二度目の東ローマ帝国遠征とは? わかりやすく解説

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二度目の東ローマ帝国遠征

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 06:23 UTC 版)

イーゴリ1世」の記事における「二度目の東ローマ帝国遠征」の解説

原初年代記』によると、944年イーゴリは、ヴャリャーグ人、ルーシ人他の諸族の戦士らにくわえ、ペチェネグ人から人質取り、彼らを傭兵として雇ったギリシア人復讐するためである。 遠征に向かう途中人々は、皇帝ロマノス1世レカペノスルーシ軍の巨大さ伝えた皇帝イーゴリ元に貴族遣わし交渉させた。ルーシ侵攻をやめるならば、貢物をたくさん送るというものであるイーゴリ親兵隊(ドルジーナ)を集めて相談した親兵隊たちは言った。 もし皇帝そのようにうならば我らにはそれ以上何が要ろう? 戦わずして金と銀織物を得るであろう我らと彼らと、いずれが勝つか、いずれに海が与するか——誰が知ろう地上を行くのではなく、海の深み沿うて行くのではないかすべての者に共通の死があるのではないか — イーゴリドルジーナたち、『ロシヤ年代記除村吉太郎訳 彼らの言葉イーゴリ深く納得して従いギリシア人から貢物を取るとキエフ引き返した。ドゥルジーナたちの助言は、復讐より貢物優先するものであった9世紀から10世紀キエフ・ルーシでは、森林河川沼沢地などで漁猟採集生きる人々農村入り交じり、その中心に戦士たち中心とした族長が住むといった社会である。巡回徴貢可能なほどには産業発展していたといえど支配地域からの貢税少量であり、貢税求めて豊かな地に遠征するのは、権力を得るための富を一挙に手に入れ手段であり、むしろ戦士族長ら、支配階級の「生業」であるといえた。

※この「二度目の東ローマ帝国遠征」の解説は、「イーゴリ1世」の解説の一部です。
「二度目の東ローマ帝国遠征」を含む「イーゴリ1世」の記事については、「イーゴリ1世」の概要を参照ください。

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