道士ニコディム・アギオリトとコリント主教マカリーの編纂したこの聖歌集は、神秘思想である静寂主義に基づく神への賛美集であり、かつ正教会に伝わる数々の著述を編纂した精神的遺産の継承である。タイトルはギリシア語で「美を愛する」を意味し、ここでいう美とは神のことである。これは各国の言語に訳され、全正教会に広まり、停滞していた教会内で信仰の再興につながった。『フィロカリア』は現在でも正教会が共有する精神財として、世界各地の正教会で使われている(日本語への抄訳あり。また2006年より逐次全訳の刊行が行われている)。 フランス革命後のヨーロッパでの民族主義の高揚は、正教世界にもおよび、19世紀半ばからヨーロッパのオスマン帝国領内では独立運動が相次いだ。これは教会においては、オスマン帝国の統制下にあるコンスタンティノポリス教会の干渉を受けない、独立教会を志向する動きを生んだ。1833年にギリシャ正教会が独立教会を宣言したのにつづき(コンスタンティノポリスは1850年に承認)、セルビア正教会(1879年)、ルーマニア正教会(1885年)、ブルガリア正教会(1860年)が独立教会となった。 また19世紀半ばにはロシア正教会内に東方伝道への積極的な取り組みが生まれた。ロシア領となったシベリアやアラスカでの伝道が積極的になされた。シベリア中部の都市イルクーツクには大主教座と神学校がおかれ、シベリアにおける活動の拠点となった。イルクーツク近郊出身の神父イヴァン・ベニアミノフは、アリューシャン列島に妻とともに伝道した。ベニアミノフは文章語としてのアリュート語を確立した人物として知られている。伝道のため、文字をもたなかったアリュート語の正書法を確立し、はじめての文法書を出版し、アリュート人の協力者とともに聖書をはじめとする宗教文書を翻訳した。日本にも、19世紀半ばの開国後、はじめ在函館ロシア領事館付司祭として来日したニコライ・カサートキン司祭(のち大主教)により、日本ハリストス正教会が建てられた。
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