ポリュージエ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/18 10:02 UTC 版)
ポリュージエ[1](パリュージエ[2]、パリューヂエ[3])(ロシア語: полюдье、ベラルーシ語: палюддзе、ウクライナ語: полюддя)とは、9世紀から12世紀にかけてのキエフ大公国において、キエフ大公国政権の統治下にある諸部族に課した貢税(ダーニ)を徴収するシステムの名称である。ポリュージエは統治者である公・大公(クニャージ、ヴェリーキー・クニャージ)が、貢税を課した諸部族の地を巡回して集めるという形式をとっており、日本語文献においては「巡回徴貢」という訳が当てられている[1][2][3]。
注釈
出典
- ^ a b 田中陽兒「キエフ・ルーシ」//『[新版] ロシアを知る辞典』p166
- ^ a b 田中陽兒『世界歴史大系 ロシア史 1』p56等
- ^ a b 和田春樹『ロシア史』p35等
- ^ 田中陽兒「キエフ国家の形成」//『世界歴史大系 ロシア史 1 -9世紀~17世紀-』p59
- ^ 田中陽兒「キエフ国家の形成」//『世界歴史大系 ロシア史 1 -9世紀~17世紀-』p62
- ^ 中村喜和『原初年代記』// 『ロシア中世物語集』p16
- ^ 中村喜和『原初年代記』// 『ロシア中世物語集』p22
- ^ Кобищанов Ю.М. Полюдье: Явление отечественной и всемирной истории, М., 1995.
- 1 ポリュージエとは
- 2 ポリュージエの概要
- 3 参考文献
- ポリュージエのページへのリンク