ロデニとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ロデニの意味・解説 

ロデニ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:53 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

ロデニロシア語: Родень)はキエフ・ルーシ期の要塞都市である。キエフの南、ドニエプル川ローシ川が流入するあたりに位置した。

考古学的研究からは、最初の居住者は7 - 8世紀と目されている。また、ロデニは東スラヴ民族の部族にとって主要な地であり、東スラヴのスラヴ神話における当時の最高神ロード (Rod)の崇拝の中心地の一つで、「ロデニ」という名前はロードから取った[1]とする説がある。ロデニの文化・経済的発展の全盛期は9 - 12世紀であり、ロデニは沿ローシ川防衛線中の単なる要塞都市にとどまらず、交易の中心地としても機能した。ポリュージエの後には、ロデニ付近で、ビザンツ帝国へ向かう船の整備や、物品の積み込みが行われた。B.ルィバコフ(ru)は、ロデニは、10世紀のアラブの歴史書にルーシの3つの国のうちの1つとして記されるアルタニヤ(ru)を、ロデニに比す仮説を提唱した。

スヴャトスラフ1世の治世には、ロデニにはテレム(ru)(Те́рем / 中世ルーシの屋階・楼・居城を指す言葉[2])のある屋敷があった。980年には、キエフ大公位をめぐる闘争の過程において、ロデニに退避したヤロポルク1世が、包囲戦の後殺害されている。

ロデニはモンゴルのルーシ侵攻によって破壊され、その後復興することはなかった。

出典

[脚注の使い方]
  1. ^ Миронов, Владимир; Голубев, Сергей (2022-05-15) (ロシア語). Русь между Югом, Востоком и Западом. Litres. p. 134. ISBN 978-5-4250-9669-2. https://books.google.co.jp/books?id=nQ6BAQAAQBAJ&pg=PT134 
  2. ^ 井桁貞義編 『コンサイス露和辞典』 三省堂、2009年、p1110

参考文献

  • Мезенцева Г. Г. Древньоруське місто Родень (Княжа Гора). Киев, 1968.



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ロデニ」の関連用語

ロデニのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ロデニのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのロデニ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS