谷川モンスター路線
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2003年にK-1プロデューサー就任して以降は、前年にボブ・サップが格闘技経験が少ないにもかかわらず圧倒的なパワーと巨体で勝ち進み、そのキャラクター性でK-1のみならず格闘技に興味がない一般人にも知れ渡るほど日本中に旋風を巻き起こしたことを踏まえて、記者会見やSRS出演時に「これからは格闘技経験の豊富な選手よりもサップのように体格とパワーがある選手をアメフトとかからも探してきて参戦させます」と明言。しかし、谷川の意向によって参戦したチェ・ホンマンや曙、モンターニャ・シウバ、バタービーンなどの大型選手たちは、トップ戦線に勝ち残ることはできなかった。 大会が開催されるたびに必ずと言っていいほど視聴率の話題を切り出し、ボビー・オロゴンや金子賢といった、格闘技経験、プロスポーツ経験のない芸能人を参戦させるなどした。 また、話題性がある格闘技素人を参戦させることを優先して、ムエタイでの実力と実績は抜群であるアレクサンダー・ウスティノフやヨードセングライ・フェアテックスといった真の強豪選手を1 - 2回参戦させただけですぐに干すようになり、ウスティノフに負けた直後の選手がK-1本選に何度も参戦していた(詳細はアレクサンダー・ウスティノフの項を参照)。ヨードセングライがK-1 MAXに初参戦して勝利した翌日には、「あれは触らぬ神に祟りなしですねぇ」「タイ人が増えるのは問題です。多くて二人まででしょう。タイ人ばかりになっちゃうので規制をかける」とコメントした。 さらに2004年のK-1WGPシリーズにおいて「世代交代」を大々的に打ちだし、新世代代表として前年度決勝進出者のレミー・ボンヤスキーと武蔵をプッシュしたが、同年のWGP決勝大会でレミーと武蔵が不可解な判定で決勝に進出したことに対して選手・ファン・専門家から抗議が殺到し、判定が再審議されたが結果は覆らなかったことがK-1公式サイトで発表された。 2004年FEGのオフィシャルサイトにて「K-1マニフェスト」として10の公約を発表するが、内容は 1. マイク・タイソンをK-1のリングに上げる(→2010年現在までタイソンの参戦は無く、2006年にはタイソンが逮捕されている) 2. 新しい格闘技のイベントを旗揚げする(→2005年に従来の「K-1 MMA(ROMANEX)」をリニューアルさせたHERO'Sを立ち上げた) 3. ヒクソン・グレイシーとどでかいことをやる。(→特に何も行われていない) 4. 曙vs サップを名勝負数え歌にする(→曙は一度しか勝利が無く、サップとは契約問題で揉めており、両者の対戦は一度しか実現していない) 5. 曙以上の大物をスカウトする(→特に何も行われていない) 6. サップを新日本プロレスのチャンピオンにする(→2004年にIWGPヘビー級王座を獲得) 7. WRESTLE-1を復活させる(→2005年に復活したものの、グランプリ途中で打ち切りとなって以来、再開されていない) 8. K-1各シリーズを大改革する(→公約発表から3年後にようやくWGPシリーズにてワンマッチの王座、ヘビー級、スーパーヘビー級の創設、6年後の2010年にMAXシリーズでライト級創設) 9. 視聴率でオリンピックに勝つ(→それほどの高視聴率は取れていない) 10. 以上のことがひとつでも守れなかった場合、坊主になることを検討する。 など実行できなかったものが多かった。 2003年からは総合格闘技イベントPRIDEが地上波ゴールデンタイム放送に進出して台頭し始め、PRIDE主催者側が「コアなファンに向けたカードを組んでいく」と常々公言し、好カードを組んでいたこともあり、コアなファンがPRIDEへと流れていく要因にもなり、K-1側の優良外国人選手もPRIDEに引き抜かれるようになった。また、テレビ視聴率も大型選手や芸能人ファイターが珍しかった当初は高い視聴率を獲得していたが、次第に飽きられ、視聴率も低下していった。 こういった批判を受けて2005年に「原点回帰」を表明し、徐々にモンスター路線から競技路線にシフトしていくようになり、テクニックに欠ける大型選手やプロ格闘家としてのキャリアの無いタレントなどのモンスター路線を象徴する選手は2008年には完全にいなくなった。ファイトスタイルと人気の低さゆえに、石井館長に嫌われて(石井館長はファイトスタイルを嫌っていたのであり、人間性は否定していない)、不遇な状況を強いられていた実力者セミー・シュルトをK-1本選に参戦させたり、トーナメントだけでなくワンマッチの王座を創設、新しい階級の増設、アマチュアの大会、K-1甲子園などといったことを実現させ、「K-1を五輪競技にすること」を目標に活動するようになっている。しかし、首相撲からの攻撃を禁止といった、特定の選手に対するあからさまなルール改正をするなど、競技性の重視とは言えないこともしている。 2006年8月5日に行われた総合格闘技イベントHERO'Sで、移籍後初戦となる桜庭和志が相手選手ケスタティス・スミルノヴァスからの打撃によって半失神状態であったにもかかわらず試合を続行したうえ、桜庭の頭部がロープの外側に出ているという理由で試合を一時停止してリング中央に移動させるなどの対応があった。この試合に対して安全面を重視する前田日明SVが激怒し、谷川が詰め寄られるという事態が起きた。前田に対しては「僕がやったんじゃないですよ!」と返答。「僕はちょうど死角になってよく見えなかったんです」 と回答している。試合中も解説の船木誠勝が「止めた方がいいんじゃないですか?」と発言していたが、これを無視していた。桜庭は9月25日の練習中に嘔吐し、検査の結果、脳には異常が無かったが、椎骨脳底動脈血流不全と診断され、10月9日の興行に欠場することとなった。
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