瀧山養
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/08 00:02 UTC 版)
瀧山 養(たきやま まもる、1910年(明治43年)2月12日 - 2009年(平成21年)4月7日)は、日本の鉄道官僚、土木工学者(工学博士・東京大学)。第62代土木学会会長、日本国有鉄道技師長・理事・顧問、鹿島建設専務取締役等を歴任した[1]。戦前・戦後の激動の時代で、鉄道が輸送機関の主力であったときに鉄道技師として鉄道の発展に貢献。海外引揚や戦災復興都市計画、十河信二国鉄総裁のもと新幹線建設に尽力した[2]。勲二等。
- ^ “土木学会歴代会長紹介”. 2012年7月20日閲覧。
- ^ 『遥かなる鉄路を歩みて:ある鉄道マンの激動の軌跡』丹精社 2005
- ^ 作道好男・江藤武人編『北の都に秋たけて 第四高等学校史』(財界評論新社、1972年)p.648、週刊朝日編『青春風土記 旧制高校物語2』(朝日新聞社、1978年)p.352
- 瀧山養のページへのリンク