今村新吉とは? わかりやすく解説

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今村新吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/17 07:56 UTC 版)

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今村新吉(いまむら しんきち、1874年11月15日 - 1946年5月19日)は、日本の精神医学者。

石川県金沢市出身。今村有隣の長男。1897年帝国大学医科大学卒。ウィーン留学後京都帝国大学医学部教授となり、精神医学教室を創設、初代教授となる。1904年医学博士。渡辺久吉の日本心霊学会にかかわり、人文書院と改称した時の命名者である。妄想性精神病神経症など精神病理学の研究で知られた[1]。弟は今村次吉千里眼事件では、福来友吉らとともに御船千鶴子の売り出しを行っている。

親族

  • 出典は人事興信録の4巻、8巻より。
  • 妻:婦美(猪子止戈之助の次女で、一到の姉)
  • むめ(婦美の姉で、新吉の義姉。止戈之助の長女。藤浪鑑の妻)

親戚・遠縁

著書

  • 『神経衰弱に就て』日本心霊学会 1925年
  • 『神経衰弱とヒステリーの治療法』日本心霊学会 1927年 人文書院 1928年
  • 『精神病理学論稿』弘文堂 1948年

脚注

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