就学状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 03:12 UTC 版)
明治時代は、貧しい農家にとっては、幼い子供の小学校に通わせるよりも家事手伝いや子守りをさせることが当たり前のような時代であり、後に機屋のお内儀さんと呼ばれるような栄進をした人の中にも、明治時代育ちの人は形だけ小学4年出ているとはいえ、文字の読み書きが満足にできない人もいた。 明治31年の機業地域の非就学率は、与謝郡で男子8.5%に対し女子39.4%、中郡で男子11.9%に対し女子57.8%、竹野郡で男子10.3%に対し女子63.9%、熊野郡で男子8.8%に対し女子51.9%と、圧倒的に女子の就学率が低い。この状況はこの後数年で劇的に改善され、明治35年には与謝郡で男子1.6%に対し女子10.1%、中郡で男子0.5%に対し女子1.7%、竹野郡で男子1.7%に対し女子11.7%、熊野郡で男子2.8%に対し女子10.0%と、男女どもに就学率が高くなっているが、男子の非就学率が2%を切ったのに比べると女子の非就学率はほとんどの地域でまだ10%以上と高く、唯一、中郡でのみ女子の非就学率が近隣他群に並ぶ1.7%まで改善されていた。
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