教会史におけるエクザルフ(エグザルホス・総主教代理)
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エクザルフ(エグザルホス・総主教代理)という語は初め、教会用語としては自身の管掌する府主教区を越えて管轄を行う府主教の称号として用いられた。皇帝と元老院の住居たるを以て特別な権威をコンスタンディヌーポリ主教座に認めた第四聖全地公会においては「総主教(パトリアルフ)」の呼称は使われていないが、第四聖全地公会規則第9条においては「エグザルホス(ギリシア語: ἔξαρχος, 英語: Exarch)」の呼称が用いられている。 「総主教」の称号は、帝国が五大総主教区(「ペンタルキア」の名で知られる、ローマ・コンスタンディヌーポリ・アレクサンドリア・アンティオキア・エルサレム)によって構成される、世界的なキリスト教世界の組織編成を志向したところに始まる。この事はユスティニアヌス帝治下で形成された単一の帝国の働きのもとで行われた。第六全地公会(トゥルーリ全地公会)における教会による批准を受け、総主教(パトリアルフ)の称号は五大総主教座の公式な称号となった。「エクザルフ」の称号は、ディオクレティアヌス帝の分割による帝国の東側地域における、3つの主教区を管轄する府主教に適用されるものとして残った。3つの主教区とは、アジア(エフェソス)・カッパドキアおよびポントス(カエサレア)・トラキア(Heraclea Sintica)である。後年、コンスタンディヌーポリの法令が進歩するにつれ、これらのエクザルフは廃止され、通常の府主教座に戻された。しかし依然として、エクザルフの称号は時折、何人かの府主教に対しては用いられた。 五大総主教制(ペンタルキア)により総主教の人数が固定される原則が立てられてから、これら五総主教のいずれでもなくかつ他の主教に越える権威を持つ主教は、誰でもエクザルフと呼ばれるべき事となった。これにより、キプロス正教会がエフェソス公会議において独立教会となって以降、その首座主教はキプロスのエクザルフの称号を受けた。 短命に終わった、イペク(ペヤ)(セルビア)、オフリド(ブルガリア)、ティルノヴァ(ルーマニア)といった中世の諸教会はエクザルフによって管轄されていた(これらのエクザルフは総主教(パトリアルフ)との称号を帯びる事も時折あったが)。同じ原則により、近代の正教会は全体的に「大主教」の称号を用いる事を好むが、キプロス正教会の首座主教と同様、シナイ山の大主教もエクザルフである。
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