近代の沖縄開教とは? わかりやすく解説

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近代の沖縄開教

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/05 00:58 UTC 版)

本願寺沖縄別院」の記事における「近代の沖縄開教」の解説

1876(明治9)年9月5日鹿児島県真宗解禁され琉球でも1879(明治12)年に解禁された。1879(明治12)年は、明治政府による琉球処分があり、琉球王国歴史閉じて沖縄県指定された年でもある。 浄土真宗本願寺派開教は、その1879(明治12)年、大河内彰然(宮崎願心寺)の来沖に始まる。1898(明治31)年、亀井慈雲鹿児島善行寺)が大河内続いて来沖し、1910(明治43)年まで13年間にわたり、那覇民家借りて布教活動をした。 1910(明治43)年、深明(鹿児島光永寺)が本山の命を受け来沖し、那覇上ノ倉、湖城氏宅を借り那覇説教所を開き布教活動始めた1911明治44)年に説教所を那覇松下町移転、来沖した商人官吏対象布教した。1918(大正7)年に那覇松山町本堂建立し大谷尊由迎えて入佛落慶法要厳修された。寺号聖徳山大典寺と公称し、初代住職就任した事業として、1912(明治45)年、私立沖縄感化院中城湾布教所(後の光照寺)を開設。1918(大正7)年、私立沖縄家政女学校(後の積徳高等女学校)を設立1919大正8)年に西表説教所、1921大正10)年に八重山布教所、1922(大正11)年に嘉手納布教所、1938昭和13)年に本部説教所(後の本照寺)を開設した太平洋戦争始まり1944昭和19)年10月10日米軍機による那覇大空襲により、沖縄開教本拠地であった大典寺那覇市炎上とともに灰塵化した1945昭和20)年3月からの沖縄戦4月1日からの沖縄本島地上戦により、沖縄全島戦場となり、八重山本願寺布教所を除く、寺院布教所が戦火受けてこれまでの教化活動が、ほぼ壊滅状態になった

※この「近代の沖縄開教」の解説は、「本願寺沖縄別院」の解説の一部です。
「近代の沖縄開教」を含む「本願寺沖縄別院」の記事については、「本願寺沖縄別院」の概要を参照ください。

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