改訳作業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 08:38 UTC 版)
改訳の作業は1910年(明治43年)3月から行われた。改訳の作業は、まず分担して下訳が作成され小委員会の中でそれぞれを通して2、3回の検討が加えられ、最後に全体で決定する手順で行われた。小委員会は最初は委員の私宅や霊南坂教会で行われ、最終的に青山学院で行われた。小委員会は連日開催されたので、小委員会の継続のために委員のメンバーは専従になり俸給が支払われた。 最初に改訂されたのは『マコ伝』で、完成した段階で試訳本として、聖書改訳委員会訳『マコ福音書』が印刷され、1911年(明治44年)6月22日、米国聖書会社、英国聖書会社から刊行された。これは、教会同盟委員本多庸一と星野光多の連盟による和文の序文と、翻訳委員グリーンの英文序文が付与されている。参考文献として、改正訳(Revised Version)、シェルシェウスキーの中国語訳聖書、ロシア正教会訳日本語聖書、ネイサン・ブラウン訳聖書、カトリック教会のラゲ訳などが記されている。改訳の特徴としては。 敬語の増加とそれにともなう代名詞の減少(もともと和訳で代名詞はあまり必要ではない)。 歴史的現在形の使用による鮮明な表現 『マコ伝』について、左近義弼、三並良、杉浦貞二郎らが細かい学術的な批判を展開したが、別所梅之助が反論する。川添は『マコ伝』でいいとしたが、別所は『マルコ伝』が良いとする。この結果最終的に改訳聖書では『マルコ伝』が採用される。 その後、1912年に藤井寅一が委員を辞退している。1913年(大正2年)のグリーンの死後、代わりに同志社大学教授のD・W・ラーネッドが委員に加わる。 1917年(大正6年)2月に7年の歳月をかけて完成し、1917年10月5日に『改訳 新約聖書』が刊行された。明治元訳の新約聖書から37年ぶりの改訳であった。
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