近代の治水
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/14 14:11 UTC 版)
近代の越後平野部における治水については「大河津分水」を参照 明治に入り工事が始まった大河津分水は、信濃川の流量を減らすべく、江戸時代より計画されていたもので、信濃川を越後平野中央部で分流し、日本海へ流すものである。1909年(明治42年)に本格的な工事が始まり、1922年(大正11年)通水に成功し、2年後の1924年(大正13年)に完成した。 これにより信濃川下流部の川幅が大幅に狭まるなどの影響があった。 1918年(大正7年) - 1941年(昭和16年)には、千曲川第1期補修事業が内務省の手によって進められたが、洪水は容赦なく発生し根本的な解決には至らなかった。
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