そうしょく‐きょう〔サウシヨクキヤウ〕【装飾経】
装飾経
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/28 14:53 UTC 版)
装飾経(そうしょくきょう、そうしょくぎょう)は、表紙・見返し・本文料紙(りょうし)[3]・本文(経文)・軸首・紐などに意匠を凝らして美しく装飾した仏教の経巻[4][5][6][7][8][9][10][注 1]。写経と版経[注 2]の別なく見られ、東アジアで古代から現代まで作られている[4]。荘厳経(しょうごんきょう)ともいう[10]。
注釈
出典
- ^ a b “妙法蓮華経 授記品”. 公式ウェブサイト. MOA美術館. 2020年6月1日閲覧。
- ^ 紙本著色扇面法華経冊子〈巻第八/(二十二面)〉 - 文化遺産オンライン(文化庁)
- ^ “料紙”. コトバンク. 2020年6月1日閲覧。
- ^ a b c 日立デジタル平凡社『世界大百科事典』第2版. “装飾経”. コトバンク. 2020年6月1日閲覧。
- ^ 『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』. “装飾経”. コトバンク. 2020年6月1日閲覧。
- ^ 小学館『デジタル大辞泉』. “装飾経”. コトバンク. 2020年6月1日閲覧。
- ^ 三省堂『大辞林』第3版. “装飾経”. コトバンク. 2020年6月1日閲覧。
- ^ 平凡社『百科事典マイペディア』. “装飾経”. コトバンク. 2020年6月1日閲覧。
- ^ 島谷弘幸、小学館『日本大百科全書(ニッポニカ)』. “装飾経”. コトバンク. 2020年6月1日閲覧。
- ^ a b 『山川 日本史小辞典 改訂新版』 2016, 「装飾経」
- ^ “経巻”. コトバンク. 2020年6月1日閲覧。
- ^ “版経”. コトバンク. 2020年6月1日閲覧。
- ^ a b c “染紙”. コトバンク. 2020年6月1日閲覧。
- ^ “扇面写経”. コトバンク. 2020年6月1日閲覧。
- ^ 小学館『精選版 日本国語大辞典』. “装飾経”. コトバンク. 2020年6月1日閲覧。
- ^ 華厳経 巻第七十 - 文化遺産オンライン(文化庁)
- ^ “収蔵品データベース 華厳経甲巻(二月堂焼経)”. 奈良国立博物館. 2020年6月19日閲覧。
- ^ 華厳経 巻第五十二残巻(二月堂焼経) - 文化遺産オンライン(文化庁)
- ^ a b “illuminated”. 英辞郎 on the WEB. アルク. 2020年6月1日閲覧。
装飾経
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院政期には、浄土教の広がりや末法思想の影響によって人びとは極楽往生を願い、善美を尽くした装飾経が競って作成された。この時代の代表作として、大治元年(1126年)に藤原清衡が発願して作成した『紺紙金銀泥一切経』や平氏一門が厳島神社に奉納した『平家納経』がある。 「扇面古写経」(扇面法華経冊子)は、12世紀末葉に流行した装飾経のひとつで、自然や風俗をえがいた扇形の紙面(扇面型料紙)に法華経を写したものである。大阪市の四天王寺や東京国立博物館などに所蔵されている。中央でおりたたみ、扇形半分の表紙が前後につけられている。その下絵には京都における民衆の生活が大和絵の手法によって生き生きと描き出されている。 『平家納経』は、長寛2年(1164年)、平清盛・重盛らが平氏一族の繁栄を願って安芸の厳島神社に奉納した33巻の装飾経である。一族が分担して奉納し、各巻とも水晶に金銀透彫りの金具をほどこした軸首や金銀の砂子(すなご)・切箔(きりはく)などを多用した料紙、あるいはまた紐などに当時の工芸技術を伝えている。また、金銀で彩色された表紙や見返しには唐絵や大和絵の手法によって装飾画が描かれている。経典の内訳は『法華経』30巻、『阿弥陀経』1巻、『般若心経』1巻、平清盛自筆の願文1巻であり、さらに経箱・唐櫃をともなう。平氏の貴族的一面をあらわす遺物であるとの評価もある。 『紺紙金銀泥一切経(紺紙金銀字交書一切経)』は、紺紙に銀で罫線を引き、金泥と銀泥で一行ごとに交互に経文を書いた装飾経である。藤原清衡の発願によって書写された「中尊寺経」と呼ばれる経巻のひとつで、永久5年(1117年)より8年かけて完成した。見返しには金銀泥で釈迦説法図や経意を表している。「一切経」とは仏教における全経典(大蔵経)を意味しており、もとは5,300巻前後にもおよんだと考えられるが、その多くは安土桃山時代に高野山に移り、現在では15巻のみが中尊寺に、4,296巻が高野山金剛峯寺にそれぞれ伝わっている。 『久能寺経』は現存最古の一品経(法華経二十八品を一巻毎に書写したもの)。静岡市の久能寺(現在は鉄舟寺)に伝来したもので、久能寺が所有しているものは東京国立博物館に寄託してある。永治2年(1142年)待賢門院の出家に際して、鳥羽法皇や美福門院をはじめ、近臣や女房らが加わった、逆修供養のために結縁書写された。元は法華経二十八品に開教と結経を加えた三十巻か、或いは更に『阿弥陀経』『般若心経』を加えた三十二巻本だったと想定される。鉄舟寺にはそのうち17巻分伝わっており、他に五島美術館に2巻(重文)、東京国立博物館に3巻(重文)、個人に4巻(国宝[1])の計26巻が現存している。鉄舟寺所蔵品の員数は19巻だが、そのうち陀羅尼品第二十六と普賢菩薩勧発品第二十八の2巻は補配本と見なされる。
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