二度目の渡英
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/14 09:38 UTC 版)
1876年(明治9年)6月、開成学校のイギリス留学生監督として、穂積陳重、岡村輝彦、向坂兌、桜井錠二、杉浦重剛、関谷清景、増田礼作、谷口直貞、山口半六、沖野忠雄の計10名を引率し、アメリカ合衆国経由で再びロンドンに渡った。現地からは文部省に留学生の就学状況を報告し、また『教育雑誌』に最新の教育事情を伝えた。 また、お雇い外国人の周旋も任務の一つであり、1878年(明治11年)夏、エディンバラ大学フリーミング・ジェンキン宅で物理学者ジェームズ・アルフレッド・ユーイングを紹介され、東京大学に招聘した。また、この場にはロバート・ルイス・スティーヴンソンも同席していたが、退蔵による吉田松陰の話に感銘を受け、後に伝記Yoshida-Torajiroを著している。
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