聖書協会の口語訳
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「口語訳聖書」も参照 第二次世界大戦後も、日本聖書協会は文語での旧約聖書の改訂を継続しており、詩篇(第1巻1948年、全訳1951年)、ヨブ記(1950年)の二書のみは文語改訂版が出版された。この詩篇の翻訳で、明治訳の「ヱホバ」が「主」に訳し直された。しかし、この改訳作業は中断され、口語訳へと切り替えられることとなった。その理由として日本聖書協会が挙げたのは、戦後教育で採用された「新かなづかい」と「漢字制限」に対応することであった。ただし、これに加えて、改訂標準訳(RSV, 新約1946年、旧約1952年)が現れたことが影響したという見解もある。1950年に口語訳聖書作成が決定され、翌年、松本卓夫、山谷省吾、高橋虔(以上、新約)、都留仙次、遠藤敏雄、手塚儀一郎(以上、旧約)が改訳委員に任命され、他にコンサルタントが任命された。先に刊行されたのは新約聖書で、1952年から1953年にかけて各福音書と使徒行伝が分冊で刊行された後、残りも含めた全訳が1954年に公刊された。その底本はネストレ版で、19版(1949年)から始まり、翻訳中に届いた20版(1950年)、21版(1952年)も参照したという。ただし、日本聖書協会では公式に認められていないが、その訳文の一致などからは、RSVが重要な参考文献の一つであり、それをそのまま訳出したと思われる箇所も少なくないことが指摘されている。旧約聖書のほうは1953年に創世記と出エジプト記が分冊で刊行され、全訳は1955年に公刊された。その底本はルドルフ・キッテルのビブリア・ヘブライカ第3版で、こちらについてはRSVの旧約部分が公刊される前に、アメリカ聖書協会の好意で未定稿を送ってもらい、大いに参考にしたことが公表されている。新約と旧約の合冊版はその年の内に刊行され、同年の毎日出版文化賞特別賞を受賞した。これは明治訳、大正改訳と違い、日本人の手でなしとげた最初の翻訳と言える。なお、口語体で書かれた和訳聖書はこの他にもカトリックのバルバロ訳など多種あるが、単に「口語訳」と言った場合には普通この1954年/1955年の日本聖書協会版を指す。ただし、「協会訳」、「協会口語訳」といった呼び方も存在する。 日本基督教団に属する教会では、1年でこの聖書へと切り替わったという。そして、刊行から10年間で旧新約聖書が86万部以上、新約聖書のみの版が42万部以上の計120万部以上が頒布され、文語訳に取って代わっていき、カトリックでもこの口語訳が使われることがあったという。この翻訳が分かりやすくなったという好評を得たのは確かである。しかし、その一方で、特に文体については悪評も相次いだ。作家で評論家の丸谷才一は、読者への訴求力や論理的明晰さ、さらに文章としての気品などをいずれも欠いており、冗長であると批判し、悪訳・悪文の代表としてとりあげた。批判的な文学者には塚本邦雄、木下順二らも挙げることが出来る。また、牧師の藤原藤男は冗長で迫力も締まりもない文体としたうえで、普通の訳文よりも語数が多くなるはずの塚本虎二訳(理由は後述)よりも明らかに字数が多いこと(4福音書全体で塚本訳は口語訳の9割程度の字数)をその一因として指摘している。ほかに、人称代名詞を不自然に統一したことが文体に悪影響を及ぼしたという指摘もあり、同様の指摘は敬語の統一についても存在する。他方で、文体への批判に対しては、古い訳への郷愁を差し引いて評価すべきなど、一定の擁護も見られる。RSVに依拠したことについても、むしろそれが質的向上に寄与した面を肯定的に評価する意見が複数あり、訳者たちが独自に判断した箇所について正当に評価する必要性も指摘されている。 後述する新共同訳聖書が登場するとそれに取って代わられるようになったが、2005年のアンケートでも、プロテスタント教会の19.2%ほどが、口語訳聖書を主に使っていると回答している。
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