近代の様相
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/28 14:14 UTC 版)
1875年(明治8年)に、『吉備大臣支那譚』と題した歌舞伎狂言が、河原座にて上演される。これは、吉備真備の入唐譚を題材とした演目で、蜘蛛が下りて来ることで、野馬台詩が解読される場面をクライマックスとしていた。更に、1931年(昭和6年)には、『野馬台詩解説』なる書物が、真田鶴松という人物によって、郁芳社から出版されている。その解釈は、国粋主義的な色彩を帯びており、末句では、「茫々として空となる」のは中国であって、日本は「緑滴る瑞穂国」にして「東洋蓬莱島の青丘」として厳然と繁栄している、という解釈で結びとしている。また、小峯著書では、1949年(昭和24年)に至っても、京都大学の高瀬武次郎の揮毫した野馬台詩の掛幅を、藤田義男という人物が見て記した序が存在したことが、報告されている。ここでは、「青丘赤土となる」を青山が整地されて飛行場となるさまに比定しており、「茫々として空し」は焦土となった国土そのものである、と述べ、戦中戦後の様である、と記している。
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