教会同盟
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1906年6月12日東京で最初の新約聖書改訳常置委員会が開催された。委員はミッションの代表と米国と英国とスコットランドの聖書会社からなっていた。これにより、1910年1月11日に改訳委員会についての取り決めがなされた。 1.委員会により、議長1名、書記2名、会計1名が任命される。 2.初期のうち1名は日本人委員、1名は外国人委員とする。 3.テキストとしては英国聖書会社発行のネストレ版聖書を用い、問題箇所は改正英訳聖書(Revised Version)を参考にし、ギリシア語のできる委員の3分の2によって決める。 そして、改訳委員の氏名として、チャールズ・デヴィソン(Charles S.Davison)、ヒュー・フォス(Hugh J Foss)、D・C・グリーン、チャールズ・ハリントン(Charles K.Harrington)、別所梅之助、藤井寅一、川添、松山の8名が挙げられた。 日本のプロテスタントの親睦組織である福音同盟会は、聖書改訳の特別委員を本多庸一、星野光多の2人に委嘱する。2人は宣教師と米国・英国の聖書会社との交渉と改訳委員の選定にあたった。 1906年(明治39年)に福音同盟会は解散する。新たに、日本基督教会同盟を発足させるために最後の会合を行う。福音同盟会の会長により、本多庸一、星野光多、元田作之進、綱島佳吉、渡辺元の5名が選出される。 聖書改訳の計画は日本基督教教会同盟に引き継がれ、翻訳委員が選ばれた。1910年(明治43年)1月20日に松山高吉は英国聖書会社のパロットから委員就任の依頼を受ける。 3月12日に東京基督教青年会館で改訳委員会の第1回会堂が開催され、D・C・グリーン、ジョン・ダンロップ(John G.Dunlop)、ヒュー・フォス、別所梅之助、松山高吉の5人が出席した。柏井園は辞退する。 3月14日には第2回の会合では、ヘンリー・ルーミスが4月から出席することと、川添万寿得と藤井寅一が追加された。C・デヴィソンとC・ハリントンも加わる。第2回会合で松山高吉が改訳について10箇条になる意見を述べた。それは、4月13日に改訳委員会によりほぼ了承された。 翻訳のために採用されたギリシア語の原典はネストレ版の原典かウエストコット-ホルト版(Westcott and Hort)に加えて、英語の「改訂訳」(Revised Version)を参考にしたと言われる。
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