巡回徴貢
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953年ごろ、ビザンツ皇帝コンスタンティノス7世は『帝国統治論』を書いた。そのなかに『ロース(ルーシ)について』という項目がある。冬の11月ごろ、ロース(ルーシ)の人々はキエフ公を先頭に巡回徴貢(ポリュージエ)に出かける。巡回徴貢は河川を丸木舟で移動して行われた。ドレヴリャーネ族など多数の共同体の拠点を訪ね、泊まり込んで食物を出させ、貢ぎものを徴収して春4月にキエフに戻るのである。これらがイーゴリ1世のころの巡回徴貢による各部族の支配のようすである。この行為が成立する背後には、貢ぎ物を捧げられるだけの、スラヴ民族の農・工・商の発展があるといえる。
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