近代の次官
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/20 13:52 UTC 版)
明治以降、国家行政機関である省において、その長である国務大臣が内閣の構成員であり、官僚機構の外部から政治的な判断によって任用される(政治任用制)のに対し、その下の次官は高等文官試験(戦後においては国家公務員採用試験の上級甲・I種試験等)に合格して任用された職業公務員(官僚)が昇進して到達するポスト(資格任用制)の最高位であった(法務省や外務省、旧陸軍省・海軍省を除く)。 ただし、次官も当初から資格任用制であったわけではなく、1886年(明治19年)に各省官制が制定され、次官職が誕生した直後には、次官を含む局長級以上の勅任官は、文官任用令には何も規定がなかった。1898年に第3次伊藤内閣に代わって、初の政党内閣たる第1次大隈内閣が誕生するようになると、勅任官の職に政党員を任命し、行政に対する政治の影響力を及ぼしていく。大隈内閣瓦解後、第2次山県内閣が1899年に文官任用令を改正して勅任官を資格任用制とし、次官をトップとする常設官僚機構による行政支配が確立する。 その後、次官を廃止して職能を総務長官と官房長に分割したり、政党内閣によって何度か次官の自由任用復活がはかられたが、いずれも長続きしなかった。1924年(大正13年)、最終的に資格任用である官僚出身の次官とは別に、大臣を助け政務に参画する官職として政務次官が置かれるに至った。
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