沖野忠雄とは? わかりやすく解説

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沖野忠雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/25 06:52 UTC 版)

沖野 忠雄(おきの ただお、嘉永7年1月21日1854年2月18日[1] - 大正10年(1921年3月26日[2])は、日本の土木技師工学博士勲一等

経歴

但馬国城崎郡大磯村(現・兵庫県豊岡市)で、豊岡藩士・沖野春水の次男[3]として生まれる。1871年、豊岡藩の貢進生として大学南校に入学、大学在学中の1876年フランスに派遣され、エコール・サントラル・パリ(École centrale des arts et manufactures)に入学する。1881年帰国後、東京職工学校工業教育を担当し、1883年より内務省土木局に所属して淀川大阪港など各地の河川改修・港湾整備に従事する。フランス式の捷水路方式による治水を国内に浸透させた。1911年内務技監となり、1916年からは土木学会会長を務めた。1918年退官。

地元の兵庫県豊岡市にある出石神社境内に沖野忠雄顕彰碑がある[4]

栄典・授章・授賞

位階
勲章等

家族・親族

  • 出典は人事興信録の4巻と8巻より。
  • 妻・ふて(ふで。猪子清の長女)
  • 兄・神矢粛一
    • 神矢ふみ(神矢肅一の2女)
    • 神矢福子(神矢肅一の3女)
縁者

参考文献

脚注

  1. ^ 『人事興信録 5版』(人事興信所、1918年)を199頁
  2. ^ 20世紀日本人名事典
  3. ^ [人事興信録4巻より]
  4. ^ ひょうごの川おでかけマップ 兵庫県(2024年10月25日閲覧)
  5. ^ 『官報』第354号「叙任及辞令」1884年9月1日。
  6. ^ 『官報』第907号「賞勲叙任」1886年7月10日。
  7. ^ 『官報』第7401号「叙任及辞令」1908年3月2日。
  8. ^ 『官報』第4350号「叙任及辞令」1898年1月4日。
  9. ^ 中野文庫 - 旧・勲一等瑞宝章受章者一覧(戦前の部)

外部リンク




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